ジブリアニメ『風立ちぬ』は宮崎駿版「浪花恋しぐれ」だった…ッ!?

風立ちぬ (監督:宮崎駿 2013年日本映画)

風立ちぬ、今は秋。…いやまだ夏だろ?

宮崎アニメ『風立ちぬ』の公開が近づくにつれ、あちこちのメディア(と言ってもオレなんかパソコンしか見ないんだが)でその広告が目につくようになった。しかしその広告を見るたびに、全盛期でさえ別に好きでもなんでもなかった松田聖子の「風立ちぬ」のフレーズ(しかもうろ覚え)が何度も頭の中でリフレインされ、ある意味いい迷惑だったのである。しかも松田聖子の「風立ちぬ」の歌詞の一部「スミレひまわりフリージア」をずっと「スミレひまわり栗一夜」と思い込んでおり、栗一夜とは一体どんな一夜なのだろう、子供にはわからない何か栗にまつわる妖しく艶めかしくめくるめくような夜がそこでは待っているのであろうか、と密かに悶々とした夜を過ごしていた思い出があるのである。
…というのは勿論冗談だが、天下の宮崎駿の新作アニメが久々に公開、ということで、とりあえず観に行くことにしたオレだったのだ。実は大して期待して観たわけでもない『風立ちぬ」だったわけだが、観てみるとこれがぬぁんとあろうことか難病悲恋モノなうえに宮崎駿版「浪花恋しぐれ」だったもんだから「おお…宮崎駿が斜め上を飛んでおる…メーヴェで…」と絶句してしまったオレだったのでありますよ。

宮崎駿版「浪花恋しぐれ」(替え歌)

ヒコーキのためなら女房も泣かす
それがどうした 文句があるか
雨の飛行場 設計事務所
航空力学 戦闘機
今日も呼んでる 今日も呼んでる
ど阿呆堀越二郎


(セリフ)「そりゃわいはアホや ド近眼やし セリフも棒読み
せやかせ それもこれも みんな ヒコーキのためや
今にみてみい! わいは日本一になったるんや
日本一やで わかってるやろ 菜穂子
なんやそのしんき臭い顔は
計算尺や! 計算尺や! 計算尺買うてこい!」


そばに私が ついてなければ
なにも出来ない この人やから
泣きはしません つらくとも
いつかヒコーキ界の華になる
惚れた男の 惚れた男の
でっかい夢がある


(セリフ)「好きおうて一緒になった仲やない
あなた設計しなはれ ヒコーキ飛ばしなはれ
あんたが日本一のヒコーキ屋になるためやったら
うちはどんな結核にも耐えてみせます」


凍りつくよな 浮世の裏で
耐えて花咲く 夫婦花
これが俺らの 恋女房
あなたわたしの 生き甲斐と
笑うふたりに 笑うふたりに
飛行場の春がくる

…いやあ、我ながら意外と間違ってないなあこれ。

■お仕事大好きヒコーキバカ一代な男の物語

表現のあり方として観るならば、例えば戦前の日本の情景や人々の暮らし振りなんていったものがあたかも黄金期のイタリア映画(とか言ってたいして観たことないんですが)でも観ているかのように豊かな色彩と情緒でもって描き切られているんですよ。現実と妄想が渾然一体となって交じり合いながら進んでゆく展開は巧みだし、その現実自体もどこか幻想的で夢幻めいた瞬間を生み出していて、そこで差し挟まれる効果音の在り方も独特の使い方をされ、この辺の表現力や描写力といったものの確かさ、そしてそれを生み出すことの出来る力量、そういったものは宮崎だからこそと言っていい程の素晴らしい効果をあげているんですよ。
でもそこで描かれている物語っていうのは平たく言えばお仕事大好きヒコーキバカ一代な男の物語なわけで、まあなにかにとことん打ち込む男ってぇのは確かに素晴らしいかもしれませんが、それに結核で病弱の女子巻き込んで「ボクチンはお仕事辞めるつもりはないけど君は病気をおしてボクチンの側にいてね」っちゅうのはいったいどういう神経なんだろ、と斯様に思ったわけなんですよ。
それが男の仕事だとか仕事が男の本分だとかって言われてもねえ、両立難しいんだったらパキッと割り切ってどっちか取れよ!女捨てて仕事取るか仕事捨てて女取るかしろよ!んな煮え切らねえザマで何が男だよ!などとオレなんかは思うわけですよ。そもそも嫁さん愛してるんだったら嫁さんの幸せとか長生きとかまず第一に考えろよ!結局嫁さん愛してるとか言ってたけどそれは「…ヒコーキの次に」ってことなんだろ!と映画観ている間中なんだか微妙にイライラしてたんですよ。

■ヒコーキって綺麗だなあ(棒読み)

結局この映画は宮崎さんのヒコーキへの偏愛振りに無理矢理お話をくっつけただけのものであって、要するに日本アニメ界最高峰の技術力をブチ込んで制作された宮崎駿ただ一人の為の極私的な(悪く言えばオナヌー)映画ってことだったんじゃないですかね。なんかこう映画スクリーンの向こうに宮崎さんがアヘ顔浮かべなら身をくねくねさせて「このリベットの部分が好きッ!」とか言いつつ悶絶する姿が透けて見える様なお話だったでありますよ。ヒコーキが好きで好きで堪らないのはいいんですがなんかここまでやられるとイヤオレはヒコーキそんなに興味ねーし勘弁してくれもう押し付けるのはやめてくれって思っちゃいましたね。
ある意味この『風立ちぬ』は宮崎駿版「プロジェクトX 挑戦者たち」ってことも言えますね。主題歌が中島みゆきじゃなくて荒井由実ですけどね。どちらも気色悪い歌い方をする歌手だってのは一緒ですが。「プロジェクトX」は高い技術力と涙ぐましい努力で完成した高度経済成長期の男の夢!ってやつを描いたドキュメンタリーですが、泣かせと美談にもっていきたいばかりに事実の一面しか描いていないという批判があったように、この『風立ちぬ」でも最新鋭ヒコーキの完成に打ち込む主人公の夢と努力とその成功をクローズアップさせながら不憫な嫁の最期と完成したゼロ戦戦闘機が最終的に至った惨禍はムニャムニャっと描かれるだけで、そのくせこの映画のコピーが「生きねば」だっていうからそのちぐはぐさになんだか笑っちゃうんですけどね。で、そこまでしといて結局最後は「ヒコーキって綺麗だなあ」って、いやあ、ええっとあの、なんつーか、ホントにおみそれしました!

絶対読むべき名作 風立ちぬ

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