【死】についての物語~映画『IT イット “それ”が見えたら、終わり。』

■IT イット “それ”が見えたら、終わり。 (監督:アンドレス・ムシェッティ 2017年アメリカ映画)

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■子供の頃に初めて意識した【死】の概念

オレが【死】というものを初めて意識したのは4歳か5歳ぐらいの時だったろうか。

当時、まだ小さかったオレは近所の保育園に通っていた。ある日、園の門の外で、大人が何かのチラシを配っていた。友達の一人がそれを受け取り、あとでオレに見せる。それはキリスト教会の日曜礼拝のチラシだった。きっと布教の一環だったのだろう。

キリスト教。子供の頃のオレには外国の神様、程度の事しか知らなかった。当時オレの田舎にはアメリカ軍基地があり、近所にも幾人かのアメリカ人家族が住んでいた。キリスト教会はその基地近くにあった。そのキリスト教会の入り口の窓にはキリストの肖像画が貼られていた。子供の自分には、日本の神様というのも気味の悪いものだったが、外国の神様も、やはり気味の悪いものだった。

キリスト教会のチラシをオレに見せた友達は、これをオレに破ってみろという。オレは子供ならではの負けん気から、そのチラシを破ってみせる。すると友達はしたり顔でオレにこう言った。「このチラシを破ると、呪われて、死ぬんだぜ」。

もちろん子供独特の、他人を怖がらせて喜ぶための他愛のない嘘だった。だが、その時のオレは、友達の言葉にとてつもないショックを受けた。

呪われて、死ぬ。キリスト教とかいう、得体の知れないものの為に、自分が、理不尽にも、呪われて、死ぬ。

怖かった。とてつもなく怖かった。(子供の自分が勝手に曲解している)キリスト教それ自体ではない。その時、【死】が、唐突に、目の前に立ち現れてしまったことが怖かったのだ。

自分がいつか死ぬ存在であるということに、人間はいつ気づくものなのだろう。その時の、4歳か5歳の頃の自分は、どこまで、【死】というものを理解していたのか、それは記憶に無い。だが、「いつか」ではなく、「今まさに唐突に」、自分が【死】を迎えるかもしれない、と想像したのは初めてだったように思う。

そして【呪いによる死】という他愛もない嘘から始まった不安は、呪いがあろうがなかろうが、自分という存在が、いつか必ず、逃れようもなく【死ぬ】のだという事実に行き当たる。【自分はいつか死ぬ】。その発見は、まだ生まれて4,5年程度しかたっていない子供には、最強最悪の恐怖だった。そしてそれは、生まれて初めて直面した、【生の理不尽さ】という名の現実だった。この日オレは、恐怖で一睡もできなかったことを今だに覚えている。

【自分はいつか死ぬ】。この事実は誰しもが否応なしに知ることになる事柄ではあるけれど、しかし同時に自分なりに受け流して忘れたふりをしようとする事実でもある。結局、キリスト教のチラシを破ったオレは神様の呪いを受けて死ぬことは無かった。だが、いつか死ぬことは確かなのだろう。死ぬのは怖い。とてもとても怖い。だがしかし、とりあえず今すぐ死ぬことはなさそうだし、【いつか死ぬ】その「いつか」も、まだまだ遠い日の事のように感じる。だからきっと、その日までは生きていられるのだろう。子供なりのもやもやとした理屈で、その時は【自分はいつか死ぬ】という事実をなんとなくやり過ごしたんじゃなかったかな、と思う。

■映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』はホラー小説の帝王、スティーブン・キングの長編小説『IT』を原作にしたホラー映画である。ちなみに自分はキング・ファンなので当然原作小説はとっくの昔に読んでるし、TVシリーズのビデオも視聴済みだった。そしてこのアンドレス・ムシェッティ監督による2017年版の映画作品も楽しみにして観に行ったのだが、前評判の高さも頷ける傑作として完成していた。外連味たっぷりの恐怖描写もさることながら、同じキング原作による『スタンド・バイ・ミー』のホラー版とでもいえそうな、子供時代の甘酸っぱい記憶や子供時代独特の遣る瀬無さがとても情感豊かに表現された作品だと感じた。

アメリカの地方都市を舞台に、児童失踪事件の背後に存在する恐怖の権化、「IT=それ」と戦う子供たちの姿を描くこの物語は、同時に、幼い弟を死なせてしまった主人公の後悔とその克服の物語であり、学校や家庭の”負け犬”たちが友情を育み、自己存在を肯定できるようになるまでを描いた作品でもある。ホラー作品ではあるが、ひとつのビルドゥングスロマンとして観ることもできる作品なのだ。

さて、この作品において、ピエロの姿として登場する「IT=それ」とはなんだったのか。子供たちの「恐怖」を好み、それを食料として生き永らえてきたあの超自然の存在は、何を意味しているのか。それは【死】そのものである。そしてそれは、子供たちが初めて直面する【死】という概念を、その【恐怖】を象徴した存在だったのではないか。

大人たちはなぜ「IT=それ」を感知できないのか。それは、【死】という不条理に対し、なにがしかの結論を見出したか、あるいは無視するなり鈍感になる事でやり過ごしているからである。しかし子供たちにとって、【死】はまだまだ知ったばかりの未知の概念であり、生々しい【恐怖】そのものなのだ。事件の発端はそもそも主人公少年が弟の【死】に直面することから始まる。それにより、主人公少年が【死】という概念に憑りつかれることになる、というのがこの物語の核なのだ。確かに彼らの住む街には「呪われた歴史」が存在するとはいえ、アメリカ開拓時代から連綿と続く歴史の中には「呪われたかのような」【死】の横溢する土地は幾らでもある筈なのだ。

こうして、物語の中心となる少年少女たちは、「IT」=【死】の存在を知り、その【死】と直面し対峙し、そしてその【死】を乗り越えることでこの物語は終わる。それは子供の頃のオレのように、「人はいつか死ぬもの」と悟らざるを得ない事でもあるのかもしれない。そしてそれを納得しきったうえで、今日を生きる事を知る事なのなのかもしれない。少なくとも、物語に中の少年少女には、まだまだ未来が続いてゆくのだ。

だがしかしだ。実はこの映画は、原作小説の半分しか映画化していないのだ。つまり、主人公たちの子供時代の部分だ。原作ではこの続きは、子供時代の物語の27年後、彼らが大人になりさらに中年に差し掛かった頃を舞台設定としている。そして、映画はこの後半を『第2部』として映画化する予定だという。子供時代の【死】への恐怖を乗り越えた彼らは、大人になり、現実的に【死】を意識するような年代になった時に、もう一度「IT=それ」と対峙することになるのである。子供と大人の、【死】への概念が異なる者たちが再び相見える【死】は、今度はどんな姿をして彼らの前に立ちふさがるのか。続編公開が楽しみである。

IT〈1〉 (文春文庫)

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