先日映画『ハンコック』を観に行った時の話である。オレの一つ隣の席に座ろうと、見るからに怪しい風体のおっさんがヨタヨタとやってきたのである。小柄、というよりはなんだか萎んでいるみたいに見えるそのおっさんは、両手にビニール袋を幾つも下げ、ガシャガシャとビニールの擦れる音も盛大に席に座ったのだ。その際脇に抱えたビニール傘が、隣に座っていたニーチャンを刺しそうになったことも付け加えておこう。
そしてこのおっさん、映画が始まるとコップに入ったアイスコーヒーをストローでジュウジュウ飲みやがる。コップのコーヒーが無くなっても、最後に残ったしずくを吸い尽くす為にさらにジュウジュウジュウジュウ吸いまくる。挙句の果てにはコップの蓋を開け、ストローの先でコップの底を擦り取るようにジュウジュウジュウジュウ吸いまくってるんである。…おっさん。そんなに喉乾いてるんならもう一個買ってこいよ…。
さらにこのおっさん、鼻が詰まってるのか、息をするたびにスピースピーと気の抜けた音を立てる。あと飲んだコーヒーのゲップを小分けにしてゲプ。ゲプ。ゲプ。とやらかす。さらに時々ムニャムニャと聞こえるか聞こえないかぐらいの声を出して何か呟いている。即ちこれらを総合すると、ジュウジュウジュウジュウスピースピーゲプゲプムニャムニャジュウジュウスピースピーゲプムニャゲプスピーとなり、もうやかましくてしゃーないんである。
まあ温和で寛大で度量の広い落ち着いた大人であるこのオレ様はそんなことぐらいでガタガタ騒いだりマナー原理主義者の皆さんのように小市民であることの権利と義務をグダグダ振り回したりすることはどうにもケツの穴のちいちゃいことよのうと常日頃思っているので、その程度は許容範囲か、と我慢していたのである。するとアナタ、今度はそのおっさん、携帯電話の着信音を盛大にチュルリラチュルリラ鳴り響かせるではないか!この辺でいよいよこのオレも腹の中にグラグラと来るものを感じ始めたのである。
まあしかし、さすがにおっさん着信音はすぐ切って映画を観はじめたから、ここは取り合えず勘弁してやろうとオレも気を落ち着かせ、スクリーンのほうに集中したわけなのである。なにしろオレは温和で寛大で度量の広い落ち着いた大人なんだからね。なんだからね!で、また暫く経って映画も佳境にさしかかろうという時だ。プギュウプギュウと音がするのだ。…そう。またおっさんである。おっさん疲れてんのか映画の意味が分からないのか寝入っちゃって、プギュウプギュウといびきを掻き始めたのである。さらに寝ながら足をジタバタさせてるもんだから、靴が床を擦ってキュッキュッキュッキュッといってるんである。プギュウプギュウキュッキュッ。プギュウプギュウキュッキュッ。オレの頭の中で何かがプチッと弾けるような音がしたのは気のせいではあるまい。
遂に堪忍袋の緒が切れたオレは、こりゃもう一言言っておかないと気がすまねえ!とばかりに立ち上がろうとしたのだ。するとおっさんフッといびきの音を止めるとそこでパチッと目を覚まし、ここがどこで自分が誰か分からないといった表情であたりをキョロキョロ眺め回しているのである。時期を逃したオレは煮え切らない思いで再び自分の席に深々と腰を下ろし、ああこりゃまともに相手が出来る人間ではないのだな、とすっかりあきらめモードだ。しかし散々騒音聞かされてムカムカしてもムカムカしたほうが損だとは世の中理不尽である。
いつしか映画も終わりタイトルロールが流れ始めると、オレを散々悩ませたおっさんはそそくさと帰り支度を始め席を立った。そして通路を通る時スクリーンを遮らないように頭を低くして出口に向かうおっさんだ。おっさん…それって気を使ったのかよ…あのなあ、気を使うべき所はもっといっぱいあったはずじゃないのかよおっさんよおぉおぉッ!と激高するオレの心の叫びは虚しく映画館の暗がりに飲み込まれていったのであった。
しかし映画館でやられると嫌なことをことごとく遣り遂げたこのおっさん。カードゲームだとロイヤルストレートフラッシュ級の超絶さだったのではないかと今にして思うこのオレなのであった。