エア / ジェフ・ライマン (前篇)

エア (プラチナ・ファンタジイ)

エア (プラチナ・ファンタジイ)

ジェフ・ライマンの長編小説「エア」のレビュー、ちょっと長めだったので今日と明日の2回に分けてお送りします。

■誰も知らない地球の片隅の村で

近未来の架空のアジア小国、その片隅にある貧しく小さな村。ここで”脳内ネット環境”《エア》の試運転が行われる所からこの物語は始まる。世界からもテクノロジーからも忘れ去られたこの村で、《エア》に触れた主人公チュン・メイはこれこそが村を、村の人々の暮らしを変えるものであるのだと気付く。しかし旧弊な慣習や人間関係のしがらみから離れられない村人たちは、誰もメイの言葉に耳を貸さなかった。もはや世界から取り残された生活を続けている場合ではない、メイは村人たちの無理解と戦いながら、新たな世界で生きる流儀を模索し始める。

この小説《エア》の中心となる”脳内ネット環境”《エア》はテクノロジーとして少々分かり難い。サイバーパンク小説によく登場するインプラントやワイアー接続を使用せず、ただ生身の状態で脳がネットをラジオのように受信・受像するものとして描かれる。それのみならず試運転事故の発生により、ある老婆の記憶と人格データが他者であるメイの”メールボックス”なるものの中に転移し、そこであたかも実際に生きているかのように振舞うようになる。《エア》がどういう仕様と構造を持ったテクノロジーなのかは定かではないが、これは科学的に説明不足だし、ちと無理のある設定なのではないか。

しかしここで《エア》を一つの寓意的なテクノロジーとしてみるなら、この物語の主題が明らかになってくるだろう。実際のところ、最先端テクノロジーのように描かれる《エア》ではあるが、要するにこれはIT過疎地に突然世界水準のテクノロジーが導入されたことによるカルチャーショックの物語であり、そしてそれは《エア》という名に見せかけてはいるが、今現在ごく当たり前のように普及している、インターネットという地球規模の情報をインタラクティブに体験できるツールが寒村にやってきた、というだけのことなのだ。

■フラット化する世界

トーマス・フリードマン著『フラット化する世界』では、パソコンとインターネットの普及による世界規模のグローバリゼーションの波が、国家/企業/個人へと順に押し寄せ、世界全体をアウトソーシングの場とする、いわゆる”フラット化”された経済活動が起こっている現代の状況を考察しているが、この《エア》で描かれているのはまさにこの”フラット化”された現実を、SFの手法で脚色した御伽噺なのだと思う。そして舞台をIT過疎地である架空の村に設定することにより、フラット化の波がそれまで何も知らなかった人々に及ぼす劇的な変化を描こうとしたのだろう。さらにその村の所在地をアジアの小国、とすることにより、欧米先進国中心にそれまで主導されてきた経済活動が、辺鄙な第三世界の国に住む人々でさえ十分対抗しえるものへと変化してゆく様を描いたものでもあるのだろう。

だがしかし、ここで忘れてはならないのは、作者ジェフ・ライマンが単にこういった文化的対比を明確にする為にのみアジアの小国とその村を舞台に選んだのではない、ということである。寡作家であり、この《エア》以外では『夢の終りに…』という長編小説と他2、3の短篇しか訳出されていないジェフ・ライマンであるが、彼の描く物語が持つテーマは、世界規模で起こる経済活動の変化、などでは決して無いからなのだ。

(続く)

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)

フラット化する世界 [増補改訂版] (下)

フラット化する世界 [増補改訂版] (下)