20世紀SF(5)1980年代 冬のマーケット

20世紀SF〈5〉1980年代―冬のマーケット (河出文庫)

20世紀SF〈5〉1980年代―冬のマーケット (河出文庫)

河出文庫から出ている20世紀SF短編集の5巻目。他の巻は読んでいないのだが、今回何故これを手にしたかというと、この間読んでいたく感動した長編『エア』の作者、ジェフ・ライマンの短篇が収められていたからである。他にも、1980年代SFといえば、サイバーパンクが隆盛を誇っていた時期であり、それを中心に集められた短編集ということに興味が湧いたわけだ。
それにしてもラインナップが凄い。ウィリアム・ギブソンブルース・スターリングをはじめ、グレッグ・ベア、イアン・ワトソン、オーソン・スコット・カード、コニー・ウィリス…と、並べていけばきりが無いほどの超豪華メンバー。いやあ、これは読んでなくちゃマズイだろ。という訳で収録された作品をざっと紹介してみます。

◆冬のマーケット/ウィリアム・ギブソン
サイバーパンク作家として名を馳せるギブソンだが、その作品は社会から逸脱したアウトサイダーを多く描いているように思う。この「冬のマーケット」も”フリークス”な女と音楽業界に身を置くしがない男とのもの悲しい話である。内容はいわばギブソン流「接続された女」といったところか。

◆美と崇高/ブルース・スターリング
テクノロジーの発達により変容した意識を持つ人々が生きる社会を描いた物語。スターリング作品だがちょっと退屈だったな。

◆宇宙の恍惚/ルーディ・ラッカー
何をやっても駄目な男が思いついた宇宙セックスの全世界配信。バカ小説。このグローバリゼーションが未来的、ということかしらん。

◆肥育園/オーソン・スコット・カード
肥満するたびにスマートな自分のクローンへと意識を乗り換えてダイエットするというグロテスクな物語。皮肉なラストだが、一捻りすればブラックなユーモアを持った作品に出来たかもしれない。

◆姉妹たち/グレッグ・ベア
遺伝子操作により優れた子供を作り出すことが可能になった未来。そんな世界で、遺伝的に操作されていない”ナチュラル”な体で生まれた少女の、新世代の子供達への強い羨望と嫉妬を、瑞々しい筆致で描いた感動傑作。SFとしても優れているが、他者への劣等感、世界との違和感、社会からの疎外感など、多感な青春期を経たものなら誰でも持ちえたような感情をSF作品として昇華させた、一つの青春小説としても読むことができる、非常に味わい深い一作だった。

◆ほうれん草の最期/スタン・ドライヤー
パーソナル・コンピュータがやっと世間一般に出回り始めた当時の時代に、コンピュータ・クラッキングについて書かれた物語。時代を感じさせるけれどもこれはこれで面白かった。

◆系統発生/ポール・ディ・フィリポ
異星人により地球侵略された人類が、バイオテクノロジーによりあたかも細菌のような生命になって生き延びるという話。疑問点はあるが、異様な着想が素晴らしい。

◆やさしき誘惑/マーク・スティーグラー
ナノテクノロジーによって究極の形態まで進化してゆく人類を描いた力作。夢物語といえばそれまでだが、テクノロジーが幸福な形で人類の未来に寄与するヴィジョンを思い描くのはSFの一つの役目であり、そういった未来に思いを馳せる事もまたSFを読む楽しみなのだと思う。

◆リアルト・ホテルで/コニー・ウィリス
量子力学学会を舞台にした量子力学的ドタバタ。でもコニー・ウィリスのコメディって苦手なんだよなあ。

◆調停者/ガードナー・ドゾワ
高潮によって危機に瀕した人類と、カルト教団の物語。テーマがちょっと古臭いような気がした。

◆世界の広さ/イアン・ワトソン
世界が突然広がってしまい、移動時間がメチャクチャ掛かってしまう…という奇想天外な物語。イギリス作家らしい皮肉なユーモアセンスが光る良作。

◆征(う)たれざる国/ジェフ・ライマン
ラストはこの短編集の中でも白眉だったジェフ・ライマンの傑作短篇。近未来、隣国と戦争を繰り広げているアジアの架空の国。バイオテクノロジーで作られた生体兵器が空を覆い、おぞましい武器で人々を皆殺しにしている世界。主人公は貧しい村に住む一家の三女。彼女の一家は戦争により皆死に絶え、戦禍を逃れた彼女は都会へと移り住む。彼女の国は隣国に征服され傀儡政権が発足するが、そんなある日、彼女は隣国の兵士と恋に落ちる――。
テクノロジーにより異様に変容した世界と、そのテクノロジーがあっても未だ貧しく悲惨な生活を続け、ただ蹂躙され虫けらのように死んでゆく人民たち。ジェフ・ライマンはこれらの世界を、悪夢のようなビジョンと幻想的な筆致で描き出す。しかしここで描かれた世界はただ空想の中にのみ存在するものではない。これらは、現実のこの世界の、どこかの国で起こったであろうことを、SFの文脈でもって”幻視”したものなのだ。
それはアメリカ軍の落とすナパーム弾によって焼け野原にされたベトナムの地かもしれない。ポル・ポトによって虐殺の血に染まったカンボジアのことかもしれない。文化大革命により粛清された膨大な数の犠牲者が眠る中国のことなのかもしれない。そしてこの物語で語られている事は、それらのどこか、ではなく、それらの全て、人々が国家と戦争によりなぶり殺され、悲惨でみじめな生に追いやられている、この地球のあらゆる場所で起こったことなのだ。
作者ジェフ・ライマンは、その数多の虐殺の、あまりの酷さゆえに幻視する。目を背けたくなるような惨めさの中で、それでもか細く微かな自らの生にすがらざるを得ない人々の、その悲哀と、なけなしの希望とを、ジェフ・ライマンは溢れるような同情と共感でもって描き出す。SFであるからこそ可能であった名作中の名作。20世紀SF最大の収穫作品。読むべし。