パキスタン・ミュージシャン、NYに行く〜映画『ソング・オブ・ラホール』

■ソング・オブ・ラホール (監督:シャーミーン・オベイド=チノイ / アンディ・ショーケン 2015年パキスタン/アメリカ映画)


そういえば、オレはパキスタンのことを何も知らない。インド映画が面白いなあ!と思った時も、よく考えると自分がインドの事を何も知らないことに驚愕したが、映画『ソング・オブ・ラホール』を観て最初に思ったのも、オレ、パキスタンの事なんにも知らなかったなあ、ということだった。インド映画の流れで、印パ分離独立時の大混乱や、その大元になったヒンドゥームスリムの対立や、その後のインドとパキスタンの緊張関係などはぼんやりと知ったつもりではいたが、近代から現代にかけてのパキスタンの実情がどんなものであったのか、ほんの一部分でしかないのだが、この映画で初めて知ったことが多かった。
映画『ソング・オブ・ラホール』は、パキスタン在住の伝統音楽家たちが、伝統楽器によるジャズ・アレンジの爆発的注目をきっかけにニューヨークで本場のジャズ奏者たちとセッションするまでを描いたドキュメンタリーだ。それだけなら欧米に馴染の薄い南アジアのミュージシャンのサクセスストーリーでしかないのだが、このドキュメンタリーの根っこにあるのはパキスタンにおける過激なイスラーム化の影だ。パキスタンでは1970年代末からムハンマド・ジア=ウル=ハク軍事政権により原理主義的なイスラーム法が導入され、その中で音楽と音楽家は反イスラーム的であるとして迫害されることになる。これによりパキスタンにおける伝統音楽文化が破壊されてしまうのだ。映画『ソング・オブ・ラホール』に登場する多くの奏者たちは、この時職を失い、ただ音楽への情熱だけを糧に今まで細々と生きてきた人々だったのである。
実は以前、音楽が禁止されたイランの国を描くセミ・ドキュメンタリー映画を観たことがある。バフマン・ゴバディ監督による2009年製作のイラン映画ペルシャ猫を誰も知らない』だ。ただしここでは音楽全てというわけではなく、非イスラーム的な、すなわち欧米的な音楽への規制や検閲により迫害を受けるインディー・ロック・バンドの、音楽への想いが描かれてゆく。音楽を愛するだけで、音楽を演奏するだけで罰せられる世界、これはなんというディストピアなのだろう。パキスタンにおいてはその後政権交代によるものなのか規制は無くなったようだが(この辺は映画では描かれない)、その頃には伝統音楽文化は根絶やしとなり、国内でこれを聴く者は存在しなくなったという。さらに追い打ちをかけたのはタリバンによる音楽会場へのテロ、音楽家の暗殺だ。遂には音楽活動が命を奪う世界となってしまったのだ。
そういった苦難の中で彼らは伝統楽器によるジャズ・スタンダード曲の演奏を思いつき、これをYouTubeで流したところ世界中から注目を浴び、遂にニューヨークに招聘され演奏するまでになった、というのがこのドキュメンタリーの流れとなる。近代においてアメリカで生まれたジャズ・ミュージックと南アジア伝統楽器による演奏に共通点がある、という指摘も面白い。これらを含め、映画『ソング・オブ・ラホール』は伝統音楽とジャズとの融合を楽しむ作品であるだけではなく、パキスタンの政治・宗教史であり音楽史であり、またある種のジャズ論でもあり、それらを総体してひとつの文化論として成り立っているという部分に面白さがある。例えオレのようにパキスタンのことを知らずそれに興味が無かったとしても、「音楽の喜び」を知っている方ならきっと楽しめる作品であるということができるだろう。


ソング・オブ・ラホール

ソング・オブ・ラホール