太田記念美術館『浮世絵動物園』展を観に行った

この間の誕生日の日には会社にお休みを貰って原宿にある「太田記念美術館」に『浮世絵動物園』展を観にいきました。

それにしても原宿なんてまるで縁の無い場所なもんですから、JR原宿駅で降りるなんて本当に久しぶりです。とはいえ久々の原宿は区画整理されていて随分とこざっぱりしていましたね。「太田記念美術館」は浮世絵をメインに展示する小規模の美術館で、ここも行ったのは久しぶり。自分のブログで調べたら前に行ったのは2007年だったようです。

《展示概要》浮世絵にはさまざまな動物が登場します。ペットとして愛される猫や犬、日々の営みを助けた馬や牛など身近な動物はもちろん、おめでたい鶴や亀、舶来の象や豹、はては地震を起こすとされた鯰までもが描かれます。また浮世絵師たちは、想像力を駆使し擬人化した動物たちの姿を生き生きととらえ、虎子石のようにこの世に存在しない珍獣も生み出しました。まさに浮世絵は、動物表現の宝庫といえるでしょう。
本展では約160点の作品をご紹介し、バラエティに富む動物表現を存分にお楽しみいただきます。この夏は美術館で、かわいらしくてちょっとヘンテコな、浮世絵の動物たちと触れ合ってみるのはいかがでしょうか。

浮世絵動物園 | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art

浮世絵というと北斎写楽などアーティスティックな画家と作品を思い浮かべてしまいますが、実際は浮世絵の名の通り「浮世」を描いた風俗画で、言ってみるなら写真の存在しなかった時代のブロマイドでありピンナップでありポスターだったんですね。つまり世間一般に非常に慣れ親しまれていたメディアだったということです。

値段にしても木版画なら「蕎麦一杯」程度の値段で手に入ったのらしく、誰もが安価で入手し楽しんでいたようなんですね。一枚絵の形態ではありますが、今で言うなら漫画雑誌のような流通の仕方をしていたのかもしれません。そして漫画雑誌のように多様な題材を扱い、その芸術性もピンキリで、手塚治虫大友克洋みたいな大画家から、特に名を残すこともなく消えてゆく画家まで様々だったということなのでしょう。とはいえそれらの作品の多くは、江戸期の大衆文化や流行を今に伝えるものとして残っているんですね。

今回の展覧会は動物がテーマとなっており、江戸時代に人と動物がどのようにかかわっていたのかが見ることができるんですね。とはいっても何も特別なものではなく、当時からやっぱり犬や猫は可愛がられており、牛や馬は人々の役に立ち、舶来の動物に人々は驚嘆の目を向けていました。また、今回の展示では空想の中の動物も扱っており、これは擬人化された動物や狐狸妖怪の類が登場して目を楽しませてくれます。

では例によって今回気に入った作品を並べておきます。

《髪すき》月岡雪鼎

《美人戯猫図》北尾重政

《しん板猫のあきんどづくし》 歌川芳藤

《天竺渡来大評判 象之戯遊》 暁斉

《青物魚軍勢大合戦之図》 広景 

《肉芝仙人》 歌川芳虎

《東都飛鳥山の図 王子道狐の嫁乳》歌川広重

《浮絵熊野浦鯨突之図》歌川豊春

《扇谷美代略 綾子氏 箸立て 花人》鳥高斎栄昌

遂に60歳になってしまった。

Photo by NIPYATA! on Unsplash

本日9月9日をもって齢60となってしまったオレである。いやー60っすよ60。還暦っすよ赤いチャンチャンコっすよ。

いやーそれにしても60歳。なんというかもう、途方に暮れている。思えば遠くへ来たもんだ。昔は60歳で定年だった。仕事をリタイアして隠居生活だった。だから世が世ならオレは今頃定年で隠居生活に突入していただろう。だが今は法制度が変わって定年の年数も伸び、オレの会社の場合は現在62歳定年となっている。その後も再雇用があるだろう。

何が言いたいかというと「まーだ働かにゃいかんのか」ということだ。確かにまだまだ働かせてくれるのはある意味ありがたい。それは先立つものを確保せねばならないからだ。老後の資金というヤツである。だから働けるうちは働くのだと思う。ただなあ。なんかもう結構疲れてきたのだ。働くのが。働きたくない、というのではないのだ。実のところ働くのはそれほど嫌いではないのだ。ただなあ、体がね、ついていかないんですよ。

50も半ばを過ぎてから体のあちこちに不調が出てきて、病院のお世話になる事が増えてきた。今や一つの不調を乗り越えたら別の不調がやってくる、といった状態で、様々な不調がローテーション化しているのである。しなくていいのに。今年の場合は頭重に始まり歯痛が来て腰を痛めたって感じか。血圧も上がり気味だ。今のところ重篤な病気というものはないが、あれこれ体にガタが来ているのは確かだ。これが積もり積もってなにがしかの病気へと繋がるのだろう。

なにしろ最近疲れが抜けない事が多く、気分もスカッとしない。こういった状態が長く続くのが実に不快で、QOLを大いに下げている。QOLとはクオリティオブライフの意味らしい。一回使ってみたかったんだ。ちなみにQCLだと量子カスケードレーザーでありOCLは経営コンサルの会社名でありCQCだと近接格闘の意味だ。すまんどうでもいい話で。話が暗くなってきたからちょっとふざけてみたかったんだ。

実際のところ、60になって明るい話なんざないよなあ。60になって思うのは、「で、後何年生きられるの?」ということだ。今現在日本人男性の平均寿命は80歳前後。あくまで平均という事ならあと20年の命という事になる。しかしこれに健康寿命というのがあって、これは「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」という事なのだが、これが今現在の日本人男性だと70歳前後なのらしい。つまりヨボヨボで立って歩くことも難儀になるまであと10年ほどということなのだ。

この間も相方とこの健康寿命の事を話していた。相方からは「フモさんももう60かあ、健康寿命が70までなんだから、あと10年人生楽しみましょうよ」と言われた。「いつまでも健康で長生きしてね」などといった気休めめいたことを決して言わないのが相方の性格である。現実主義者なのだ。しかしそれにしてもあと10年。仕事は再雇用で65ぐらいまで続けたとしたら、楽しむ老後なんて5年ほどである。うわあ。きっちー。

とはいえ、「楽しむ老後」なんて考えたことがない。どこかに長期で旅行に行きたいとか、ハーレーを乗り回したいとかガーデニングを始めたいとか蕎麦を打ちたいとか、全然思わない。ただまあ65過ぎるまでにはブログは止めたい……いや意外とキツイんですよこれ……。絵や楽器を始めるかとも思ったが、なんだかピンと来ない。多分相変わらず本読んだり映画観たり美術館に行ったりしているだけなのだと思う。積みゲーをガンガンクリアしてゆくというのも考えたが、一日中部屋にこもってゲームばかりやってるのは多分不健康だ……。

こうして考えると、90過ぎてまだ映画監督なんかやってるクリント・イーストウッドなんかどれだけ超人的なのかと思う。いや、80過ぎて監督やってるリドリー・スコットだって相当なもんだ。オレは映画好きだから映画の例えを出したが、80・90で現役な方は様々な業界に沢山いる。でもなあ、80・90で現役じゃない方はもっともっと多いんだよなあ。そもそも今現在これだけ不調を抱えているオレが80・90で現役とか考えられない。

予想通り一直線に辛気臭い話になってしまった。だいたい毎年の誕生日エントリは辛気臭い話が定番なのだが、60歳という事で輪をかけて辛気臭い。だいたいグダグダと愚痴ばっか言ってないで自分の健康にきちんと取り組みなさい、という事でもある。お、なんか話がポジティヴになってきたぞ。まず酒と煙草止めろって事か。止めるか―うーん止めるのか―。実際、ここなんだよなー。気付いてはいるんだよなー。

酒は以前より意識して減らしており(そのせいで慢性的な胃炎が収まった)、止めるというよりも週末だけ、という形に持っていこうとしている。問題は煙草なー。だいたい煙草のせいで歯槽膿漏が悪化して虫歯もないのに歯の治療に行く羽目になってるんだよなー。血圧も上がるしなー。うん、そうだ、60になったので煙草を止めるというのはどうか。そんなこと全然考えてもいなかったが、この記事を書いてたらどうやらそれが結論なのらしいという気がしてきた。なんだ、前向きじゃんかオレ。

とまあお後がよろしいようなので、ダラダラしたエントリもこの辺りで終わることにする。最後に、こんなオレに10年以上連れ添ってくれた相方に感謝の意を表したい。体の健康も大事だが、相方の存在がずっとオレのメンタルを支えてくれている。相方がいなかったらオレはきっと滅茶苦茶な生活を続けて早死にしていただろうとよく考える。相方よいつもありがとう。これからもよろしくお付き合いください。一緒に楽しく生きよう。

創元SFアンソロジー『巨大宇宙SF傑作選 黄金の人工太陽』を読んだ

巨大宇宙SF傑作選 黄金の人工太陽/J・J・アダムズ (編集), 中原 尚哉他 (翻訳)

黄金の人工太陽 (創元SF文庫 SFン 10-4)

SFとファンタジーの基本はセンス・オブ・ワンダーだ。そして並はずれたセンス・オブ・ワンダーを味わえるのは、超人的なヒーローが宇宙の命運をかけて銀河のかなたで恐ろしい敵と戦う物語だ(序文より)――常識を超える宇宙航行生物、謎の巨大異星構造物、銀河をまるごと吹き飛ばす規模の爆弾。ジャック・キャンベルら充実の執筆陣による、SFならではの圧倒的スケールで繰り広げられる物語18編を集めた傑作選。

創元から様々なSFテーマを中心としたアンソロジーがポツポツと出版されていて、割と読んでいる。これまで読んだのは『この地獄の片隅に:パワードスーツSF傑作選』『不死身の戦艦: 銀河連邦SF傑作選』『スタートボタンを押してください:ゲームSF傑作選』といったところか。

そして今回読んだ『黄金の人工太陽』は「巨大宇宙SF傑作選」ということらしい。巨大物体はSFの華。巨大な宇宙で巨大なものが出現するSF、なにやらヴォークト的ではないか。とはいえ、あとがきを読むと実際は「最新スペースオペラ傑作選」であるという。どっちなんだ。面白ければどっちでもいいが。

そんなわけで読み進めてみたが、これまでの創元SF傑作選同様、「玉石混交」であることは否めない。特に最初の数編はなにやら設定だけはデカくぶち上げているがアイディアらしいアイディアもこれといった物語らしさもなく、いいところコミックタッチのヤングアダルトSFといった風情でがっかりさせられる。とはいえこういった雰囲気が好きな方もいらっしゃるだろうから一概に否定できないかもしれない。

しかしその中でも「ギラリと光る一篇」はいくつか存在し、それが創元SF傑作選を読む醍醐味でもある。カール・シュレイダー『黄金の人工太陽』は遠未来、「ラプラスの魔」的に宇宙の終焉まで予見された世界の絶望と希望を描くが、その壮大なスケール感がいい。カメロン・ハーレイ『迷宮航路』は500隻の恒星間移民船が突如超次元的な巨大物質に足止めを食らうという物語だが、もうこの設定だけで気が遠くなるよな。その後のグロテスクな展開もグッド。

一番気に入ったのはダン・アブネット『霜の巨人』。銀河辺境に存在する惑星型超巨大データセンターに、あるデータを盗み出すためにそのデータセンターの設計者が特攻をかける、というお話。主人公は幾機もの精神没入型アンドロイドを使い捨てながらデータセンターの凶悪なセキュリティと戦闘を繰り広げ中心部を目指すが、これってよく考えるとコンピューターハッキングをフィジカルに描いてみた、という作品なんだよね。よくあるSFでは電脳世界へのダイブを描くところを、この作品ではアンドロイド筐体でデータセンター惑星に肉弾攻撃をしかける、という形になっている。この辺の発想の転換が優れた作品だった。映像化しても面白いかも。

 

 

サラ・ピンスカーのSF短編集『いずれすべては海の中に』が優れモノ揃いだった

いずれすべては海の中に/サラ・ピンスカー (著)、市田泉 (訳)

いずれすべては海の中に (竹書房文庫)

最新の義手が道路と繫がった男の話(「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」)、世代間宇宙船の中で受け継がれる記憶と歴史と音楽(「風はさまよう」)、クジラを運転して旅をするという奇妙な仕事の終わりに待つ予想外の結末(「イッカク」)、並行世界のサラ・ピンスカーたちが集まるサラコンで起きた殺人事件をサラ・ピンスカーのひとりが解決するSFミステリ(「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」)など。 奇想の海に呑まれ、たゆたい、息を継ぎ、泳ぎ続ける。その果てに待つものは――。静かな筆致で描かれる、不思議で愛おしいフィリップ・K・ディック賞を受賞した異色短篇集。

アメリカのSF作家、サラ・ピンスカーの短編集。サラ・ピンスカーの作品には初めて触れるが、これはめっけものだった。

ピンスカーの作品は一見ありふれた日常から始まり、そこにひどくなにげなくSF的なイリュージョンが混入してゆく、といったスタイルだ。そしてそのSF的なイリュージョンが、異物としてではなくそれすらもひとつの日常であるかの如く淡々と語られてゆき、物語は作られたような結末を迎えることなくふわっと終わってしまう。ピンスカー作品はこの強固で揺るぎない、しかしどこか数ミリずれたような日常を(それは既に非日常なのだが)垣間見せる部分が秀逸だ。

「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は片腕がサイボーグになった少年のお話だがメインは青春ドラマ。「そしてわれらは暗闇の中」は「生まれていない筈の赤ん坊を幻視してしまう」物語だがティプトリー的な味わいがいい。「記憶が戻る日」は退役軍人の物語だと思って読んでいると次第に挿入される微妙な違和感に「えっ?」と驚かされる。「いずれすべては海の中に」は海難に遭った女の話だと思って読んでいると世界が何かおかしいことに気付かされる。

「彼女の低いハム音」は「ロボットお祖母ちゃん」の話だが基本は家族ドラマだ。「死者との対話」、「深淵をあとに歓喜して」は「悪い物語ではないがこれのどこがSFなんだろう?」と思って読んでいると最後にあっと驚かされる。同じ流れにある「イッカク」などはそのきめ細やかな心理描写からもはや「スリップストリーム文学の名作」と位置付けてもいいのではないか。「オープン・ロードの聖母様」は近未来のロックミュージシャンの物語。「孤独な船乗りはだれ一人」は唯一のファンタジイ作品だがピンスカーはファンタジイを書かせても秀逸な事を印象付ける。

一方「風はさまよう」は「世代宇宙船(他星系へ移民するためにその長大な期間を乗員たちが巨大宇宙船の中で何世代も掛けて生活する、いわゆる「冷凍睡眠」の存在しない恒星間航法)」というストレートなSFアイディアの作品だが、基本となるテーマは「その宇宙船の中で全ての文化的情報が破壊されてしまったら?」というものだ。ここでは全ての乗員一人一人が「語り部」となって自らの知る音楽、文学などの文化を継承しようと努めるのだ。世代宇宙船というありふれたSFアイディアにこの切り口を持ってくる部分で斬新だ。

ラスト「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」は多次元世界を訪問することが可能になった世界を描くが、設定がかなりぶっ飛んでる。物語では多次元世界のあらゆるサラ・ピンスカー(そう、作者!)が一堂に会するコンベンションが行われるのだが、そこで殺人事件が起こるのだ。そしてその容疑者となるのは全員サラ・ピンスカーなのだ!これはSFミステリ・ジャンルに巨大な一石を投じちゃった作品と言えるのではないか。いやしかしなにこの着想!?

 

東京藝術大学大学美術館に特別展『日本美術を紐解く―皇室、美の玉手箱』を観に行った

東京藝術大学大学美術館に行ってきた

先週の金曜日は会社に夏休みを貰ってまたもや美術展に行ってまいりました。休暇貰って美術展って、オレってシブくないっすか(自己満足)。行ったのは東京藝術大学大学美術館で開催されている特別展『日本美術を紐解く―皇室、美の玉手箱』。

《展覧会概要》本展は、宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する皇室の珠玉の名品に、東京藝術大学のコレクションを加えた82件の多種多様な作品を通じて、「美の玉手箱」をひも解き、日本美術の豊かな世界をご覧いただくものです。代々日本の文化の中心に位置して美術を保護、奨励してきた皇室に伝わる優品の数々は、特筆すべき重要な存在です。

黒歴史ではありますがオレは高校卒業後、アートを学ぶ学校に入学したいなあと思い、結局は益体もない美術専門学校にしか入学できませんでしたが(しかもそれも中退)、そんなオレにとって東京藝術大学って憧れの的みたいな学校でしたね。もちろん東京藝大なんて高嶺の花で、入学できる程の技量も学力もありませんでしたけどね。しかし附属美術館とはいえ、この歳になってそんな東京藝大の門をくぐることになるとは思いもよりませんでした。人間長く生きてみるものですね。

その東京藝大ですが、上野が所在地だったんですね。そんなことも知りませんでした。それにしても上野は美術館や博物館が本当に沢山あって、さらに広大な公園と動物園まであるんですから、最近のオレにとって夢みたいな場所になりつつあります。当日は午前中に出かけたのですがあいにくの雨で、そんな中、東京藝大では学園祭が開かれており、美術館の前も結構の人だかりでした。この辺りにいる若い人たちの何人かは藝大生なんだろうなあ、と思うとちょっと甘酸っぱい気持ちになってしまいました。

さて今回の『日本美術を紐解く―皇室、美の玉手箱』、なにしろ日本美術が中心の展覧会となります。とはいえ、オレは西洋絵画なら人並み程度の知識はあるのですが、これが日本美術となるとチンプンカンプンだったりします。しかし最近あちこちの美術館に行くことが増え、そこで展示されている日本美術に接してみるとそれなりに作品の良さが分かってきて、今回の美術展もとても楽しみにして行ってきました。

特に観たかったのは、チラシを飾る鶏の絵だったんです。なんだか物凄くヴィヴィッドじゃないですか?とか言いつつ、観に行くまでこれがかの有名な伊藤若冲の絵だという事すら知らなったという、日本美術知識ゼロのオレでありました!そして!今回の展覧会で公開されいていた10幅にのぼる伊藤若冲の絵が!もう!大変に素晴らしかった!というわけでその伊藤若冲の絵を含めた今回の展示で気に入った作品を並べてみたいと思います。

伊藤若冲動植綵絵

伊藤若冲(1716-1800)の《動植綵絵》は1757~1766年頃にかけて製作された全30幅に及ぶ若冲畢生の大作であり、日本の花鳥画の最高傑作のひとつと呼ばれる作品群です。永らく京都の相国寺に収められていましたが、1889年に宮内庁に献上され、現在重要文化財/国宝となっています。(参考:動植綵絵|宮内庁 三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shōzōkan)今回の展覧会ではそのうち10幅が公開されていますが、さらにその中から気に入った4幅を並べてみます。

向日葵雄鶏図

紫陽花双鶏図

池辺群虫図

芦雁図

 

その他の展覧作品

その他にも屏風絵や置物、掛け軸、油彩などの日本美術が公開されていましたが、これらの作品の中で気に入った何作かは、ネットで探しても図像が存在していなかったりするんですね……。ネットって便利なようで意外と不便ですね。それでも探し出せた幾つかの作品の図像を並べてみます。

太平楽置物》海野勝珉 (1899)

《宮女置物》旭玉山 (1901)

《七宝四季花鳥図花瓶》並河靖之 (1899)

《牡丹孔雀図》円山応挙 (1776)