オレと大停電

関東に台風接近中である。西日本の既に被害に遭われている方には誠に痛み入る次第である。ネットのお知り合いで沖縄出身のタマさんも日記で今回の台風で難儀されている事を書かれていたが、時たま停電もあるのだという。オレは関東に永らく住んでいるが停電の憂き目に遭った記憶があまりなく、そういえば随分と前に近所で火事があったときにちょっとだけ消えたかな、というぐらいだ。ただ、実家の北海道に住んでいた頃には停電というのはしょっちゅうとあったような気がする。

北海道に住んでいた頃の最大の停電は、冬の最中、北海道中部から北部へと走る大動脈である送電線が雪の重みでぶった切れ、北部北海道一帯が一週間にわたって送電ストップしていたという事件であろうか。時期の頃ならばオレが小学生の時だったろうから、かれこれ35年以上も前の話である。学校は開校していたのか休校していたのかは覚えていない。生活に支障があったかというとそれは父母が切り盛りするものだからそれもよく覚えていない。煮炊きは普通に出来たから食事に困る事もないし。ただ子供の自分はテレビが観られない事、とりわけ毎日見ていたアニメや特撮モノの番組が一週間まるまる観られなくなってしまったことに意気消沈していたと思う。

だが夜になりロウソクの炎だけで生活するのはキャンプか何かに遊びに行っているような感覚で、実は結構楽しんでいたことは覚えている。広い家ではなかったが部屋毎に何本かのロウソクを灯していると毎日相当の本数のロウソクが必要で、いつも買いに行かされていた様な気がする。そしてそのロウソクも、溶けて流れたロウを集めて粘土よろしく捏ねてはあれこれ作って遊ぶ道具になっており、ロウソクの炎自体も子供にとっては何やかや遊ぶ材料になっていた。炎のどこが一番熱いか指を突っ込んでみたりとか、溶けて流れ出したロウを兄弟で弄って熱い熱いと騒ぎながら我慢比べなんかをしていたりもしたよ。ロウソクがオモチャ代わりになっちゃってたんだね。暗闇の中の炎の動きって子供心にも神秘的なものがあったしね。

トイレもお風呂も当然ロウソクで、それも何か遊びのような気がしてやはり不便だとは思わなかったな。ロウソク片手にトイレ行くって、なんだか楽しくない?いや、子供の頃はそれが楽しかったんだよ。そういえばテレビが無い分ずっと夜は家族みんなで固まってあれやこれやと話をしていたな。「昔はこうやって生活していたもんなんだよ」という父親の言葉をまだ覚えてるよ。病院や市役所は自家発電機があったからそういうところだけは電気が灯っていたね。信号はどうだっただろう。田舎だったからそんなに交通量もないし、昼間の交差点でお巡りさんが手旗振っていたりしていたんだろうか。

今もしも東京で一週間停電なんて言ったら、これは大災害の部類に入っちゃうよね。まず停電することはあっても一週間なんて有り得ないもの。仮に一日停電だったとして、通勤とか考えずに部屋にいるのだったら、ずっと一日本読んでるだろうね。夜はロウソク灯して酒盛りして、さっさと寝ちゃうだろうな。

■参考記事:YOMIURI ONLINE《冬の停電》(この記事の事件がまさにオレの体験したことです)

そう奮起していた北電の研究者たちの出はなをくじくように、翌72年12月、道北、道東を歴史的な大雪害が襲った。56基の鉄塔が倒壊。特に道北北部の基幹線である稚内線(延長47キロ)では3分の2にあたる47基が倒壊し、道東と合わせて5万世帯以上が停電する空前の事態となった。しかも、降り続ける雪で国道の通行止めや鉄道の運休が相次ぎ、復旧作業員の派遣も難航。停電は最大1週間にも及んだ。「道北 暗黒の“孤立”」「頼みのロウソクも品切れ」。同年12月4日の読売新聞道内版はそんな見出しで状況を伝えている。稚内市などでは長引く停電のため、生乳処理工場や魚介類の冷凍所で廃棄処分が行われたことも報じている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/025/181.htm