殺して殺して殺しまくったれ!〜映画『ジョン・ウィック』

■ぶっ殺しまくりなんだ!

暴漢に愛犬を殺されたキアヌ・リーブス扮するジョン・ウィックさんという方が、復讐を胸にとにかく敵を殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺しまくる、という映画です。
この映画、なにしろ殺します。殺しまくります。どのくらい殺すかというと、もう殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺しまくるというぐらい殺しまくります。
ジョン・ウィックさんがなぜこれほどまでに沢山殺せるのかというと、実はジョン・ウィックさん、もともと裏社会でも伝説となっているほどの腕利きの殺し屋だったからです。だった、というのは既に引退していたからなんです。素敵な女性を見つけて結婚して、幸福な生活を歩むために普通の人間に戻ったんですね。しかしその奥さんが病気で死んでしまい、ジョン・ウィックさんは一人ぼっちになってしまいます。そして奥さんは死ぬ直前に一匹の子犬を「私の代わりに愛してあげて」と遺したんです。そんな愛犬を殺されたらジョン・ウィックさん、怒るに決まってるじゃないですか。しかも愛犬を殺したのがなんと裏社会を牛耳るマフィアのドンのバカ息子。相手に取って不足ではありません。殺れ!殺ったれやジョン!

■美しく殺せ!

しかしただ殺しまくる映画ならゴマンとあります。たった一人で死体の山を築く鬼神のような主人公というのならあのランボーさんがいるじゃないですか。なんたってランボーさん、たった一人でアフガンでソ連の一個中隊全滅させましたからね(じゃなかったっけ?)。そんなランボーさんとジョン・ウィックさんは何が違うのか?というと、ジョン・ウィックさんの殺し方はスマートでスタイリッシュなんですね。とってもかっこよく相手をぶっ殺すのですよ。ランボーさんが重戦車の如く相手を叩きのめすのだとしたら、ジョン・ウィックさんはダンサーのように敵を射止めてゆくんです。その動きはあたかも日本蕎麦をツツッツツッと啜り上げるかのように流れるように滑らかなんです。なんか変な例えですね。
こんな美しい殺し方が本分ですから、ガサツで泥臭い方法の殺し方なんか登場しません。敵を大量にぶっ殺したかったら爆発物なりロケットランチャーなり使えばいいのかもしれませんが、そんな小汚い殺し方など善しとしないんです。基本は銃、そして体技で相手を倒します。敵もそれに合わせて銃と体技で向かってきます。伝説になるほどの殺しのエキスパートを相手にするのですから、敵のマフィアも最初の襲撃の段階でジョンさんを家ごと爆破するなり焼き討ちに掛けるなりすりゃあいいじゃないかと思いますし、ジョンさんの居所が知れているなら車に爆発物仕掛けるって手もあるんじゃないのか、とは思いますが、流れるように滑らかにぶっ殺すジョンさんの為に相手も流れるように滑らかにジョンさんにぶっ殺されなければならないので、そういう訳にはいかないんです。これはコンセプトの問題、ということですね。

■狂ったマシーン

しかし観てて思ったんですが、伝説の殺し屋というだけあってぶっ殺し方が手際よいジョンさんですけど、そもそもジョンさんのターゲットはマフィアのバカ息子、それとまあその取り巻き2、3人の筈なのに、ジョンさんそこに辿り着くまでに長々と苦労し過ぎです。殺し過ぎだし自分も傷つき過ぎです。伝説の、と言われるぐらいならピンポイントでそつなく相手をさくっと屠るなんてことができないんでしょうか。なんかこれじゃあ最高の料理の腕を持ちながらレシピを知らない料理人みたいじゃないですか。技術はあっても方法論が欠けているのではないでしょうかジョン・ウィックさん。まあしかし、映画自体はゲームのとっても上手い人がアクション・ゲームですいすいと敵を倒してゆく様子を横で眺めているような爽快感があります。

つまりこの爽快感は、熟練した技を見せられることの爽快感なんですね。この時ジョンさんは一個の戦闘マシーンと化しているんですね。マシーンの如く正確で効率的に相手を倒してゆくんですよ。そもそも、最高の殺し屋であったジョンさんは、情け無用で人を易々と殺す、という魂のない機械であったわけなんですよ。それが、愛する女性ができたことで、魂を取り戻し人間へと復活するんですが、その愛する者を失うことでまたマシーンに戻ってしまう、というのがこの物語なんだと思いますね。しかも今度はコマンドが発動したまま停止することが無い、そして手当たり次第に殺戮というジョブを繰り返す、そういった、狂った機械の悲しさ、恐ろしさがこの物語の本質なんではないか、とちょっと思いました。いや、単なる思い付きですけど。