とかとかとんとん!

”とか”はよくない。”とか”はよくないのだ。この”とか”というのは”〜とか、〜とかのように”などと使う”とか”である。複数の物事の一部を言及するために使っているのであろうが、これを使われるとなんとも煮え切らない表現になってしまうのである。
例えば、「愛と誠」を「愛とか誠とか」と表現したらどうだろう。当初の真摯さが全て失われてしまうではないか。
構造改革を推進しよう」ではどうだ。「構造改革とかを推進とかしよう」になってしまい、やる気があんのかこいつは、と思ってしまう。
これが医者に診察を受けているときだったらどうだろう。「胃とかにポリプとかが出来てますね」などと医者に言われたら、あと他にもあんのかよ!ポリプ以外にいったいどうなってんだよ!と思わず医者に詰め寄ってしまうではないか。
そしてこれが犯罪ではどうだ。「お宅の娘とかを誘拐とかした。返してとかして欲しければ現金一千万円とかを持って来い。警察とかに通報とかしたら娘とかの命とかは無いとか思え。」などと言われたら、苛立ちは頂点を迎え、もう娘の命なんてどうでもいいから取り合えずこいつの首の骨をへし折ってやりたい欲求に駆られる。
このように”とか”はよくないのである。断じてよくないのである。
だから例えば「フモさん休みの日は何やってるんですか?」なんて尋ねられたら、「ええと、ゲームとか…。」などとおしとやかにごにょごにょ答えず、「ゲームさ!ゲームだよ!ゲームやってんだよ!ゲームやりまくりなんだよ!ゲームが好きで好きでたまんねえんだよ!」と血管浮き上がらせ口から唾飛ばし目をひん剥きながら答えるのが正しい態度だ、と斯様に思うわけなのである。
ちなみにタイトルは太宰治のモジリアーニ!