ノイズにまつわる7つの物語~アンソロジー映画『始まりは音から~インド詩七篇~』【IFFJ2017公開作】

■始まりは音から~インド詩七篇~ (原題:SHOR SE SHURUAAT)(監督:ラーフル・V・チッテラー、アミーラー・バルガヴァ他 2016年インド映画)

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「ノイズ」をテーマとした7編のインド短編作品アンソロジー

映画『始まりは音から~インド詩七篇~』は「ノイズ」をテーマにした7つの短編作品が集められたインド映画アンソロジーだ。

これらの作品はインドの短編映画専門のYoutubeチャンネル「Humaramovie」が母体となっているのらしい。このチャンネルにおいて評価の高い映画製作者たちを一堂に会し、同じテーマに基づいた7編の作品を集めて1つの劇場公開作品としてまとめたものがこの『始まりは音から~インド詩七篇~』となる。

「ノイズ」というたった一つの単語からどれだけの想像力を膨らませどんな物語が紡ぎ出されるのか?が見所となり、7人の監督たちがそれぞれ「ノイズ」という言葉にどんな解釈を施したのかを見比べるのが面白いアンソロジーだ。その料理の仕方は千差万別で、シリアスな社会派作品からコメディ、SF、ラブストーリーとまさに十人十色ならぬ七人七色。さてこんなレインボーカラーなアンソロジーの中で最も優れていたのはどの作品だろうか。順番に紹介してみよう。

1.『アーザード~自由~(Azaad)』監督:ラーフル・V・チッテラー

あるジャーナリストの失踪とその家族の葛藤を描くこの作品はまさにシリアスな社会派作品であり、ドキュメンタリータッチのその物語はインド社会の持つ陰鬱な一面を炙り出す。けれどもガチガチに社会派なのではなく、深い詩情と家族の愛が胸を打つ一編となっている。アンソロジー中屈指の名作であり、インド短編映画界が何を目指しているのかを伺い知れるだけでもアンソロジーそれ自体の成功を約束したような作品だ。主演はアトゥル・クルカルニ、最近では『Raees』、『Akira』の出演が記憶に新しいインド映画名脇役であり、彼による迫真の演技はいつまでも記憶に残ることだろう。

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2.『アーメル (Aamer)』監督:アミーラー・バルガヴァ

スラムに住む貧しい花売りの少年は聴覚障碍者だった。そんな息子の為に母は補聴器を買い与えるが……というこの物語、あたかも『サラーム・ボンベイ!』を彷彿させる作品だが、聴覚障碍者にとって「ノイズ」とは何か?を描こうとした部分が面白い。貧しさの中で逞しく生きる少年の描写は清々しいけれども、基本的にワン・アイディア作品なので物語に膨らみが足りなかった部分がちと残念。

3.『デシベル(Decibel)』監督:アニー・ザイディ

睡眠障害を持つ女性が睡眠障害者支援センターで安らかな眠りを手に入れようと四苦八苦する。コメディ・タッチで描かれるこの作品は物語が進むにつれなんとSF作品だったことに吃驚させられた!インド映画って実はSF作品が殆ど無くて、一人のSF映画ファンとしては多少薄味ではあるがこんな作品の存在を知ることだけでも嬉しかった。それにしてもインド映画ってどうしてこんなにSF作品が少ないの?

4.『もしもし?(Hell O Hello Can you hear me?)』監督:プラティック・ラジェン・コサリ

あの手この手でモバイル端末を売ろうとするライバルセールスマン同士のドタバタをシニカルに描くコメディ作品。もはや宣伝合戦それ自体が「ノイズ」ってことなんだろうか。原題『Hell O Hello Can you hear me?』は「地獄よ、こんにちは聞こえますか?」といった意味になるが、苛烈化した資本主義の地獄を面白おかしく描こうとしたのがこの作品の趣旨なのだろう。それにしてもインド映画を観て思うのは、インドの皆さんバスの中だろうが仕事中だろうがまるで遠慮なくガンガンにケータイ掛けまくってるなあ、という事だな。

5.『黄色い糸電話(Yellow Tin Can Telephone)』監督:アルニマ・シャルマ

聴覚過敏でいつもヘッドホンをしている女の子と、色彩に過剰に共感覚を覚えてしまうがためにいつもサングラスをしている少年とのちょっと風変わりなボーイミーツガール物語。設定は相当非現実的ではあるが、だからこそファンタジックな味わいが物語に横溢しており、監督の多大な意気込みを感じた。所々ではストップモーションアニメも併用され、そのポップな雰囲気はインドのミシェル・ゴンドリーを目指しているんじゃないのか監督!?とちょっと思ってしまった。とはいえミシェル・ゴンドリーにしてはまだまだ薄味だし拙い部分も多々あるけれども、これからは思う存分やりたいことをやってくださいよ!と応援したくなってしまった作品であった。

6.『音(Dhvani)』監督:サップリヤ・シャルマ

死刑執行が間近に迫る死刑囚が看守に望んだ「たった一つのこと」とは?『アーザード~自由~』と並びシリアスな作品だが、この作品が目指したのは社会派的な問題作ではなく「罪を犯し死を目前とした男の生きる事の根源にあるものとは何か?」という非常に内省的なものだった。そしてそこに「ノイズ」がどう絡められていくのかが見所となる。インド映画の名バイプレイヤーであるサンジャイ・ミシュラー(最近作だけでも『Jolly LLB 2』『Baaghi』『Dilwale』『Kick』『Ankhon Dekhi』ときりがないほど)の演技が光る逸品だ。

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7. 『私はミア(MIA)』監督:サテーシュ・ラジ・カシラディ

頭を坊主に丸めたその少女は陰鬱な表情を浮かべながらたった一人の世界に閉じこもっていた。彼女はボーイフレンドに二人の行為をYouTubeに公開されてしまったのだ。少女の苦悩に満ちた心象をあまりにも痛々しく描くこの作品は、後半一転、魂の吐露とその発露の様を素晴らしい疾走感と共に画面に焼き付けてゆくのだ。世界に否定された彼女はそのギリギリの生の中から遂に世界へNO!という言葉を叩き付ける。自らを責め苛むノイズを自らがノイズとなってぶち壊してゆく、これはもうロックそのものとしか言いようがないお話じゃないか。『始まりは音から~インド詩七篇~』7作品を締めくくる良作だった。

まとめとして

アンソロジー『始まりは音から~インド詩七篇~』は様々なジャンルの作品が並び、その完成度はまちまちの部分もあるが、インドの映画界にどのような才能が眠っているのかを確かめることができる試金石のような作品として完成していた。また、インディペンデントなそれらの作風には通常目にするインド娯楽作とは違うインドの人々の生々しい生活や感情吐露が盛り込まれていた。

この作品は「インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン2017」の作品の一つとして日本公開が決定しているが、山ある娯楽作問題作の中でこのようなインディペンデント作品もまた公開されることは、「インドと日本それぞれの社会的文化的背景をもった映画をより多くの人々に鑑賞してもらう」というIFFJの開催趣旨に最も則ったことであるように思う。

ぶっちゃけこんな作品ばかりだとお客さんも呼べないだろうが、しかしたった1作でもあるということがIFFJの意義でもあるんじゃないかな(←偉そうな発言してしまいましたスイマセン)。というわけで『始まりは音から~インド詩七篇~』、インド映画に興味のある人はみんな観ようよ!とまでは言わないけど、娯楽作だけではないインド映画を観てみたい人には割といいんじゃないかな。

『始まりは音から~インド詩七篇~』予告編

www.youtube.com