新しい自意識の芽生えと自己実現〜サタジット・レイ作品『チャルラータ』

■チャルラータ (監督:サタジット・レイ 1964年インド映画)

1880年カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の編集長であり社長でもあるブポティを夫にもち、何ひとつ不自由ない生活を送っていた。しかし、年中多忙な夫は、ほとんど妻の相手をしようとしない。仕方なく、日がな刺繍をしたり小説を読んだりして寂しい毎日を送っていた。
そんな中、大学の休暇で夫の従弟であるアマルが訪ねて来る。詩を口ずさみ、文学に詳しいアマルの出現は、チャルラータにとって生きる喜びだった。また、アマルもチャルラータが並々ならぬ文才をもつことに気づき、ほのかな想いを抱き始める。しかし、ある日、新聞社の経理が社の金を持ち逃げしたことを契機に、3人の関係に大きな変化が訪れる… (公式HPより

『ビッグ・シティ』(1973)に続きサタジット・レイが監督した映画『チャルラータ』は、『ビッグ・シティ』より時代を遡り、イギリス統治末期である1880年カルカッタを舞台にしている。物語は有閑階級にある一人の婦人の孤独と渇望を描いたものとなる。原作はノーベル文学賞受賞作家タゴールの小説「破れた巣」。サタジット・レイはここでも『ビッグ・シティ』同様脚色・監督・音楽を一人で兼ねている。
社長夫人チャルラータ(マドビ・ムカージー)は豪華な屋敷で何不自由なく暮らす女性だったが、しかしそれは屋敷から出ない籠の鳥のような生活でもあった。夫ブポティ(ショイレン・ムカージー)は仕事に忙殺され相手にしてくれず、使用人と会話する以外は外の世界との接触が皆無だった。しかしそこに夫の従弟であるアマル(ショーミットロ・チャタージ)がやってきたことで彼女の生活が一新されるのである。
ここで夫ブポティと従弟アマルは対称的な性格として登場する。ブパティは夢想家であり理想主義者だ。政治的にはリベラルでありながら実生活は保守的であり権威主義者でもある。一方アマルは現実的であると同時に楽観主義者であり、亭楽を愛し直観的に行動する。その分どこかお気楽野郎のように見えてしまう。共通点は主人公チャルラータも含め、知性が高く理性的でありモラリストである部分だ。そして知的で理性的であることが映画において彼らを魅力的に見せ、同時にそれが彼らの陥穽となる。
チャルラータはアマルに夫ブポティにはないあけすけな自由さを感じ、それにより彼女は次第に明るく開放的になってゆく。人妻チャルラータがアマルに恋慕の念を抱くのは時間の問題だった。しかしそれは情愛だけのものではなかったように思う。厳めしい豪邸の閉め切った部屋の中で籠の鳥となっていた彼女にとって、アマルは外の世界の空気を運んでくる風であり光であり、そして匂いだった。彼女とアマルとが庭で語らいブランコを漕ぐ美しいシーンの解放感は、それは彼女の心象そのものだったのだろう。そこで彼女はやっと生き生きと生きることがどういうことなのかを知るのだ。
この物語で出色だと思ったのはアマルの書いた小説が雑誌に載った時のチャルラータのリアクションだ。ここでチャルラータは喜ぶでも褒めるのでもなく、悔しさに号泣するのである。チャルラータもアマルに小説を書くことを勧められていたが彼女は断っていた。しかしアマルの雑誌掲載により、彼女は一念発起して小説を書きあげ、自らも見事雑誌掲載される。ここでの鼻高々な彼女から垣間見えるのは情愛とは全く別の対抗意識であり、勝利感である。では彼女はなぜ悔し涙を流し、そして何と対抗し、何に勝利したのか。
文学を愛するチャルラータに、小説を書くことなど造作ないことだったはずだ。しかし最初それを断ったのは、「決して出しゃばらない家庭の主婦」という隷属意識からだったのではないか。しかしその雑誌掲載の栄誉を、目の前の男が易々とさらってしまう。自分が「決して出しゃばらない家庭の主婦」にこだわってしまったばかりに。だからこその涙だったのだ。そして彼女はそれまで自分を縛っていた意識を捨て去り、それにより自らも雑誌掲載の栄誉を得る。彼女が戦い、そして勝ったのは、それまでの自分自身だったのではないか。この映画では、こういった複雑な感情の機微をさりげなく描く部分が白眉だと思えた。
こうして映画『チャルラータ』は、サタジット・レイの前作『ビッグ・シティ』同様、女性の新しい自意識の芽生えと自己実現の在り方を描いたものとして展開してゆく。表面上この映画は有閑夫人のほのかな恋を描いたものなのかもしれない。しかしその本質にあるのは、自分がどう生き、どう変わっていこうとしているのかを模索する者の物語なのだ。そしてそれらは様々な波乱を含みつつ、余韻の残るラストへと収束してゆくのである。
こういった物語のみにとどまらず、カメラワーク、カット割り、照明等その映画技術は流麗かつ端正を極め、そしてその映像ははっとさせられるほど美しく、当時からインド映画がどれだけ高い水準で製作されていたのかをうかがわせる。1964年公開という古さを全く感じさせない、ベンガル映画の文学性の高さを再確認させる傑作であった。1965年ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞/1965年アカプルコ国際映画祭最優秀賞受賞/1964年インド国際映画祭最優秀賞受賞。