■ホルテンさんのはじめての冒険 (監督・脚本・製作:ベント・ハーメル 2007年ノルウェー映画)
『ホルテンさんのはじめての冒険』である。今年6歳になるようぢょホルテンちゃんが病気のお婆ちゃんを見舞いにはじめてのお使いをする、という映画ではない。勇者ホルテンが剣と盾を携え山奥に住むというドラゴンを征伐するため冒険の旅に出る、というお話でもない。映画はノルウェーの街で電車を走らすベテラン運転手・ホルテンさんが主人公なんである。40年も勤め上げた仕事を本日を持って退職することになったホルテンさん。しかしいつも通りの一日が終わる筈だったその日、ホルテンさんには思いもよらぬ出来事が立て続けに起こるのであった。ホルテンさんは無事に退職することができるのか!?という映画なんである。
ノルウェー映画である。北欧なんである。北欧の映画というとフィンランドのカウリスマキ兄弟、デンマークのラース・フォン・トリアー、スウェーデンのイングマール・ベルイマンやラッセ・ハルストレムあたりがいるが、オレはそれほど観たことが無い。カウリスマキ兄弟は変な間と変なノリをしてたなあ、とか、ラース・フォン・トリアーは暗くて底意地の悪いイヤ〜な映画を撮るなあ、とか、イングマール・ベルイマンはよく分かんないからいいや、とか、ラッセ・ハルストレムは綺麗だけど趣味じゃないな、とか、そんなもんである。しかしフィンランドのオコチャマ主演映画『ヘイフラワーとキルトシュー』は大変楽しく観させてもらった覚えがあるが、あれもなんかやっぱり妙なノリであった。北欧といえばどこか豊かなイメージがあるし、福祉国家であったりとか立憲君主制の王族がまだいたりとか、オレがガキの頃はフリーSEXだと聞いた農協のおっさんたちが大挙して訪れて袖に振られたとか、シュールストレミングだのサルミアッキだの話し聞いただけでもありえねーだろ、と思わせるものを食ってたりとか、なんか分かってるようで実はよく分かんない国々のような気がする。だって、あのアバがいたぐらいなんだぜ?
さて映画『ホルテンさんのはじめての冒険』である。最初はこの映画、ポスターのノホホンとした雰囲気に惹かれて観に行ったのだ。仕事一筋で生真面目に生きてきたホルテンさんが退職するというその夜に、列車運転手としてはあるまじき"脱線"に巻き込まれる(うーん上手いシャレだ)、といった笑いあり涙ありのドタバタ・ヒューマン・コメディみたいなもんを想像していたのである。オレももう齢40を過ぎ50へと手が届きそうな歳になり、青春18切符よりもシニア割引「大人の休日倶楽部ミドル」のほうが圧倒的なリアリズムを帯びてきたという今日この頃、ハートフルでハート・ウォーミングで「素晴らしき哉我が人生」としみじみといえる様な頭にも心にも優しいドラマが観たくなってきたのである。もうゲロゲロホラー観ながら「グヘヘヘヘ!血だ臓物だバラバラ死体だ!みんなみんな死ねばいいんだああああ!!」とか、バカアホタコ映画なんぞを観ながら「ウンコチンコマンコ!バカサイコー!ウピョピョピョー!」とか言っていられる歳ではなくなってきているのである。
そんな風に期待して観始めた『ホルテンさんのはじめての冒険』であるが、北欧映画のせいか、やはりなんだかノリが変なのである。間がミョーなんである。ノホホンというよりボケーッとしてるんである。涙と笑い、というよりも不条理と不可思議なんである。盛り上がるわけでも盛り下がるわけでもなく、なんか淡々とドタバタしてるんである。淡々としたドタバタ、というのも変な言葉だが、主人公ホルテンさんがすっかり老成して枯れ切っているせいか、普通ならああでもないこうでもないとジタバタするところを「ま、こんなもんだろ」とあっさり受け流してしまうんである。それじゃあドラマが生まれないといえばそれまでだが、考えてみれば定年退職するジジイがギャースカ泣いたり喚いたりするドラマっていうのもある意味嘘臭いというかワザとらしい気もするし、何が何でも盛り上がんないと駄目なんだああああ!という感動乞食・感動貧乏みたいなのも、そんなのせいぜい10代までにしてくれ、と思えてくるこのオレのお年頃なんである。
そうは言いつつもホルテンさん、芳醇の歳を迎えたとはいえ、やることがちょっと常識から外れていたりはするのである。なんとなく不法侵入はしちゃうし、こっそりと人のものをかっぱらってきちゃうし、年寄りだから何でもアリって訳じゃないだろ?とは思ったのである。熟年映画というよりも、認知症映画か?とさえ思ったぐらいである。しかしここでちょっと考えた今年47歳になるオレである。実は、年寄りというのは、何でもアリなんである。社会的立場をかさに来て偉そうにするとか、知性が鈍磨するとかもあるが、結構いい年になっちゃうと怖いもんが無くなる、というのはあるのである。人生いっぱいアレコレやってきてるんだから今更とやかく言われる筋合いは無いよ!ということである。良いとか悪いではなくオレ世界ではオレ一番なんだからオレの好きなようにやらせてもらうからね!ということでもあるのである。心の中でオレ専用オーケストラが交響曲を高らかに鳴り響かせているのである。若者にはそれは不条理に見えるかもしれない。理不尽に見えるかもしれない。しかし許してあげてくれ。少なくとも、年寄も、そしてオレも、君たちよりは早くくたばるのだから。