- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
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奇想天外な”仕掛け”を使って人の心のグレイゾーンに忍び入り、”怪異”という異常な状況を強引に印象付け、逆に行き止まりとなった現実の状況を解決してしまう、というのが彼等の”仕掛け”の仕組みである。ここでは”怪異”とは宿命論であり、人知を超えた天の理であるということだ。人知を超えたものであるからそれは”妖怪”という超自然的なものに置き換えられる。そして宿命であり天の理であるなら、それに従うしかない…と人々は詭術の罠に嵌る。罠に嵌る事でしかし、事態が丸く収まる。本来人に跳ね返ってくる問題と責任を、”怪異”という存在しないものに仮託することで帳消しにするのだ。それがこのシリーズの面白い所であろう。そしてまた、現実の状況を”怪異”で解きほぐすこの『巷説』シリーズと、怪異の如き状況を”現実性”で解きほぐす『京極堂』シリーズの対比のありかたに、作者京極夏彦の作話の構造を見ることが出来て興味深い。その対比は、前者は人情噺として結実し、後者は冷徹なる論理性で結論を見出すという形を取る。
実際の所、最近の『京極堂』シリーズと比べると、この『巷説』シリーズのほうが自分の好みにあっているような気がする。『京極堂』シリーズは作者独特の世界観を説明する為に、また、ミステリという枠がある為に、登場人物がどちらかというと物語の駒のように配されるが、『巷説』シリーズでは脇役でさえキャラが立っており、憎めない人物が多く、そして物語はドラマを中心としてエモーショナルに構成されている。また、シリーズは連作中編として成立しているが、物語は中篇毎に独立しつつも、最終話に求心的に収束する大きな物語の流れもまた存在する。そしてどの巻もその最終話において全ての物語と登場人物が解体され、寂寞感溢れる悲痛なクライマックスを迎えるのだ。そこがいい。
この『前巷説百物語』でも最終話『旧鼠』に於いて破滅的なカタストロフが用意されるが、これまでの『巷説』シリーズでうっすらと語られてきた又市の隠された過去に存在した恐るべき事件の全貌が明らかにされ、ここでも実に哀惜に満ちた物語として完結する。確かに、この物語で登場する又市の仲間達はその後の『巷説』シリーズに姿を現さない者が殆どで、そんな彼等を最後に待つ運命を考えながらこの本を読み進めていると、常に痛痒感を心の隅に感じているような奇妙な読書体験を味わった。ただこの最終話の物語の説明にはどうも釈然としないものがあるんだが。設定に少々無理があるか?