泥臭くあくまで身近に感じる存在感/映画『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』

ワイルド・スピード/ファイヤーブースト (監督:ルイ・ルテリエ 2023年アメリカ映画)

「車さえあれば不可能なことは何一つない!」というメガヒット・スーパーアクション映画『ワイルド・スピード』シリーズ第10弾、『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』である。なんと1作目から数えて22年目となるらしい。今回は特に内容に触れていないが、それはつまりだいたいいつも一緒なので特に触れるような内容もないという事である。気になるのであれば予告編を観るがよろし。そう、ああいう映画だ。

【物語】パートナーのレティと息子ブライアンと3人で静かに暮らしていたドミニク。しかし、そんな彼の前に、かつてブラジルで倒した麻薬王レイエスの息子ダンテが現れる。家族も未来も奪われたダンテは、12年もの間、復讐の炎を燃やし続けていたのだ。ダンテの陰謀により、ドミニクと仲間たち“ファミリー”の仲は引き裂かれ、散り散りになってしまう。さらにダンテは、ドミニクからすべてを奪うため、彼の愛するものへと矛先を向ける。

ワイルド・スピード ファイヤーブースト : 作品情報 - 映画.com

なにしろこの新作も良くも悪くもいつも通りである。物理法則無視のスーパーアクションがこれでもかとばかりに炸裂し、「こまけ―ことはいいんだよッ!」とばかりに御都合主義上等の物語が大手を振り、「なにしろファミリー!全てはファミリー!」とファミリーファミリー連呼しまくり、主人公ドムを演じるV・ディーゼルはシリアス演技をし損なって相変わらず木偶の坊風を吹かしている。ただし「良くも悪くも」と書いたように、それがワイスピなのであり、そういうもんだと思って開き直って楽しむべき作品でもあるのだ。ただ今回強力ネタバレ禁止事項があるから観たい人は早目に観た方がいいかも。

ただし「いつも通り」とはいえ、これまでのワイスピがそれぞれに「売り」とする部分があったものを、今作では「売り」に当たるものが存在しないように思えるかもしれない。ワイスピの「売り」となるもの、それは例えば『スカイミッション』なら「高層ビル突き抜けますよ」とか『アイスブレイク』なら「潜水艦と戦っちゃいますよ」とか『ジェットブレイク』なら「宇宙まで飛んじゃいますよ」という「売り」である。

しかしそういった強烈なビジュアル的な「売り」こそないが、もっと凄い「売り」が存在していた。それはこれが「ワイスピ最終章」に当たるという事である。最終章であり総決算であり全品棚卸しであり売り尽くしである。ただし大抵の紳士服店がそう言った謳い文句の後に廃業する事はないのと同様に注意が必要である。今作も最初「最終章は2部作」と言っていた所を最近になって「やっぱ3部作にするわ」とか言い出しているのだが、この調子で「最終章は全10作」とか「プリクエルとシークエルの予定あり」とか「各キャラのドラマ化決定」とかどっかの宇宙戦争映画みたいな事も言い出しかねないのでこれも注意が必要である。

ワイスピのアクションというのは凄い事は凄いんだが、その「凄さ」というのは他のアクション映画の「凄い」のと次元というかベクトルが違う。通常のアクション映画はありえないシチュエーションにギリギリのリアリティを付加してさもあり得るかのように撮るが、ワイスピはありえないシチュエーションを「普通だったら嘘クサイと思われるような事をなんの衒いもなくいけしゃあしゃあとやってしまう」ことへの驚き4割呆れ6割なのである。すなわちワイスピのアクションは「凄い」というより「呆れ返る」のであり、虚をつかれ茫然自失とさせられる事が特徴なのである。

ワイスピ映画に物理法則は存在しないかのようだが、物理法則が存在しないような映画なんてゴマンとあり、それら映画とワイスピの違う所は、ワイスピ以外の映画は物理法則を知りつつそこをうまく誤魔化して撮っている所を、ワイスピは最初から物理法則というものが何なのか全く知らないし知る気もないので、だからこそあれだけ堂々とバカな絵面のアクションが撮れるのである。ワイスピは深く考えて観ては駄目だが、それはそもそも何も考えていないものを深く考えて観る事が不毛であるという事である。

さて今作は2部作だか3部作の第1部となるらしいが、これは物語が濃密で複雑だからそれだけ長くなったのではないと思う。ワイスピの物語が複雑なわけが無いじゃないか馬鹿にすんなよあんた。これはファミリーとかいうのが大所帯になり過ぎて、それぞれに見せ場を作っていたらとてもじゃ無いが1作では足りないという事なのだろうと想像する。いや別にどうせやる事なんて毎度一緒なんだからそれぞれの見せ場なぞ作る必要も無いのだが、しかしファミリーファミリー連呼している物語でファミリーたちの活躍の場を作らないと示しが付かないのである。物理法則は知らなくても全く無問題のワイスピだが、ファミリーは決してお座なりに出来はしない、それがワイスピの魂であり誓いであり掟なのである。

しかしこうやって書けば書くほど「ホントひでえシナリオだなコレ」と思わされるが、そもそもワイスピはこの調子で10作作ってしまったのだから、今更そんな事を指摘しても遅きに失するのである。オレなんぞは最初から「低脳で俗悪な映画」だと思って愉快に観ていたから、この映画がどこにどう転ぼうと議論などする気は起きないのである。

それよりも面白いのは、この映画が他のアクションシリーズ、例えば『ミッション・インポッシブル』であったり『007』だったりと比べて、何作作ろうがまるで洗練されることが無くずっとファミリーだなんだと泥臭いことをやっているという点だ。むしろこの泥臭さが本当の「売り」であり、多くのファンを獲得し愛されていることの理由ではないかと思うのだ。人間誰しもがスマートさや洗練されたものを求めているわけではなく、むしろそういったものなど興味が無く、泥臭くあくまで身近に感じる存在感のほうが大切であるという事なのだ。

イーサン・ホークジェームズ・ボンドは架空のスーパーヒーローじみているが、車の運転がとても上手く危ないこともやってのけるが、いつもはその辺の一軒家に家族と楽しそうに暮らしいているドムはある意味近所のオッサン的な存在であり親近感を湧かせやすいキャラクターなのだ。オレの周りでも普段は映画の話なんぞはしないがワイスピとなると熱く語ってしまうオッサンやお兄ちゃんがいかに多いかという部分に於いて、ワイスピファンの裾野の広がりが分かるというものである。で、それでいいしそれに文句をつける筋合いはないというのがこのワイスピシリーズなのだ。