オレと中国人若社長

10年以上前の話だ。オレの職場は輸出入貨物の取り扱いをしている倉庫なんだが、これらの貨物は関税法の管理下にあり、税関の許可が無ければ動かす事が出来ない事になっている。幾らこれは自分の荷物だから、などと言われても簡単に渡す事は出来ないのだ。ある日このオレの職場に中国人と思しき二人組の男がやって来て、知らぬ間になにやら荷物を自分の乗ってきたバンに積み込み始めているのを目撃したのである。
ちょっと待ってくれ、あんた達何やってるんだ、と制止するオレ。すると向こうも片言の日本語でこれは自分が輸入してきた荷物だ、自分の荷物を持って行って何が悪い、と突っかかってくる。未許可の貨物の持ち出しは厳罰である。しかもオレの会社が責任を取らされることになってしまう。オレもあの頃は血の気の多い人間だったんで、許可の無い荷物は渡す事は出来ん、即刻作業を中止しろ、と大声を張り上げる。すると中国人、見る見るうちに顔色を変え、ナンダトコノヤロ!と負けじとばかりに声を張り上げる。そしてダメなものはダメなんだ!ウルセエフザケンジャネエ!と掴み合いになり、遂には「テメエブッコロス!」とまで言われる。そこで一瞬オレは引いてしまう。何故なら本当にぶっ殺しそうな中国人だったからである。しかも脇で見ていたもう一人の中国人が、妙に冷静な声で「ウン、コノヒトハコロスヨ」などと言うではないか。え、ホントに殺すのかよ?ってかなんなんだよその冷静な言い方はよおお!オレは焦った。さっきまでの威勢の良さはどこへやら、殺されちゃ叶わん、と思ったオレはいきなり懐柔に走る事にした。この辺の展開の速さにいかにオレがヘタレであるかが滲み出ている事だろう。
「いや、ちょっと待て。冷静に話し合おう」とオレ。最初から冷静じゃなかったのはオレのはずなんだが、この都合のよさが逆に情け無い。するとオレと取っ組み合ってた中国人もいまだ鼻息荒いままだが「ソウカ!ジャアハナソウ!」と言うではないか。という訳で最初からどういう按配でこうなったのか話を聞いてみる。しかし考えるに、最初にそれをやるべきなのであって、揉め事を先に起こしてから話を訊く、というのもオレも随分な人間である。いや、ホント、あの頃は血の気が多くて…。で、よくよく訊くと、どうもオレの部下が勘違いを起こしてこの中国人に荷物を渡してしまったらしいんである。完全にこちらの落ち度である。これは当然謝罪しなければならない。「すまん。こちらのミスだ。許してくれ」頭を下げるオレに中国人、「イヤ、ワカレバイインダヨ!」とさっきの激高ぶりはどこへやら、妙にさっぱりと言ってくれるではないか。この中国人、殺すどころかとてもいい人だったのである。恥ずかしくなりなんだかしょんぼりしちゃうオレ。
「すまん。本当にすまん。」「イイヨイイヨキニスルナヨ!」謝るオレにニッコリ笑って頷く中国人。いつしか二人は肩を組み、さっきの争いなど無かったように頭と頭を寄せている。「また仕事で来たら埋め合わせはするから声を掛けてくれ」「ワカッタ!マタオニーサンノトコロニクルヨ!」なんと二人にはいつしか友情めいたものまで涌き始めているではないか!なんじゃこりゃ、ではあるが、雨降って地固まるというのはこういうことらしい。よく訊くと彼は陶芸品を扱う貿易商で、香港を拠点にして日本に壷や花瓶などを輸出している人らしい。若社長様だったのである。
こうしてきちんと和解をして改めて荷物を渡し、その日は終わったのだが、その後もこの若社長は本当にオレの会社に何度も輸入貨物を入れ、引取りの度に事務所のオレの所に顔を出すと「フモサン!マタキタヨ!」と声を掛けてくれるようになった。そしてなんと来る度に「オミヤゲダヨ!」と免税品の高級ブランデーやワインを置いていくのである。積もり積もったその数は数10本では利かないだろう。さらには自分の仲間で同じ商売をしている中国人をオレの会社に紹介し、「ショウカイサレテキマシタ。フモサンテイルカ?」などと知らない中国人がオレを訪ねて来る始末である。若社長からは年賀状まで来た。つくづく心の広い若社長であった。自分の事を棚に上げて言うのもなんではあるが、喧嘩が切っ掛けで情が生まれることもあるんだなあ、と奇妙な感慨を覚えた事件だった。