チャーリーとチョコレート工場

チャーリーとチョコレート工場 [DVD]

チャーリーとチョコレート工場 [DVD]

幼い頃チョコレートを親から食べさせて貰えなかったウィリー・ウォンカは、周りの友人達が美味そうにチョコを食う姿を羨みながら寂しげに眺めるだけという孤独な少年時代を過ごしていた。そして大人になるにつれその羨望は嫉妬に変わり、嫉妬は憎悪へ、憎悪は殺意へと変わっていったのである。彼はその歪んだ情熱からチョコレート製造会社を興し評判を得るが、それは彼の怨念を晴らす為のステップのひとつでしかなかった。世界最高峰のチョコレート会社の社長へと上り詰めた彼は、遂にその狂気の計画を発動する。そう、それは迷宮と化したチョコレート工場へ何も知らぬ子供達を誘い、惨たらしくおぞましい方法でその子供達を一人また一人となぶり殺すことであった…。彼は未開の暗黒大陸からさらって来た呪われた小人部族を使役し、拷問器具に満ちた部屋へと子供達を案内する。そして子供達の絶叫とすすり泣きが工場に満ち、子供達の血飛沫と臓物がチョコレートに滴り落ちる時、彼の哄笑は工場中に響き渡り、小人部族たちの死の舞踏は最高潮に達するのであった…。
…という恐怖と戦慄のスプラッタ・ホラー、それが『チャーリーとチョコレート工場』である!!(嘘なので本気にしないように。でもまあ近いもんがあると思うが。)
 

様々な階級に生きる人間達が選別され”導師”の元へ集まり、その神秘に満ちた教義の深淵を覗く、という作りは、アレハンドロ・ホドロフスキーの超カルト・神秘主義ムービー『ホーリー・マウンテン』を思わせるな。子供達にとってチョコレートとはある意味聖なる供物であり、それが生み出されるチョコレート工場こそまさしく真理の中心”ホーリー・マウンテン”であるといえるからな。あと民俗学によると古来より畸形は神に近いもの・異界と現実世界の境界(リンボ)にいるものとされていて、だから矮人であるウンパルンパは『チョコレート工場』という名の異界へと子供達を案内する”鬼=怪しげなるもの”であるんだろうな。そしてチョコレート工場とは実は冥界であり、その玉座に君臨するのがジョニー・デップ演じるウィリー・ウォンカである、ということで、これは一種の地獄巡りの話なんじゃないのか?


なにしろジョニー・デップはずっと青白い顔の特殊メイクをしていて、それは彼は既にこの世のものではないから、という意味だとオレは取ったけれどな。そして冥界の様々な階層を通りながら最後にはエレベーターが空へと射出される、というくだりは、天界への昇天ということだろ。つまり地獄から煉獄、極楽へと階梯を登ってゆくそのモチーフはダンテの神曲なんだよな。チョコレート工場への入場自体が”地獄の門”を潜る事だし、そのあとの川は冥界へと渡るアケローン川だし、地獄との境界(リンボ)であるこの川にさきほどのウンパルンパ(小人=境界の存在)が登場する、という按排。さらに映画『セブン』でも出てきた、貪欲、貧欲、傲慢などの『七つの大罪』(の省略形)を持ったもの(子供)が地獄=チョコレート工場で裁かれるという念の入れ方。即ちこの『チャーリーとチョコレート工場』はゴシック的な宗教説話をポストモダン神秘主義でコーティングして最新VFXで子供向けの童話として再構成したという物語ということなんだろうな。


ちなみにこの映画、劇場公開していた時にいっしょに観に行こうと誘った女子にドタキャンされデートはお流れ、深い心の傷を抱えたオレは「未来永劫『チャーリーとチョコレート工場』なんか絶対観てやるものか!」と心に誓ったという悲しいイワクのある映画なのである…。『チャーリーとチョコレート工場』、そこで作られるのは涙の味のチョコレート…。(ポエムかよ。)そんな映画を何故今観たかというと単に暇だったからである。実は案外適当なオレなのであった。