残酷な運命に抗いながら生きてきた男の魂の遍歴/映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』

ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ (監督:ウィル・シャープ 2021年イギリス映画)

映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した実在の人物、ルイス・ウェインの生涯を描いた作品だ。ルイス・ウェイン、名前は知らなかったのだが猫をモチーフとした絵で一世を風靡した画家だという。主演はオレの好きなベネディクト・カンバーバッチだし、猫が好きで相方さんのことも愛しているオレはなんだか面白そうだなと思い、割と軽い気持ちで映画を観ることにした。ところがこの映画は、どこまでも悲痛で哀切に満ちた作品だったのだ。今回はネタバレありですのでご注意を。

《物語》イギリスの上流階級に生まれたルイスは早くに父を亡くし、一家を支えるためイラストレーターとして働くように。やがて妹の家庭教師エミリーと恋に落ちた彼は、周囲から身分違いと猛反対されながらも彼女と結婚。しかしエミリーは、末期ガンを宣告されてしまう。そんな中、ルイスは庭に迷い込んできた子猫にピーターと名づけ、エミリーのために子猫の絵を描き始める。

ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ : 作品情報 - 映画.com

ルイス・ウェイン、知らないなりにどんな画家なのか調べたらこんな猫の絵を描いていた人だった。

表情豊かで、擬人化された楽し気な猫の姿。なかなか素敵じゃないか。でも、このモチーフを見て、あることが引っ掛かった。これって、あの有名な「総合失調症が悪化してゆく画家の描いた猫の絵」の人じゃないのか?

猫を描き続けた画家、ルイス・ウェインに関する真実 : カラパイア

やはり予想は当たっていた。ああ……これは鬱展開必至じゃないか。

ルイス・ウェイン1860年 - 1939年、享年78歳)はイギリス上流階級の出で、長兄の彼の下には5人の妹たちがいた。女系家族だったんだね。絵画や発明の才があった彼だが早くして父を亡くし、たった一つの男手で母と5人の妹を養わねばならなくなった。家計はいつも逼迫しており苦労も絶えなかったが、それでもルイスは精一杯頑張って家族を養おうとしていた。

映画に登場するルイス・ウェインはとても風変わりな男だ。行動や言動がふわふわしていて落ち着きがない。ひょっとしたら今なら発達障害に診断された人なのかもしれない。でもそういった人によくある天才的な素養も持つ人物としても描かれる。そんなルイス・ウェインベネディクト・カンバーバッチは時にコミカルに、時に苛烈に、鬼気迫る演技で演じ切る。カンバーバッチは天才役が似合うとパンフにも書かれていたけど、オレはこの作品のカンバーバッチも大いに好きになった。

さてそんなルイス・ウェインの人生が一変するのは妹たちの家庭教師エミリーと出会ってからだ。二人は恋に落ち結婚するが、当時のイギリスでは上流階級のルイスと、平民でさらにルイスより10歳も年上のエミリーとの結婚は大きな醜聞となってしまう。そんな世間の風評など気にせず二人は幸福に過ごしていたが、今度はエミリーが末期癌であることが発覚してしまう。絶望の中最期の日々を過ごす二人が出会ったのが一匹の子猫だったんだ。

二人はこの猫を大いに愛し、さらにルイスはこの猫の絵を発表することで一世を風靡することになる。エミリー亡き後もルイスはこの猫をあたかも二人の忘れ形見のように慈しみ続けるんだ。今では猫といえば誰もが大いに愛しペットとしても飼う動物だけれども、当時イギリスでは鼠捕り用に飼うか邪悪な動物として邪険にされていた。その猫の愛らしさを「発見」し、世に知らしめたという事でルイスの猫絵は画期的だったのだ。

とはいえこの後もルイスを様々な不幸が襲う。いつまでも抜け出せない貧困生活、家族の死、猫の死。そしてルイスの精神病の発症。ルイスはその生き難い人生を、それでも精一杯生きてきた男だ。妻を愛し猫を愛し家族を愛し、その全てを支えようともがき苦しみ、なんとかやり遂げてきた男だ。だがそれは一人の男の双肩にはあまりにも重かったんだ。だけどこれ以上どうしたらよかったというのだろう?

世界はあまりにも過酷な場所で、同時に崇高な美しさに満ちた場所でもある。そして愛は永遠に続いて欲しいと願われながら、愛した者はいつか必ず死ぬ運命にある。こんな矛盾だらけで無茶苦茶な設定の現実を、人はどう生きてゆけばいいのだろう?こんな世界でどう正気を保っていけばいいのだろう?そしてルイスは狂気の向こう側の世界に行ってしまった。ただ、その世界は生涯愛した妻とネコとの美しい思い出に満ちた場所でもあったのだ。これはなんと切ない事なんだろう。映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』は、そんな一人の男の、魂の遍歴を描いた作品だった。