レゲエづくしの日々

ヤヴァイ。去年の年末からずっと正月にかけてレゲエばっかり聴いておった。多分気分的にいい感じの正月だったに違いない。


レゲエはオレが中高生の頃から流行り始めておった。初めて聴いたのはジミー・クリフの『ミーティング・イン・アフリカ』という曲だ。あの頃はピンク・フロイドキング・クリムゾンやイエスなんぞが好きな憂鬱なプログレ少年であったが、レゲエという言葉もワールド・ミュージックという言葉もまだ知らないオレにとってジミー・クリフの明快なリズムと伸びやかでソウルフルな歌声は未知の領域であり、そして衝撃的な音であった。ソウル・ミュージックさえまともに聴いたことのないガキンチョだったオレの、初めての黒人音楽体験だったと言ってもいいかもしれない。


もはやリゾート・ミュージックのひとつのように語られるレゲエではあるが、しかし1980年代、レゲエはパンク・ミュージックと共に語られることが多かったのではないかと思う。ラスタファリズムエチオピア回帰(約束の地ザイオン)、黒人運動家マーカス・ガーヴェイ、象徴としての神(ジャー)・エチオピア皇帝ハイレ・セラシエⅠ世、神秘体験と覚醒の為の道具ガンジャマリファナ、幻惑的なダブ・ミュージック。当時レゲエとは”レベル・ミュージック=革命の音楽”であり、パンクと同じくアナーキーな熱気に満ちた音楽だったのである。(参考:ラスタの歩みとその信仰世界 http://homepage2.nifty.com/tipitina/RASTREV.html


しかし当時10代だった子供のオレの耳にはまだレゲエというのはリズム的に難解な部分があってね。名盤と呼ばれたレコードを買い漁ったのだけれど、実はピンとこなかったものが多かったな。ジャマイカものよりブリティッシュ・レゲエのほうが判りやすくてよく聴いていた。特にスカは好きだった。といってもジャマイカンオリジナルではなくて、ブリティッシュニューウェーブの一端として流行った2TONE-SKAと呼ばれる白人黒人混成のスカね。スペシャルズセレクター、マッドネス、ザ・ビート。あれははまりました。どうもひねくれ者だったのか、ボブ・マーリィはそれほど聴かず、ダブ・ミュージックを漁ってはよく聴いていた。ダブの手法というのも当時のブリティッシュニューウェーブと呼ばれるロックにはよく取り入れられていて、ダブを聴く、というのは新しくてカッコイイ感じがしたんだんね。うん、オレ、結構いいカッコしいだったんだよ。


レゲエで面白いなあ、と思ったのは、ドラムのみならずギターもベースもすべての楽器があたかもパーカッションのように使われている、ということかな。それとダブ・ミュージックというのは極端なリバーブやエコーが聴覚の残響音による空間認識を混乱させるという部分で幻覚的な音楽として成り立たっているんだろうなあ。


あれからレゲエ・ミュージックとは付かず離れず、聴かないときは全く聴かないのだが、聴きだすとそればかり聴いている、という変な関係だ。夏はレゲエだ、という言い方は脳天気で嫌なんだけど、やっぱり夏になると聴いちゃうな。そして今、正月はレゲエだ!になっちゃった、というわけですかね。そうです、正月こそレゲエなんです!


ゆったりしつつもサクサク刻むリズム。伸びやかで風通しのいいスカスカした音。レゲエの音みたいに生きられたらいいのにね。