日記1000回特別企画・発掘された真の歴史:”タバラー”と神々、そして宇宙

■”タバラー”の起源
例えば”マヨラー”などと呼ばれているようなマヨネーズ好きの方が自分の職場に昼食時に使用する為「マイ・マヨネーズ」を常備している、なんて話は聞いたことがあるが、オレの場合、自分の職場に「マイ・タバスコ」が置いてあるのである。いついかなる時でも辛さの洗礼を受け辛さと対峙し辛さと戦う、辛さそのものに飢えたオレなのである。だからやはりこれは”マヨラー”にあやかって”タバラー”と名付けられて然るべきものあろうとオレは考える。タバラー、それは真のスパイス・ファイターにのみ与えられし勇者の称号。そして今日もオレは昼間っから辛さの為に全身から発汗し頭からもうもうと湯気を上げ唇を電気ショックを受けたかの様にビリビリと震わし胃の中を猛威を振るう火砕流の如き灼熱のフィールドへと化してヒーヒー言っているのであった。こんなに辛くてインダス文明!(すまん…最近のオレはこの程度の駄洒落が限界だ…。歳なんでな…ゴホッゴホッ。)
しかしネットを虱潰しに検索しさらに近所によく来る「しみんいどうとしょかん」の文献を詳細に当たってみるとこのタバラーの起源は遥か遠く有史以前まで遡ると言う驚愕の事実にぶち当たったのである。そして町の商店街の端っこで細々と営まれている解体寸前の骨董屋「緒珍覇羅諸堂」の店主・榎田武徳さん(62歳)にも伺ってみたところ、様々な興味深いお話を聞くことが出来た。ここではオレが収集した歴史の裏に埋もれた数々の『タバラーの真実』について述べてみよう。

■発見された”タバラー”の歴史
○紀元前エジプト
エジプトの紀元前の遺跡から発掘された石碑にはアメン=ラー神の従弟であり、謀叛によって処刑された”タバ=ラー”の記述があることが吉村酢冶教授の研究によってわかっているが、この”タバ=ラー”の処刑は口の中に焼けた火箸を入れると言うものであった。ここから”口の中が焼けるように辛い”ことを”タバ=ラー”と呼ぶ言い習わしが伝わったのだと言う。
○シュメール遺跡で見つかったもの
シュメール文明の遺跡調査をしたケンブリッジ大学のM・パイソン教授はその遺跡の中に酢酸とカプサイシン成分の含まれた物質が甕の中に残されていることを研究によって突き止めたが、これはこの時代のタバスコによく似た物質なのではないかと推測されている。
旧石器時代
フランス文化省歴史記念物主任調査官、ジャン・ポール・ガゼー教授の調査したところによるとラスコー洞窟壁画の隣にあるラスクー洞窟壁画の中にタバスコのような赤い瓶を持ち食物に振り掛ける人の形が確認されている。これは15000年前の旧石器時代クロマニヨン人によって既に調味料が使われていたことを示す画期的な発見である。
○ペパ族に伝わる言葉
ネイティブ・アメリカンであるペパ族には「辛く、酸っぱい味、それは赤い」という言葉を表すタ・バン・ラという言葉が存在する事が確認されている。
○古代中国「殷」代
史記に伝わる古代中国「殷」代の暴君『紂王』による『酒池肉林』の逸話の中には同じく”とても辛い調味料を満たした池に焼いた肉を浸して食べる”『辛池肉林』という逸話も存在し、これはタバスコに似た液状の辛味調味料がこの頃から存在していたのではないかと思われている。
カバラ秘法
ユダヤ教に伝わるカバラの中で世界の創造神エイン・ソフが「胃の中に入りそして辛きもの」を表す”タバ・ラ”と呼ばれるものを世界創生の際に生み出したと記述されているらしい。
インド神話
インド神話リグ・ヴェーダの中でも”タヴァーラ”としてその名前が伝えられている神々の一人がいるが、これは炎と辛さを司る神であるという。
○そして日本でも
平安時代には渡来したインド人の仏教僧”婆羅門”が建立した寺院”多婆羅(たばら)”が存在した事がわかっているが、これはとても辛い薬味を祭るものであったという。この時代より代々伝わる”多婆羅”の僧務を携わる家系が現在”田原”姓として残っているのである。

■宇宙時代と”タバラー”
驚くべきことにタバスコは宇宙からやってきたもので、タバラーとは来るべき宇宙時代に宇宙人と超越的瞑想によってコンタクトする為に宇宙人によって人間の遺伝子の中に組み込まれた特異体質が発露したものであることがUFO研究の権威F・モルダー博士の論文に書かれている。
さらに銀河の中心から発信されたと見られるニュートリノを詳細に分析したところ、これは太古より存在した超銀河文明から全銀河の知的生命体に当てたメッセージで、その解析結果はタバスコの成分を示したものであることが判った。つまり、超銀河文明を持つ宇宙種族が全銀河にタバスコを播種しようとした遠大な計画であったことがNASAの調査で判ったのである。
このように”タバラー”とは宇宙の創生から人類の歴史へと深く関わる深遠なる知識であり思想なのである。タバラーであることに目覚めたものはそれを自覚し今日もタバスコを恭しく使用するべきなのである。