■Arth (監督:マヘーシュ・バット 1982年インド映画)
1982年に公開されたマヘーシュ・バット監督作品『Arth』は夫の不倫による結婚生活の破綻とその顛末を描いた作品である。だがこの作品はこういったありがちなテーマを独特の展開で描き出したところが特徴的な作品となっている。主演はシャバーナー・アーズミー、最近では『Brothers』(2015)、『Haider』(2014)の出演があるクルブーシャン・カールバンダー、『Bhumika』(1977)、『Chakra』(1980)などで活躍したが1986年に31歳の若さで死去したスミータ・パテル。また、監督マヘーシュ・バットは若手女優アーリア・バットの父としても知られている。
《物語》結婚7年目のプージャ(シャバーナー・アーズミー)は、夫インダー(クルブーシャン・カールバンダー)が念願の新居を購入したことに喜びを隠しきれなかった。夫は才能を認められ映画監督へと抜擢されたのだ。しかしロケ先に滞在しているインダーは、そこで主演女優のカヴィータ(スミータ・パテル)と肉体関係を持っていた。インダーの浮気は遂にプージャの知るところとなり、カヴィータを挟み泥沼の展開を迎える。心傷ついたプージャは新進歌手ラジ(ラジ・キラン)の後押しもあり離婚を決めるが、女一人で社会に出てゆくことは決して楽な道ではなかった。
夫の浮気と泥沼の離婚劇、苦しい自立生活と新たなる恋。映画『Arth』はこういった粗筋だけから観るならありがちなメロドラマであり、掃いて捨てるほどあるソープオペラの焼き直しでしかない。だがこの物語を独特なものにしているのは、この時代のインド映画では考えられないようなシビアな現実主義にある。浮気を知ったプージャの心を過剰に悲劇的に描くわけでもなく、遣る背の無い怒りと悲哀がべったりと画面を塗り尽すだけだ。一方インダーとカヴィータの浮気も開き直るどころか異様に後ろめたいものとして描かれ、二人の心理を暗く追いつめてゆく。それだけでなくカヴィータは良心の呵責に耐え切れず精神疾患となり、インダーは酒に溺れ破滅への道を辿ることになる。ここだけインド映画的な因果応報を感じるが、観ていて後味の良い演出ではない。離婚調停中も離婚後もプージャとインダーは度々会うことになるが、ここには未練や係争があるわけでもなく、元夫婦としてきっちり話を詰めたいという実にリアルな流れなのだ。
プージャとラジと恋はどうか。これもありがちなインド映画のように「新たな恋・新たな希望」といったロマンチックさで盛り上げることがなされない。確かにラジはプージャに恋をしているが、プージャにとってラジは強い心の支えとはなっても、離婚の心の傷は容易く新しい相手とのロマンスとは結びつかないのだ。つまり一見新しい恋を描いているように見えつつも、この物語は決してロマンス映画として結実しようとしないのである。ではこの映画が何を描いているのかというと、女がたった一人社会に放り出された時の不安と辛苦である。ここではプージャと同じ境遇の女が多数登場し、独り身の女が直面せざるを得ない厳しい現実を突き付けてゆくのだ。そしてそんな厳しい現実の中で、主人公は決して恋による成就を頼らない。その労苦を噛み締めながながら、孤独な人生を歩もうと足を踏み出すのである。このインド映画の定石を大胆なまでに徹底的に外してゆく現実主義的な物語がこの作品の凄みだ。
この作品は監督マヘーシュ・バットの半自伝的な作品だという。かつてマヘーシュは妻帯者でありながら、タイム誌の表紙を飾ったこともある人気インド女優パーヴェン・バーブと不倫関係となった。しかしその間、彼女は鬱病と妄想型統合失調症を患い、電気ショック療法を受けることになるまで悪化した。マヘーシュは苦しい恋の未に妻の元に戻ることになったが、その時の失意と自責の念が、この『Arth』を製作させたのだという。パーヴェン・バーブはその後も精神疾患が快復することなく、55歳となった2005年、孤独死の状態で発見された。そういった背景を持つ作品であることから、この作品の映画監督インダーはマヘーシュであると容易に想像つくが、しかしラストにおいて孤独な人生を選ぶプージャもまた、マヘーシュのもう一つの分身であるとも言えるだろう。そしてこのプージャを演じるシャバーナー・アーズミーが、またしても素晴らしい。生々しくリアルな感情を胸に秘めた女を演じさせたなら、シャバーナー・アーズミーの右に出る者はいないのではないかと思わせた。