ナノテク産業の隆盛とテロリズムの狭間で揺れ動く近未来都市イスタンブール〜『旋舞の千年都市』

■旋舞の千年都市 / イアン・マクドナルド

I.

犠牲者ゼロの奇妙な自爆テロ事件がすべての始まり!?テロ現場に遭遇してから精霊が見えるようになった青年、探偵に憧れてテロの謎を探る少年、政府の安全保障シンクタンクに招かれた老経済学者、一大ガス市場詐欺を企むトレーダー、伝説の蜜漬けミイラ「蜜人」を探す美術商、ナノテク企業の売り込みと家宝探しに奔走する新米マーケッターの6人が、近未来のイスタンブールを駆け回る。キャンベル記念賞・英国SF協会賞受賞、魅惑の都市SF群像劇。

舞台となるのは2027年、近未来のイスタンブール。古い歴史を持ち、東西文化の懸け橋であり、トルコ最大のみならずヨーロッパ最大の都市のひとつであるイスタンブールはこの時、EU加盟を果たし、未来の主要エネルギーとなった天然ガスと、ナノテク産業景気に沸いていた。そしてこの町である日、自爆テロが起こされる。犠牲者ゼロという奇妙なこのテロはしかし、その後イスタンブールに巻き起こる大きな事件の引き金に過ぎなかったのだ。
イアン・マクドナルドの『旋舞の千年都市』。日本語版タイトルにある「旋舞」とは、イスラム神秘主義メヴレヴィー教団の「セマー」と呼ばれる旋回舞踏を指す。スーフィーダンスとも呼ばれるこの踊りは、長時間旋回を続けることによって神に近づく修行なのだという。そしてこの物語は、ヨーロッパとアジアの狭間、イスラムの古い教義とハイテクによって生み出された新社会との狭間とで旋舞を踊る未来世界イスタンブールを描く作品だ。

II.

物語の主要人物は6人。

・ネジェデット…至近距離で自爆テロに遭遇した青年。その後彼は精霊(ジン)を見るようになる。
・ジャン…心臓に障害のある8歳の少年。ナノボットを駆使しテロ事件の謎に迫ろうとする。
・ゲオルギス…隠退した老経済学者。大規模テロの兆候を予見する。
・アドナン…一大ガス市場詐欺を企てる敏腕トレーダー。
・アイシェ…画廊の女主人。伝説の蜜漬けミイラ"蜜人"探索を依頼される。
・レイラ…ナノテク・ベンチャーの売り込みの為に奔走する新米マーケッター。

彼らが"都市の女王"イスタンブールを駆け抜ける5日間の日々を描いたものがこの『旋舞の千年都市』なのだ。この物語では6人の登場人物たちの行動が交互に描かれる。それらは一見関係無いもののように見えながら次第に糸のように撚り合わさってゆく。そしてこの作品の殆どのページにおいて費やされるのは近未来都市イスタンブールの執拗なまでの描写だ。それは悠久の歴史を生き延び、古い街並みが未だ残る、時間と文化と宗教によって磨き抜かれたイスタンブールの、微に入り細にわたる情景だ。描写の執拗さといったら、読んでいて途中から「もういいから話を先に進めてくれ」と思ったほどだ。
しかしそのイスタンブールは古いだけではない。保安用ナノが雲霞の如く空を舞い、人々はジェプテップと呼ばれる携帯端末を常に持ち歩き、スマートペーパーでニュースを読み、服用ナノを飲んで気分を高まらせ、ナノボットが様々な動物に姿を変え街中を探索し、技術者は人の細胞をコンピュータ化するナノの開発を進めているのだ。この物語ではこのように、ナノ・テクノロジーの進歩により変容した社会もまた描かれるのだ。すなわちSFテーマとしてはナノテクSFと呼ぶこともできるだろう。

III.

主要人物6人の行動はそれぞれに新旧イスタンブールの断面を活写してゆく。それぞれがひとつの短編として独立して存在してもいいような物語性とアイディアを持っている。その中でも異彩を放っているのは画廊の女主人アイシェをメインとする物語だろう。彼女がイスタンブールの街で探索する「伝説の蜜漬けミイラ"蜜人"」というのは実際に明朝の記録に残っているもので、それを飲めば不老長寿が得られるという伝説があるのだという。これをアイシェはイスタンブール建設において隠された「都市の暗号」を解読することによりみつけようとするのだ。
最初はこの6人交互に物語られる形式が煩雑だから連作短編にしてくれればいいのに、と思ったぐらいだったが、モザイクとなったこの6人の物語が一つの大きな絵としてカチッとハマる最終章の壮大なスペクタクルと興奮といったら、「あー、この長い物語を読み続けて本当に良かった!」と感激してしまったほどだ。そして全てが終わった後にもこの6人の洋々たる未来を予見させるエピローグが続いてゆく。そしてこれは千年都市イスタンブールの洋々たる未来を暗示させるものであり、同時に、未来世界がこうした人々によって形作られてゆくであろうというひとつの希望の形として示されて終幕を迎えるのだ。見事な作品であった。

IV.

イアン・マクドナルドは既訳の『サイバラバード・デイズ』が非常に面白かったのでこの『旋舞の千年都市』にも期待していた。『サイバラバード・デイズ』が近未来インドを舞台にしていたのに対しこの『旋舞の千年都市』はトルコ、イスタンブール。未訳作品にはやはりインドを舞台にした『Rivers Of God』、ブラジルを舞台にした『Brasyl』があり、『旋舞〜』と合わせて《新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)三部作》と呼ばれているのらしい(早く訳して下さい…)。
インド、トルコ、ブラジル、これら非白人社会、いわゆる"エスニック"な国々を舞台に選ぶ作者の思惑となる所は、訳者あとがきでは「作者の生まれである北アイルランドベルファストとの近似性」が挙げられているが、オレはむしろ、近未来世界を描くにあたって、保守化し疲弊した従来的な欧米諸国などよりも、混沌としつつも秘められた活力を持つこれらの国々のほうが、舞台として相応しいと感じたからではないだろうかと思えた。それはそれらの国々の持つ混沌こそが、人類の未来に待つであろう混沌と高い親和力を持ち、その混沌が新しい世界秩序へと変容してゆく様をよりドラマチックに描写できるからだということは言えないだろうか。

旋舞の千年都市 上 (創元海外SF叢書)

旋舞の千年都市 上 (創元海外SF叢書)

旋舞の千年都市 下 (創元海外SF叢書)

旋舞の千年都市 下 (創元海外SF叢書)

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)