母なるインドへ還れ〜シャールク・カーン主演映画『Swades』

■Swades (監督:アシュトーシュ・ゴーワーリカル 2004年インド映画)


アメリカ在住のインド人主人公が久方ぶりに故郷のインドの村に戻るが、そこで村の窮状を目の当たりにし、なんとかそれを変えてゆこうと尽力する姿を描いたドラマがこの『Swades』だ。主演はシャールク・カーン、ヒロインにガーヤトリー・ジョーシー。さらにこの作品、インド映画史に燦然と残る傑作『Lagaan』の監督アシュトーシュ・ゴーワーリカルが手掛けた作品でもある。そして音楽はA.R.ラフマーンが担当している。

《物語》インド系アメリカ人モーハン(シャールク・カーン)はNASAに勤めるエリート職員だったが、故郷のインドに暮らす乳母カーヴェーリー(キショーリー・バッラル)が恋しくなり休暇を取って故国へと向かう。モーハンはチャランプルという貧しい僻地の村に暮らすカーヴェーリーと再会し、そこで幼馴染の娘ギーター(ガーヤトリー・ジョーシー)と出会う。ギーターは地元で教師を務めていたが、貧困やカーストのせいで教育を受けられない子供がいることを嘆いていた。さらに村は、電気の供給が不安定であったりとか、昔ながらの差別意識に凝り固まっていたりとか、様々な問題を抱えていた。ローハンは困窮する村人たちに自分が何かできる事はないのか、と模索し始める。

名作『Lagaan』のアシュトーシュ・ゴーワーリカル監督作ということもあって期待はあったが、実際観てみると良い部分退屈な部分が半々で、実に惜しい出来の作品となっていた。そこそこにヒットはしたようだが、一般的にも評価のほうは分かれているように思える。最初に退屈だった部分を書くなら、物語が善意にまみれ過ぎているということだろう。しかもそれが、経済大国アメリカからやってきた、合理的精神に富み頭もよく稼ぎもよい好男子によって行われるのだ。そんな主人公が最初はバラバラだった村人をまとめ村の問題を次々に解決してゆく。主人公は村のために発電機を買い水路を整備し水力発電を可能にする。拍手喝采の村人たち。持てる者が持たざる者に奉仕する。ああなんと高潔で品行方正でそして当たり前すぎてつまらない物語なのだろう。この辺の物語運びは去年公開されたラジニカーントの『Lingaa』そっくりで、この『Swades』が元ネタかとすら思ってしまった。そして聖人君主な主人公の物語のつまらなさもまた一緒だ。

そういった退屈な物語であったにも関わらず、心に残る良いシーンも多いのだ。まずなによりインド農村地帯の田園風景や自然、そしてそこに暮らす村人たちの美しさだ。中盤で描かれる野外映画会のシーンでは、送電が途切れ映画会が中断されるが、シャールクが一計を講じ村人たちと夜空の星を見上げながら歌を歌う。非常にリリカルな一シーンだ。また、村で催されるダシャーラー祭で演じられたラムリーラーの舞台演劇では、ヒロイン・ギーターが中心となり歌い踊る。物語の流れでここまでツンツンしていたギーターが華やかな姿を見せ、これも見所となる。映画会にしろ祭りにしろ、実にインド農村の姿に密着した情景で、物語の内容も含め監督の故国への愛を感じさせるのだ。

主演のシャールク・カーンの魅力もまた物語を底上げしている。この作品に限らず、シャールク・カーンという俳優の巧さは世界レベルではないかと個人的には思う。演技の巧さはもとより、シャールクはその表情がいい。迷子の子犬みたいに寂しげな表情で目をウルウルなんかさせたら国宝級である。インドの宝シャールク・カーン。逆に、なぜそこまでシャールクが目立ったかというと、この物語のエモーショナルな部分がシャールクにしかなかったからだとも言える。ヒロインを演じたガーヤトリー・ジョーシーは端正な美人で存在感もあったが、映画出演は結局この作品だけになったのらしい。また、脇を固める俳優たちにも味があったし、A.R.ラフマーンの音楽も安定のクオリティであった。そんな具合にいろんな部分で勿体ない映画ではあった。

http://www.youtube.com/watch?v=NC7GuohSdWA:movie:W620