【海外アニメを観よう・その10】日本初の長編カラー・アニメ『白蛇伝』

■『桃太郎 海の神兵』と手塚治虫

【海外アニメを観よう】というタイトルでこれまで幾つかの作品を紹介してきたが、最後は日本のアニメで締めくくることにする。ここで簡単に日本のアニメの歴史を振り返ってみると、記録に残る日本の最古のアニメは大正期に作られたものらしく、その後長編アニメーションが作られるのは太平洋戦争中の1942年になってからだった。

第二次世界大戦を迎えると、戦意高揚を目的とする作品が制作され瀬尾光世監督による日本初の長編アニメーション『桃太郎の海鷲』(1942年、37分)が生まれ、1945年には松竹動画研究所により『桃太郎 海の神兵』(74分)が産み出された。この時期軍部が提供した潤沢な予算は技術力の向上に繋がったとの評価がある。
Wikipedia:アニメの歴史 


戦時下に戦争プロパガンダ目的で製作された、白黒では日本初の長編アニメーションとなる『桃太郎の海鷲』の姉妹編、『桃太郎 海の神兵』の製作に関する逸話も大変興味深い。

しかしながら製作時は戦況が非常に悪化しており、スタッフが次々と召集されて減っていった。そのうえ、スタジオでは空襲警報が鳴る度に機材、動画などを持って地下へ避難し、警報解除後にまた作業を再開するなど非常に困難な状況の連続で、一時は公開も危ぶまれたという。また物資不足も深刻で、国策映画といえど製作に必要な資材は潤沢な調達がままならず、質の悪いザラ紙の動画用紙は、撮影が終わると消して新たな動画を描き、セルも絵具を落として再使用するなど大変劣悪な制作環境のもと、昭和19年12月に完成。なんとか公開にまでこぎ着けたと瀬尾は語っている。
Wikipedia:桃太郎 海の神兵

しかし日本海軍により予算が与えられ製作された国策映画『桃太郎 海の神兵』は、軍部の要望とは裏腹に、実は密かに平和への願いが込められた作品として完成した。そしてまだ10代であった青年・手塚治虫は封切り初日にその映画を観ることとなる。手塚はうわべ的にはプロパガンダ映画として製作されたその映画の、真の演出の意図を読み取り、劇場の暗闇の中で感涙したという。手塚は1961年に虫プロを立ち上げ、日本初のTVアニメ『鉄腕アトム』を製作することとなるが、その後虫プロで製作されたTVアニメ『ジャングル大帝』の中で手塚は『桃太郎 海の神兵』へのオマージュと取れる1シーンを挿入する。『ジャングル大帝』はひとつの理想郷とコスモポリタニズムを描いた作品という事が出来るが、手塚はこの中に戦時下に平和を訴えたアニメ作品へのリスペクトを織り交ぜ、作品テーマをなお一層深化させようとしたのだ。

白蛇伝 (監督:大川博 1958年日本映画)


そして1958年、日本初の長編カラー・アニメーション『白蛇伝』が劇場公開される。製作は東映動画(現・東映アニメーション)、スタッフの中には後に『ルパン三世』、『未来少年コナン』の作画監督を務めた大塚康生の姿もあった。また、宮崎駿がアニメ製作を目指したのはこの映画を観たのがきっかけなのだという。声の出演は森繁久彌宮城まり子、この二人だけで主人公他全ての登場人物(と動物)が演じ分けられ声があてられた。また、「ライブアクション」と呼ばれる人物の動きをトレースする手法のために、松島トモ子佐久間良子らが起用されている。
白蛇伝』は中国を舞台に、白蛇が変身した少女と、その少女が慕う青年との悲恋物語である。少女と主人公青年は恋に落ちるが、少女の正体を見破った修行僧に二人は引き裂かれてしまう。さらに窃盗の嫌疑をかけられた青年は遠方の地へ飛ばされ強制労働をさせられるが、少女への思いは募るばかり。一方少女もまた青年を追うが、そこへまた修行僧がやってきて、遂に白蛇少女対修行僧の超能力対決が始まる。こうして粗筋を書くと一見シリアスな物語だが、映画には喋る動物たちも多数出演し、そのコミカルな容姿や動作でアニメ映画らしい楽しさを加味している。
冒頭から丁寧すぎるぐらい物語のあらましが説明される。日本初のカラー長編アニメということから、老若男女どんな人にでも受け入れられ理解しやすい作品を作ろう、という製作者側の態度がうかがわれてどこかこそばゆいほどだ。物の怪と人間との出会いを扱ったテーマは、民間説話に数多く存在する変身譚の一つであり、これも誰にとっても馴染み深く親しみやすいファンタジーということができるだろう。そして描かれる線は丸く優しく、色彩は鮮やかではあってもくどくならないように抑制され、その動きは多少ぎこちないものの表現するべきものをきちんと表現している。
少女と青年の恋の行方、画面の中を伸び伸びと動き回る動物たちの楽しさ、不思議に満ちた幻術の技、そしてクライマックスの嵐の大波の中で展開されるスペクタクル、これらは、確かに今観ると古く拙い部分もあるにせよ、アニメを観る楽しさは十分伝わってくる。50年以上前のアニメであるが、ディズニー映画を参考に当時出来る限りのアニメの先端技法を駆使し、世界マーケットに出してもおかしくないクオリティのアニメを製作しようという気概が、作品のそこここに見て取ることが出来るのだ。日本のアニメは全てここから始まった、それがこの『白蛇伝』なのだ。

白蛇伝 [DVD]

白蛇伝 [DVD]

  • 発売日: 2008/06/28
  • メディア: DVD

■【海外アニメを観よう】終りに

TVが普及して以来のいつの時代のどの子供とも変わりなく、自分も子供の頃からTVアニメはよく観ていたし、劇場でもアニメを観ていた。好きなアニメもあり、たいして好きじゃないアニメもあったが、とりあえずアニメと名の付くものは観ていた、というか見せられていた。子供だからアニメ以外の大人の物語はよく分からないし、だから観るのはアニメだった。勿論ウルトラマンのような特撮ドラマも好きだった。自分は年寄りなので、TVが白黒の時代からいろんなアニメや特撮ドラマを観ていた。
しかし10代も半ばを過ぎると段々とアニメも観なくなる。最後に熱狂して観ていたのは『宇宙戦艦ヤマト』だろうか。そして『機動戦士ガンダム』が世間で流行りだした頃からTVでアニメを観ることは殆ど無くなった(ただガンダムのファーストシーズンは20代を過ぎてから誰かからVHSを借りて一応全作観た)。にもかかわらず、成人してから、あれはもう30代になってからだろうか、『新世紀エヴァンゲリオン』には何故か猛烈にハマって、これも全作観るどころかDVDのBOXで作品全部を揃えたりした。
思い出話をしたかったわけではない。自分はいつからアニメに興味が無くなったのか思い出そうとしていたのだ。最近のアニメは、自分にはまるでわからない。興味も湧かない。興味も無いので、昨今のアニメをとやかく言うつもりはこれっぽっちも無い。あれらのアニメにはきちんとマーケットがあり、そしてそれを愛するファンがいるのだろう。それはそれでいいんじゃないかと思う。でも自分には関係ない。ただ、何故興味が無くなったのか、というのなら、やはりもう面白く感じられなくなったから、という事に尽きる。
アニメは、歳を取ると、面白くなくなってしまうものなのか。アニメは、一部の世代と一部のマニアだけのものなのだろうか。アニメというのは、"卒業"する類のジャンルなのだろうか。そしてアニメとは、"その程度"のものなのか。しかし例えば、ジブリのアニメは好きだった。最近のは観ていないが、他のアニメ作品を観なくなってからも、ジブリ作品は観ていた。ジブリ・ブランドを持ち上げたいわけではない。ただ、ジブリにはどこか志の違うものを感じていた。それはなんなのだろう?そう考えて、「ジブリ海外アニメコレクション」を中心に、古い時代のものも含まれた海外のアニメ作品のDVDを少しづつ借りて観ていた。すると、これが面白い。大人の(年寄りの)自分にも十分アピールする何かがある。その"何か"とは、アニメ本来の楽しさ、豊かさだ。
そういったわけで、アニメの原点ってなんなのだろう、という興味から、10数本の作品を視聴し、レビューを書いてみた。自分と同じように、かつてアニメが好きで、でも今興味を無くした人にこそ読んでもらいたかった。興味を持たれた作品があれば嬉しいです。