カルトSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』のアニメーション・リメイク作品『クー!キン・ザ・ザ』

クー!キン・ザ・ザ (監督:ゲオルギー・ダネリア 2013年ロシア映画

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気が付いたら訳の分からない惑星に降り立っていた!?

雪のモスクワで奇妙な男に話しかけらた二人の男は突然見知らぬ砂漠の地へとワープさせられてしまう。ここはどこだ?いぶかしむ二人の前に釣り鐘型の飛行物体が現れ、中から小汚い二人のおっさんが出てきてこう叫ぶ。「クー!」......そう、ここは一面の砂に覆われた不思議惑星キン・ザ・ザ、訳の分からない異星人たちの訳の分からない理屈と訳の分からない行動に振り回されながら、二人の男は地球へ帰還する方法を探しあぐねるのだった!?

1986年、ゲオルギー・ダネリア監督により未だ社会主義体制下のソ連で製作されたSF映画不思議惑星キン・ザ・ザ』は、そのあまりに素っ頓狂で不条理極まりない物語性により、一躍カルトSF映画として人気を得た作品だ。物語で繰り返し使われる「クー!」という言葉は観る者の脳を侵し、この作品を観終わった後に矢も盾もたまらず「クー!クー!」と連呼してしまうという恐るべき中毒性をも兼ね備えていた。

その『不思議惑星キン・ザ・ザ』を、2013年にダネリア監督がアニメーション作品としてセルフ・リメイクしたのがこの『クー!キン・ザ・ザ』となる(共同監督のタチアナ・イリーナによると「この作品はリメイクでも続編でもない」ということらしいが)。なおダネリア監督は2019年に死去、この作品が遺作となった。

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実写版『不思議惑星キン・ザ・ザ
実写版とアニメ版はどう違うんだろう?

さてこのアニメ版『クー!キン・ザ・ザ』、実写版ファンとしてはアニメ版製作は嬉しいものの、なぜわざわざ同じものをアニメで再話するのだろう?という危惧はあった。しかし実際観てみると、様々な部分で細かい改編と展開のブラッシュアップが成され、殆ど同じ内容ながらまた違った感慨を生む作品だった。

まず惑星キン・ザ・ザに現れる異星人たちが、ヒューマノイド体型ながらやはり異星人らしい容貌をしている点だろう。そして釣り鐘型宇宙船から現れる二人の異星人のおっさんには小型ロボットが随行しており、これがワチャワチャと動き回って物語をさらにややこしくさせる役を演じている。主人公の二人も、実写版では建築技師と学生であった部分を、遠い血縁を持つ音楽家とDJ志望の若者という形に改変され、この二人の職業と関係が物語をより理解しやい形にしている。また上演時間は実写版で135分であったものが、アニメ版では92分とタイトになっており、割とグダグダした展開を持つ実写版(それがまた味わいだったが)よりも観やすい作品となっている。

そしてやはりSF作品とアニメとの親和性だろう。実写版では見渡すばかりの砂漠と奇矯な格好の異星人たち、そして廃物だらけの建築物というビジュアルがある種の抽象性を感じさせたが、アニメ版では同じビジュアルを扱っていても異世界ならではのファンタジックさを感じさせるのだ。当然、アニメならではの誇張された動きもまた楽しさを倍加させている。そういった部分で、内容は変わらなくても新鮮な驚きを体験しながら飽きることなく作品を観ることができた。 

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アニメ版『クー!キン・ザ・ザ』
コミュニケーション不全の本質

それにしても『不思議惑星キン・ザ・ザ』にしろ『クー!キン・ザ・ザ』にしろ、この作品の奇妙奇天烈としか言いようのない内容の本質はいったいどこにあるのだろう?この二つの作品の本質にあるのはコミュニケーションの不全である。それは、全く異なった文化と、全く異なった習俗と、全く異なった価値観を持つ者同士の齟齬から生まれるディスコミュニケーションである。それぞれの全く違う立ち位置により、お互いが全く嚙み合わず、全く理解しあえないという状況、このある意味絶望的なシチュエーションを、逆に可笑し味ととぼけた味わいで描き出したのが、『キン・ザ・ザ』なのではないだろうか。

ではこうして描かれるディスコミュニケーションは何を暗喩したものなのか。実写版『キン・ザ・ザ』においては、当時のソ連社会主義体制への批判/批評という見方もあり、それはそれで正しいとは思う。だがむしろ、「ソヴィエト社会主義共和国連邦」という、広大な土地に多様な自然環境と共和国国家と人種と文化と言語を有した国の、その「なんかよく分かんないくらいあれこれありすぎて全部を理解したり理解しあったりとか無理」という単純な疲弊感、そして「まあ無理ではあるけど、ギクシャクしながらなんとかやってるよ」という一市民の感想があの物語だったのではないだろうか。

そしてアニメ版『キン・ザ・ザ』では、そこに「血縁関係にありながら社会的立場と年齢の違いにより理解しあえない二人の主人公」を持ち込むことにより、実写版よりもさらに分かりやすい形のディスコミュニケーションの在り方を浮き彫りにし、より普遍的なテーマとして扱うことに成功している。こうして見ると、同じ内容に思えながら、『クー!キン・ザ・ザ』は『不思議惑星キン・ザ・ザ』の現代的な改訂版でありアップデート版といえるのではないだろうか。