■神の水 / パオロ・バチガルピ
■『ねじまき少女』パオロ・バチガルピの最新長編SF作品
近未来アメリカ、地球温暖化による慢性的な水不足が続くなか、巨大な環境完全都市に閉じこもる一部の富裕層が、命に直結する水供給をコントロールし、人々の生活をも支配していた。米西部では最後のライフラインとなったコロラド川の水利権をめぐって、ネバダ、アリゾナ、カリフォルニアといった諸州の対立が激化、一触即発の状態にあった。敏腕水工作員(ウォーターナイフ)のアンヘルは、ラスベガスの有力者であるケースの命を受け、水利権をめぐる闇へと足を踏み入れていく……。『ねじまき少女』で化石燃料の枯渇した世界を描いた作者が、水資源の未来を迫真の筆致で描く傑作。
化けた。傑作SF小説『ねじまき少女』を書いたパオロ・バチガルピがさらにとんでもない領域へと大化けした。
『ねじまき少女』(レビュー)は地球環境悪化とテクノロジーの暴走により異様な世界へと変貌を遂げた近未来を描いたが、同時に舞台であるバンコクの強烈なエキゾチズムが物語の展開をリードしてゆく物語でもあった。もちろん現代SFを代表する必読作ではあるが、環境問題+第3世界とは美味しい所狙ったな、という部分も若干感じなかったわけではない。続いて出版された短編集『第六ポンプ』(レビュー)やヤングアダルト向け作品『シップブレイカー』(レビュー)は「悪くないがこれが本領じゃないだろ?」という気もしていた。そんなバチガルピが満を持して発表した最新長編『神の水』、どうやら内容となるのは相変わらず「地球環境SF」なのらしい。しかも『第六ポンプ』収録の短編作品『タマリスク・ハンター』を発展させた作品、と聞いた時は「ああ、またね」とちょっと舐めた気持ちだった。ところが読み始めて、これがびっくり、想像を軽く飛び越えた凄まじい作品だったのだ。
■水の失われた世界
物語の舞台は近未来のアメリカ南西部。ここの各州が、今とんでもない渇水にさらされている。それもそのはず、もともとアメリカ南西部は砂漠地帯だったにもかかわらず、大規模灌漑と土木事業により無理矢理人の住める土地に変えていたからで、これが人口の爆発により遂に水源確保に破綻をきたしてしまったのだ。それによりアメリカ南西部の各都市はどうなったのか。なんと『神の水』の世界では 、枯渇した水資源の利権を巡り、アメリカの州と州が州境に攻撃ヘリを飛ばして睨み合い、州同士の越境は基本的に禁止となり、水源を失い難民となって住人たちは極貧のバラックに押し込められながらバタバタと死んでゆき、そしてその背後では水利権を我が物にしようと水道局同士がギャングを使って血が血を呼ぶ凄惨な抗争を繰り広げている、といった塩梅なのだ。物語では終始辺り構わず死体が転がっているという、もはや地獄絵図のような凄まじさだ。
SF小説はその「大法螺」を楽しむものだが、この『神の水』では「アメリカ南西部の渇水危機」という実際の社会問題を基にしながら、そこに「アメリカの州同士が対立し、越境は禁止、侵したものは死あるのみ」なんていう、有り得ないような「大法螺」を持ち込んだ部分にまず面白さがある。州と州が一触即発の臨戦状態にある、というのは、アメリカが国家としてもはや機能していない、という暗黒の未来図が物語の背景にあるからなのだろう。そしてこれは、現実問題として存在するラテンアメリカからアメリカ合衆国への不法入国禁止措置を、アメリカの州同士へと変えて見せたものなのだろう。そのせいか、物語全体にはラテンアメリカが現在抱える貧困と犯罪、そして命の安さを、そのままアメリカに移し替えたような暗澹たる光景が広がっている。
■荒涼たる終末の光景
物語の主要人物となるのは3人。「水工作員(ウォーターナイフ)」と呼ばれ、水源公社の命じるまま、水利権確保の為に汚れ仕事を請け負う殆どマフィアみたいな男、アンヘル。水問題を取材するためアメリカ南西部に移り住んだ女性ジャーナリストのルーシー・モンロー。難民となり貧民バラックで明日をも知れぬ生活にあえぐ孤独な少女マリア。この3人の物語が交互に語られ、それが次第に結びつき合って壮絶なクライマックスへと辿り着いてゆくのだ。
この物語の基本トーンとなるのはなによりもまず「水が失われたことにより崩壊した都市群」であり、「水利権の為には他人の命など顧みない有力者とその配下」であり、そして「アメリカ合衆国内で難民となりぼろ雑巾のように生きそして死んでゆく市民」だ。これはもう先ごろ公開され大ヒットした『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(レヴュー)そのままの終末の光景がある。しかし、『神の水』が多くの終末ストーリーと違うのは、世界が今まさに崩れ落ちてゆくその過程を描いていることだ。世界はまだ終わってはいない、そしてその終末を食い止めるために人々はひたすら奔走する。これは焼け石に水でしかないのか。最後の希望は残されているのか。この、絶望と終焉のぎりぎりの瀬戸際でもがきまわり、あがきまわる人間たちの姿がどこまでも生々しい物語なのだ。
■徹底して描かれる無慈悲な暴力描写
この世界で力のあるものはどこまでもその権勢を振るい、暴力も殺人も厭わず、力の無いものはただただ蹂躙され、死んでゆくのみだ。物語の主要人物3人はヒーローですらなく、それはたまたま物語の鍵を握ることとなるキャラクターであるだけで、それぞれは常に降りかかる運命に翻弄され続けてゆくことになるのだ。作品内で描かれる暴力の凄惨さは虐殺と私刑の横行するラテンアメリカの麻薬戦争そのままの地獄絵図であり、むしろこの物語の中心となるのはこの無慈悲極まりない暴力描写なのだ。いうなればこの物語は舞台設定こそSFだが、物語展開自体はダーク・ノワールのそれなのだ。
その為、お行儀の良いSF小説を期待して読むととんでもない虐殺描写にドン引きしまくるSFファンもいるかもしれないので注意が必要だ。だからむしろ最近流行りのスリップストリーム文学だと思って読むのが正しいかもしれない。自分などは麻薬抗争を描くドン・ウィンズロウの傑作小説『犬の力』(レビュー)を思い出した。どちらにしろ娯楽小説としてのポテンシャルは相当に高い。『ねじまき少女』においてバチガルピは崩壊する世界を夢幻の如き筆致で描いたが、この『神の水』においてはどこまで地を這いずり回るような荒涼たる現実を迫真の描写で描き出す。今年は『紙の動物園』(レビュー)も相当に深い感銘を与えるSFだったが、この『神の水』はそれと双璧をなすSF小説であることは間違いない。
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