時の声 / J・G・バラード

時の声 (創元SF文庫)

時の声 (創元SF文庫)

■60年代ニューウェーブSF

60年代ニューウェーブSFの第一人者といわれるJ・G・バラードの初期短編集。バラードの名はSF小説を最も読んでいたであろう10代の頃から知ってはいたのだが、どうも文章がとっつき難くて代表作の『結晶世界』程度しか読んでいなかった。その『結晶世界』も読んだ当時の感想は「?」だったなあ。世界の終わりや異様に変貌する世界など、オレの好きそうなテーマを扱っていたバラードだったが、イマイチのめりこめなかったのは、10代のオレにとってバラードの小説は単に「スカッとしねえ小説」だったということなんだと思う。なんかこう、退廃なのね。登場人物が厭世的で初っ端からグダグダなのね。ディックのウダウダは好きだったのにね。つまりはお子チャマだったオレのシンプルな脳には適さなかったんだろうな。あとイギリスSF独特の読みにくさというのもあったのに違いない。あの頃からイギリスSFって苦手だったんだな。だが、今回”ニューウェーブしばり”ということで再挑戦してみることになったわけだ。

まあしかしニューウェーブとはいっても、今となっては当時ニューウェーブSFが標榜していた理念はすっかり解体・浸透して、小説作法として一般的なものになっているだろうから、今読んでも取り立てて特別なものには見えないのは時代の変遷というやつなんだろうね。確かに、”意識の流れ”や”自己観念”が世界に影響を与え、それを変貌させる、というフィクションのあり方は、少なくとも即物的な科学万能主義の下にあったアメリカSFにはカウンターパンチの如きものだったことは分かる。ただ、ニューウェーブSFがその後あんまり流行んなかったのは、そもそも「世界のドン詰まり感」を最初に描いちゃったから、その後の展開のしようがなかったってことなんじゃないだろうか。そしてこの厭世観というのは、やはりイギリス独特のもので、アメリカのカウボーイたちには大げさなジェスチャーで肩をすくめたくなるようなものでしかなかったのかもしれない。

■ドラッグカルチャー

そしてもう一つ、”意識によって変貌させられる世界”が描かれる背景には、ひとえにドラッグカルチャーの強力な影響があったんじゃないだろうか。なんか物凄い大仰なSFテーマをぶち上げているように見えて、実はこれハッパ吸ってる時の情景なんとちゃーうんかい、とちょっと突っ込んであげたくなる作品もいくつかあったんだけど。短編集収録の『重荷を負いすぎた男』における視覚内において現実の光景が解体される様なんかは、まさにヤク一発キメてラリパッパになっているお話として読めるし、『恐怖地帯』のドッペルゲンガー現象は単にクスリやりすぎて幻覚や不安が現れただけみたいだし、『マンホール69』での”人工的な不眠状態”ってモロ覚醒剤やっている時の状態だし、それによる”次第に狭まってくる世界”というやつも、これって要するにバッドトリップだろ?なんて思ったんだが。そう見るとバラードの諸作に見られる厭世観や崩壊感覚というのは、ドラッグ切れのときの副作用と虚脱状態を表しているのかもしれんわな。

60年代ドラッグカルチャーというのは、神秘主義者でもあった作家オルダス・ハクスリーの著書タイトルがまんま『知覚の扉』なんてなっていたように、ドラッグによって起こされる意識変容が、人間の意識をさらに飛躍させ拡大させ、人間それ自体を新たなステージに上げるのだと期待されていたものでもあったのよ。だからニューウェーブは「SFは外宇宙よりも内宇宙を目指すべきだ」と豪語していたんだろう。一つのカウンターカルチャーであるドラッグカルチャーが、文学におけるサブカルチャーであるSFと結びつくのは案外容易い事であったかもしれないね。勿論ドラッグによって人間が進化するなんてお目出度い錯覚でしかなくて、それがどういう結末を見ることになったのかはSF畑だとディックが『暗闇のスキャナー』や『ヴァリス』で描いているよね。そういった意味ではSF界においてニューウェーブというものが何故鬼っ子として扱われていたか分かるような気もするよね。ただ日本にはドラッグカルチャーなんて存在しなかったし、まして日本のSF読者って生真面目な優等生タイプが多そうだから、こういう見方や評価の仕方って誰もしなかったんだろうな。

■『時の声』

さて作品についてちょっと触れると、やはり表題作『時の声』が圧巻。要するに「人類も宇宙もみんな滅んでしまうんだあああ」という話であるが、終末へのキーワードをあちこちに散りばめながら、それが次第に加速度を増し、そして美しくもまた狂ったイメージに満ち溢れたクライマックスへと収斂してゆく筆致は、これぞバラードといった凄みを感じさせる。実の所物語は、大風呂敷を広げるだけ広げ、それが全て収拾されないままラストを迎えるが、だからこそ余計に想像力を刺激されるのかもしれない。続く『音響清掃』はどちらかというと”奇妙な味”とでも呼ぶべき短篇か。しかし登場人物たちのどろどろとした画策が渦巻く様もまたバラードの持ち味なのかもしれない。『待ち受ける場所』もまた異郷の惑星を舞台にした終末観溢れる物語。どことも知れぬ宇宙の片隅の星、その灼熱の大地に人知れずそそり立つ石柱、そしてそこに刻まれてゆく謎の碑銘、というイメージはなにかひどく気の遠くなるものを感じさせる。『深淵』も同じく一つの終末の物語。なにもかもが息絶えてゆく世界の寂寞感がひしひしと迫ってくる佳作。

知覚の扉 (平凡社ライブラリー)

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ヴァリス (創元推理文庫)

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