■クレイジーズ (監督:ブレック・アイズナー 2010年アメリカ映画)
アメリカの小さな町で奇妙な殺人事件、未遂事件が立て続けに起こる。犯人は皆感情を無くし呆けたようになり有様になり、そしていとも無造作に人を殺すようになるのだ。保安官デヴィッドは川に墜落した謎の飛行機の積荷が飲み水を汚染したせいではないかと疑うが、時既に遅く町では不気味な殺人が吹き荒れ、さらに軍特殊部隊が町を封鎖し住民を強制隔離、感染者・非感染者にかかわらず殺戮を開始した。デヴィッドと妻、その仲間らは脱出を試みるが、彼らの中にも感染者はいるのだった…。ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロが1973年に製作した『ザ・クレイジーズ』のリメイク作品。
これは面白かった。ひょっとしたら今年公開されたホラー映画の中でもダントツの出来かもしれない。いわゆるゾンビ映画の亜流のように思える映画だが、観るとそれとは別種の恐怖が描かれた映画であることが分かってくる。確かにゾンビ映画のなかには"軍開発の謎のウィルスの感染者がゾンビと化して襲ってくる”という設定のものはよくあるが、この映画では食人したり噛まれたものがゾンビ化するという”ゾンビ・ルール”が存在しない。感染者は人間としての感情だけを無くし、殺戮を好む殺人嗜好者と化して人々を殺し始めるのだ。例えばゾンビというものが《死》そのもののメタファーだと考えると、この映画における"感染者”は、《暴力》のメタファーであると捉えることが出来る。そこにさらに投入されるのが"軍隊"という暴力機関であることも合わせ、この映画のテーマとなるのは世界に遍く存在する《理不尽かつ謂れなき暴力》だということができるだろう。
1973年製作のロメロ・オリジナル作品では、感染者、正常者、そして派遣された軍隊までもがパニックの渦の中に巻き込まれ、全てが混沌とした騒乱の中で右往左往する気の狂った世界を描いていた。そこで描かれる《混乱》こそがロメロ・オリジナルのテーマであり、そこにはロメロらしい当時のアメリカ社会への批評もあったのだろう。しかしこのリメイクでは、テーマを《暴力》とすることによりより身近な恐怖を描くことに成功している。それは隣人がいつ殺人者になるかもしれないという恐怖、町で見知らぬ者が突然襲ってくるかもしれないという恐怖だ。しかもその数は多数であり、言ってみれば津山事件やバージニア工科大学銃乱射事件の犯人みたいな連中が町にゴロゴロいて、あちこちでうず高く死体の山を築いているという状態なのだ。そしてそこに投入された軍隊の行為の無慈悲さはジェノサイドとしか言いようのないものであり、これは世界の様々な国の歴史に幾らでも存在する血塗られた《暴力》行為そのものとして描かれるのだ。
演出も緩急のテンポが非常に秀逸で飽きさせない。主人公たちを見舞う事件や危機を描くシーンとそれを繋ぐドラマのシーンのテンポが実によく、物語がスピーディーに進行してゆくのだ(さすがに墜落飛行機を見て「これが感染源だ」と特定し水源を絶つのは端折り過ぎだとは思ったが)。そしてホラー映画のお楽しみ、殺戮シーンのバラエティが豊富だというのもいい。手術用回転ノコが襲うシーンでは思わずニヤニヤとしてしまった。軍隊が火炎放射器、爆撃などあらゆる手段を使って町民を亡き者にする場面もいい。田園の広がるのどかな田舎町で巻き起こる国家規模の陰惨な大量殺人という対比も面白い。アウトブレイクの恐怖を描いたホラー映画、パニック映画というのはあれこれあるし、題材としての新しさはないかもしれないが、この作品は演出面の手堅さにより一つ図抜けた作品に仕上がっていると思う。