50-1または競売ナンバー49の戯言

  • 今日はオレの誕生日、なんと49歳になる。
  • あと1年で50歳、いよいよ半世紀にさしかかる人生となるのだ。
  • しかし毎度誕生日にはこの日記に誕生日エントリを挙げているが、年々書くことが無くなって困る。
  • ええと、身体は概ね健康だ。目が悪くなり歯が悪くなり夜更かしが難しくなり酒の量も若干減った。体重はちょっと増えた。腰や肩は特に支障が無い。
  • ただ頭が問題だ。50歳前後であろうと頭脳明晰な人間などこの世には幾らでもいるが、このオレに関してはどうもそういうわけには行かず、こと思考の瞬発力に関しては年々鈍磨する一方、モノは忘れるしモノは覚えないし、ブログなどというものを毎日書いているけれども文章力の低下もふつふつと感じている。
  • この日記も7年続けているが、昔の頃の発想力や構成力など、思考に関する事柄は昔のほうが全然あった。他人が読んでどう思うかは分からないが、少なくとも自分が読んで、昔の頃のほうが文章が面白かったし、なんといっても楽しく書いていた。書きたいことが有り余り、いつも文章にしたい言葉が頭に溢れていた。ところが今はそんなことはない。いつも読んで貰っている方も薄々感じられているだろうが、殆ど惰性、何も言葉が頭に浮かばないのを無理矢理捻り出し、文章を書いているというよりは文章をでっち上げている、捏造している、といったほうが近いものになっている。日記を書くのが自己目的化しているのだ。
  • まあ歳を取ってくると誰でも思考力は衰えはするだろう。しかし年齢を積んだ者は思考力の低下をそれまで蓄積してきた知識と経験で補うものであるが、オレは基本的に昔から知識も経験も意味も無く馬鹿にしてきたような人間だから、今このような歳になって、蓄積してきたものが何も無いのだ。思わぬしっぺ返しである。
  • そうして今の自分は何なのかというと、単なるアホである。面白いアホなら需要もあるだろうが、オレの場合面白くもなんとも無いから始末に負えない。
  • 誤字脱字、固有名詞の間違い、てにをはの混乱、同じ言葉を繰り返し使ってしまう癖、こういったことがいつも書いている文章の中に散見し、それらを後で発見して赤面していることしきりである。お恥ずかしい。
  • それと合わせ、当たり前のことだが、この歳にもなると普通の社会人としてやるべきことが多々あり、それを今までずっとないがしろにし続けてきたので、そういったものをきちんと遂行し、そろそろもうちょっとまともな生活をしようかと思っているところである。
  • そんなわけで今後は書き溜めてある日記記事を放出して、その後はボチボチと単なる生存記録とか購入記録とか他人が読んでも面白くもなんともない日記にしてしまおう…という予定である。
  • この日記は、「自分はここにいて、こんなことを思っている」ということを、他人に認められたくて始めたようなものだったが、今や、書きたいことは殆ど書いてしまったし、日記を通して様々な方と知り合えることも出来て、自分は一人じゃないんだ、ということに気付いたし、自分はありふれた平凡な人間で、そしてそれが何の支障もないことであることも分からせてくれたし、なによりも、いつも自分といてくれる素敵な相方と知り合えた、そして、何不自由も無いと言うわけではないが、それでも十分に幸福である、ということをしみじみと納得させてくれた場所であった。
  • だからその役割はすっかりと全うしてくれたのだと思う。
  • だからあとはきちんと現実に戻るだけなのだ。
  • いつも読んでくれている皆さん、たまに読んでくれている皆さん、そしてたまさか読んでしまった皆さん、ありがとう。
  • オレはもう少しこの世界で生きてゆくよ。