■銃・病原菌・鉄−1万3000年にわたる人類史の謎(上)(下) / ジャレド・ダイヤモンド
人類社会には何故富と権力の格差があるのか。欧米白人と一部の有色人種、
少数民族の豊かさがこれだけかけ離れているのは何故なのか。それは遺伝的・人種的優位・劣勢のせいなのか?アメリカの進化生物学・生理学・生物地理学者でありノンフィクション作家のジャレド・ダイヤモンドは、フィールド・ワーク中の
ニューギニアにおいて、ある
ニューギニア人政治家の「何故我々
ニューギニア人は"持たざる者"なのか?」という問い掛けから、この膨大な著作を生み出した。作者は人類1万3000年の歴史を遡り、考古学のみならず、地理、資源、環境変動、植物学、動物学、
言語学、遺伝子学、人類学、その他諸々の学術的情報と推論から、「何故
現代社会における格差は成り立ってしまったか」を導き出す。その広範で博大な知識と情報量、それを演繹する確固たる知性と洞察力は息を呑むものがあり、読んでいて初めて知るような事柄が本当に多くて、テーマとは別の部分でも大変勉強になってしまった。文章は学者らしく実に厳密さを前提としたもので、別の章で記述があったことでも必要なら何度でも同じ記述を登場させ、論旨を徹底的に説得力のあるものにしようとしているところが、いつもはフィクションばかり読んでいる自分には新鮮だった。この著作の訴えるところは、白人と有色人種とでは文明を生み出す為の知性はなんら変わるものは無い、現在生み出されている富と権力の格差は、遺伝的・人種的な能力・差異のせいでは決して無い、にも拘らず富と権力の格差、そして文明の差異が生まれてしまったのは、それは"たまたま"それらの人種が生まれた土地の資源や生態系や地形・自然環境のせいでしかない、ということだ。この著作は、1万3000年の人類史を遡りながら、実は強烈な人種的平等を訴える書でもあるのだ。また、文明がどのように興り、どのように発展し、どのように消え去ってゆくのか、を様々な諸原因で説明する本書は、例えばフィクションを書く上でのネタ本としても使えると思う。
SF小説なんかを書いている方は一度読まれてみるといいかもしれない。
■夜と霧 / ヴィクトール・E・フランクル
世界的な名著として名高い、
ナチスによる
絶滅収容所に送り込まれた一人の心理学者の体験記である。読んでいる間中、自分の周りを取り囲む現実の表皮が引き剥がされ、冷たい暗黒の宇宙をどこまでも漂っているかのような非現実感に襲われていた。人が人に対してどれだけ非道になれるのか、そしてその非道な仕打ちの中で人がどこまで正気と人格を保って耐えて行けるのか、その残酷なテストケースを見せられているようだった。この著作は
ナチスへの糾弾や戦争告発や平和への願いを謡ったものではないだろう。むしろ著者が心理学者として非人道的な環境における自分という人間の行動と心理を克明に綴ったものだと受け取った。この収容所体験と比べられるものでは決して無いとはいえ、この千分の一か万分の一にでも、人は非人道的な環境に生きることは十分に有り得、そしてそれは自分の生きる環境においても存在し得るもので、その中で、どう生き、どう行動し、どう考えるのか、何を希望とし自らを支えうるものなのか、それを知る一つの指標として自分は読んだ。
生田耕作訳で有名な
バタイユ『
眼球譚』を
中条省平氏が『マダム・
エドワルダ/目玉の話』とタイトルを変え大胆に新約したもの。「エロティシズムの深淵」みたいに語られるこの物語、自分は初めて読んだのだが、いわゆる
フロイト的な性的発達途上における未完成・未分化な快楽衝動をあからさまに描いたと言う部分で、発表当時の既に性的に成熟した成人が読むと衝撃的だったということだったのじゃないのかなあ、と思った。しかし
バタイユのこういった描写は現代では模倣・消費されてしまっているから、自分としてはそれほどショッキングなものとは思えなかった。あえて真意を汲もうとするなら、この作品における
バタイユのエロティシズムと
サディズムは、暗澹として悲痛である生の諸相を破壊するための
アナーキーな越境行為であったのかもしれない。
英国作家
ジム・クレイスによる"食べ物"にまつわる64の小編集。実は今度同人誌を出すことになり、この自分が一つのテーマで幾つかの短編小説を書かなくてはならなくなったので、本職の作家というのはどうやってテーマのバリエーションを展開してゆくものなのだろうか、と勉強がてら読んでみた。いや、勉強どころか「本職はやっぱりスゲエ…」と感嘆しただけで終わりましたが…。この短編集、装丁や紹介のされ方から、結構エグイ話やコワイ話が並んでいるのかと思ったらさにあらず。そう言う話もあることはあるけれど大半は、食べ物をキーワードに人間生活の情景や感情のある一片を切り取った、意外と含蓄のある話が多かった。無理にオチなど設けずに、情感の余韻で終わる、こういった作品集もいい。
ジャック・ヴァンス、1945年にデビューし、アメリカでは絶大な人気と尊敬を集めるSF作家ということなのだが、邦訳作品もあるとはいえ、日本では今ひとつ
知名度・人気度の低い作家だったようだ。確かになんとなくSF作品は多く読んでいたつもりの自分のような人間でさえ、彼の作品を読むのは実はこれが初めてである。しかし読んでみたところ、これが、無類に素晴らしい。
ジャック・ヴァンス作品はそのむせ返るようなきらびやかな異世界描写を高く評価されているようだが、確かにこの作品集に収められた幾つかのSFファンタジー作品は、素晴らしいエキゾチズムに溢れた紅蓮たる異世界を創出している。自分などはシルヴァーバーグ作品などを思い出してしまったが、実は逆に、シルヴァーバーグ自体がヴァンスの強い影響を受けていた、という話を読んで、こりゃ一本取られたな、という気分になってしまった。
ダン・シモンズ、J・R・R・マーティンなどもその影響を受けた作家として挙げられているが、それも頷けるものがあると同時に、要するに幾多のSF作家に影響を与えるほどに、ヴァンス作品の異世界描写はめくるめくような魅力に溢れているということなのだ。この『奇跡なす者たち』を発刊した
国書刊行会は今後もヴァンス・コレクションを刊行してゆくというから、これは大いに楽しみだ。