■ルイーサ (監督:ゴンサロ・カルサーダ 2008年アルゼンチン・スペイン映画)
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。60歳になるルイーサは掛け持ちしていた二つの職を同時に失い、さらに愛猫にまで先立たれる。夫と娘は既に鬼籍に入り、身寄りもなく知り合いもなく、蓄えさえ底を付いた彼女が思い立ったのは、地下鉄で物乞いをすることだった。
物乞い老女の物語である。こう書いてしまうと悲惨で暗澹としたやるせない現実を描いた物語のように思えてしまうが、確かにしんどい現実を描いたものなのだけれども、老女ルイーサはいつまでもグダグダと悩むことなどせずに、あっさりと「そうだ、物乞いしよう」と思い立ち、行動に移してしまうのである。いやしかしそれほどスッパリした行動力があるなら、何故に「失職」即「物乞い」という短絡になっちゃうのか最初ちょっと疑問だった。他に選択する道がなかったのか?彼女はそれでしか生活の糧を得ることが不可能だったのだろうか?
しかしその疑問は、映画を観ているうちに段々と氷解してくる。ルイーサは、生活費を稼ぐ為に物乞いを始めたのではない。彼女は、家族を亡くした彼女の唯一の伴侶であり友人だった、飼い猫の葬式を出したい、ただその思いだけから、とりあえず手っ取り早くお金が手に入りそうな物乞いの生活に突っ走ってゆくのだ。その短絡には失職のショックというのもあっただろう。しかし彼女がまず成さなければならないと思ったことは、自分の生活を立て直すとかどうとかいうことではなく、"猫"という愛情の対象を弔うことだった。そしてそれは、かつて愛する家族を失った彼女の、無念と孤独に満ちた人生を、幾ばくか贖ってくれた者への、人生全てを賭けた感謝の念だったのだ。
南米の国々というのは慢性的に深刻な経済不況に至っているようなイメージではあったが、ブエノスアイレスのような都市でさえ実際これほど物乞いが多いのか?という疑問もあった。それでブエノスアイレス関連のブログを探して幾つか拾い読みしたところ、確かに多いのらしい。それも映画と違い子供の物乞いが多いのだとか。電車の中を渡り歩きカードを配って小銭を要求するという、映画でルイーサがやっていた物乞いもやはり見かけるという。アルゼンチンは2002年の経済危機により急激に失業率が高まり、国民の56%が貧困層へと追いやられ、見かけはごく普通ではあるが文無しの人たちが町に溢れていたのらしい(現在の経済状況はかなり持ち直してきているようだ)。ルイーサが仕事を掛け持ちしてまで働いていたのに、これほどまでに困窮していたのにはそういった理由もあるのだろう。
失業や生活不安など、日本にいても身につまされる物語だが、映画のトーンは暗くない。どことなくコミカルであり、さらに、ルイーサを心配しお節介を焼くアパートの管理人の姿や、最初は憤慨していたものの次第に打ち解けあう物乞い仲間などが描かれ、人々が意外と助け合いに積極的に見えたりもする。そこにはラテンアメリカの開放的で楽天的な民族性もあるのだろう。そして、これもラテンアメリカらしく、音楽がなにより素晴らしい。さらにシンメトリーを多用した構図や、ブエノスアイレスの町を俯瞰した美しいショットなど、撮影にも非凡なものが光る。家族を亡くした悲しみから、最初は周囲に対して意固地なまでに打ち解けようとしなかったルイーサだが、最終的に信頼できる友を得る。これからも困難な道を歩くことになるだろうが、悲しみを乗り越えた彼女は、きっと以前よりも強く生きていけることだろう。