精子ドナーになっちゃった!?〜映画『Vicky Donor』

■Vicky Donor(監督:シュージット・シルカル 2012年インド映画)


この『Vicky Donor』はタイトル通りヴィッキーという青年がドナーになる、という作品です。何のドナー=提供者かって?それはアナタ、精子バンクに自分の精子を提供するドナーのことですよ!
物語の主人公ヴィッキー(アーユシュマーン・クラーナー)はニートのボンクラ青年でしたが、そんな彼にチャッダー(アヌ・カプール)と名乗る医師が接触、「君の精子を提供してくれ!」と頼み込みます。チャッダーは不妊クリニックを営んでいましたが、精子提供者に碌な人間がおらず、若くて元気でおまけにニートなヴィッキーに目を付けたのです。最初は嫌がっていたヴィッキーでしたが、いざ始めてみると結構なお金になりウハウハ状態に。そんなある日ヴィッキーは銀行員の女性アシマー(ヤーミー・ゴータム)に恋をし、二人は結婚に漕ぎ着けましたが、ヴィッキーは自分の仕事が精子ドナーだということをひた隠しにしていたんです。しかし…といったもの。
精子ドナーが主人公!ということでキワモノっぽいテーマではあるんですが、確かに前半こそキワモノ的な可笑しさを醸し出してはいるものの、その後の展開に非凡さが光る作品なんですね。まず主人公は自分が精子ドナーということを家族にも恋人にも隠しているんですよ。もちろんそれはいかがわしい行為だと思われてしまうからなんですが、それが発覚して、やっぱり家族からは大批判に遭い嫁さんも逃げてしまいます。しかしそれはそんなにいかがわしいことなのか?というのがこの作品の本当のテーマになるんですね。
インドは家族主義であり、結婚は尊ばれますが、それは子供を作り血縁を残すという大前提があるからでしょう。そんな社会の中で、「子供ができない」という夫婦の辛さは、どこの国でも一緒であろうとはいえ、ことインドでも並大抵のものではないだろうと想像できます。そんな夫婦に福音をもたらしたのがヴィッキーの精子だった訳なのに、そのドナーという行為が誰からも否定されるんです。さらに、そんなヴィッキーの妻が不妊という烙印を背負っているという皮肉さえこの物語にはあります。そんな中で、「本当の幸福とはなんだろう?」という問い掛けがこの物語にはあり、それがクライマックスで大きく花開くんです。
また、物語には直接関係ないとはいえ、ヴィッキーの家族の出身がパンジャブ、妻アシマーの家族の出身がベンガルで、そのお互いの家族が「あんな地方の人間とは家族になれん!」といがみ合う部分が傑作インド映画『2State』を髣髴させて非常に面白かった作品でもありました。こんな作品を撮った監督のシュージット・シルカル、その後シリアスな『Madras Cafe (2013)』やディピカー・パドゥコーン主演のコメディ『Piku (2015)』なんかも撮ってますから意外と才人かもしれませんね。