命や、生きることに対して、きちんとシリアスな物語〜映画『ジャングル・ブック』

ジャングル・ブック (監督:ジョン・ファブロー 2016年アメリカ映画)

■スンマセン、『ジャングル・ブック』、ナメてました

ジャングル・ブック』を観た。現在公開中のディズニーの実写映画である。いや、まあ、最初は全く興味が無かった。だってアナタ、ディズニー作品で「ゆうだいなだいしぜん」で「しょうねんのだいぼうけん」で「どうぶつだいこうしん」な訳でしょ?原作小説は読んだことが無いけど多分お子様向けなんでしょ?そして最初にディズニーでアニメ化された作品がこれ(↓)なんでしょ?だから最初は全然観る気がしなかったんだが。

だがしかし、いつだか相方さんと何かの映画を観に行って、本編前にやっていたこの作品の予告編を観ていたら、隣で観ていた相方さんがオレの袖を引っ張り、映画館の暗がりでもはっきりわかるぐらい目を爛々と輝かせて「これ、観る」と言うもんだから、これは連れてかなきゃしょうがないじゃないですか。というわけで付き合いのつもりで観に行ったんですが、
……スゲエいい映画だった(泣きながら)。オレはもう最初の思い込みを全部撤廃し、この作品に関わった方全員に土下座しつつ、さらにこの映画をまだ観て無い方みんなに鑑賞をお勧めしたい。ホント、ナメてました、スンマセン。

■命に対してシリアスな物語

物語は鬱蒼と茂る広大なジャングルを舞台に、ここにある理由からただひとり取り残された人間の少年モーグリと、彼を拾った動物たちとのドラマを描くものだ。動物たち、黒豹のバギーラと狼たちの群れはモーグリを家族と見なし、共にジャングルで生きていこうとしていたが、そこにトラのシア・カーンが現れ、幸福な毎日に終止符を打つ。シア・カーンはかつて人間に手傷を負わされて激しい復讐心を燃やしており、モーグリを殺させなければお前らも同罪だと告げるのだ。モーグリは人間の里に戻ることを決めるが、そこで彼は自らの出生の秘密を知ってしまうのである。

まあしかし、これだけの粗筋なら、「ゆうだいなだいしぜん」で「しょうねんのだいぼうけん」で「どうぶつだいこうしん」でしかないかもしれない。だがこの物語は決して子供向けだけには作られていない。この物語では大自然が決して楽園でも桃源郷でもなく、常に危険と死に満ちた世界であるとして描かれている。ここに登場する動物たちは決してみんな仲良しこよしの仲間たちなのでは無くて、本来あるべき食物連鎖の中にあることも描いている。油断していると食われるし、大自然の猛威は容易く命を叩き潰す。命や、生きることに対して、きちんとシリアスなのだ。よくある動物物語の、薄っぺらなヒューマニズムで民主主義化された底の浅い物語では決して無いのだ。ここがまず、いい。

■凄まじいまでのCG映像

そしてなにしろ、これらを描く凄まじくリアルなCG映像に圧倒され、唖然とさせられる。なんとこの作品、主人公の少年以外は全てCGなのだという。いや、「凄いCG」の作品なら今やゴマンとあって、もはやそれだけで映画を評価する基準にはならないのは確かだけれど、この『ジャングル・ブック』は、徹底して「動物」と「自然」をフォトリアルに再現することに特化している部分が凄かった。動物の動きは全て骨格・筋肉構造から計算されて描画され、そして描かれる自然は、"現実的"であることを超えてハイパーリアルなレベルまで達している。写真や記録映像で見せられる美しい大自然の映像は、確実なロケーションと高度な撮影技術を追及し続けた結果に映し出されるものだけれど、CGであるなら、どのようなロケーションの、どんなシチュエーションの、どんな光線の、どんなアングルでも可能なのだ。ここがハイパーリアルに感じた部分だ。

さらにその物語だ。人間の子供と動物たちとの友愛といったドラマは、理想主義的であると同時に絵空事でしかなく、容易く陳腐化してしまうものなのだが、この作品はそれを素晴らしいファンタジーとして描くことに成功している。それは結局、動物にしても人間にしても、同じ死の危険にさらされ、それを乗り越えようとする生命であるという点では一緒であるという部分がちゃんと描かれているからだろう。動物たちのキャラクター造形や擬人化も臭みの一歩手前で上手くまとめられており、オレはオオカミの母親ラクシャにセクシーさを感じたぐらいだ。あとクマのバルーな。あいつサイコーだったな。

■人間という存在

この作品を観て考えたことがひとつある。それは自然と人間はなぜ拮抗するのかということだな。物語の中で、少年モグリ―はクマのバルーの為に蜂の巣を取らねばならないシーンがある。モグリーは「人間だから頭がいい」ということになっていて、樹木やツタを使ってゴンドラを作り、効率的に蜂の巣を取ってゆく。採取された蜂の巣は膨大な数だ。でもこれはある意味環境破壊でもある。さらに溝に落ちたゾウの子を助けるために、同様にツタを編んでロープにして救うシーンがある。美しいシーンであり、人間でなければできなかったことだ。だが、全ての事故に遭ったゾウを助け、全ての病気になったゾウを治し、全ての老化したゾウを延命したら、ジャングルはゾウだらけになるだろう。

オレは環境破壊するなとかゾウを助けるなとかいう話をしたいんじゃない。これらのエピソードから浮き上がるのは、人間とはこうして効率化することに特化した生き物なのだな、ということだ。人間は技術を持っているのではない。効率化のために技術を生み出したのだ。人間は効率化により十分な食料を得、自らの種族の生命を守ることが出来る。しかしそれにより増えすぎた人間は結果的に自然に反してしまう。それがいけないのではなく、知能を持ち効率化を優先させる人間とはそもそもそういった反自然的な存在なのだと思う。そして反自然的な存在でありながら、『ジャングル・ブック』のような大自然の様子と動物たちの躍動に感動する。でもそれは、もうそこが帰る所のできない場所だからなのだろうと思ったのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=GHXiZ-X9Tcc:movie:W620