フィリピン娘と駆け落ちしてきた友人とオレとの奇妙な生活が始まった。オレはその頃バイトをして糊口をしのいでいたのだけれど、朝バイトに出て残業して夜遅く帰ってきて、陽の落ちた暗い空の下を家路につくと、目の前に近づいてくるオレのアパートの窓には灯りが点いている、それがもう変な感じだった。そしてアパートのオレの部屋のドアを開けると、友人とそのガールフレンドが夕飯を作って待っているのだ。
フィリピン娘の作る料理はフィリピン風魚料理だった。季節は冬だったから、部屋の中は既に暖房が入り、部屋には夕飯の湯気が立ち上っている。望んで招いたわけではないが部屋には人が待っている。バイトから帰ってきたオレを待ち構えていた二人は、オレの顔を見て「おかえりなさい」と告げる。上京してずっと一人暮らしをしていたオレには、そんな事全てが奇異だった。奇異であり、こそばゆくもあり、そして大いに居心地が悪かった。一人暮らしの孤独な生活が長かったオレは、それに和んでいたのかもしれない。迎え入れてくれる人がいるという感覚が心地よかったのかもしれない。ただそれは、口にこそ出さなかったけれど、容易に受け入れるべきではない感情のように思えた。でもそんな風に、何日かが過ぎていった。
二日も寝泊りすると落ち着いてきたのか、友人の表情からは緊張感が失せ、逆に弛緩した様な笑みまで浮かべていた。それはそうだろう、オレがバイト先から帰ってくるまでは好きな女と殆ど一日二人だけの世界だ。友人にとってはあたかも蜜月にも似た幸福な日々だったに違いない。彼が逃走してきた現実に目を向けさえしなければ。後から考えると、友人はフィリピン人女性と駆け落ちしたくて逃げ出したんじゃなく、彼自身の索漠とした現実から逃げ出すきっかけとなったのが、たまたま今回のフィリピン人女性だっただけなのだろう。
ただ、現実から逃走していたと言うのなら当時の自分も一緒だった。オレは上京後半年で通っていた学校を辞め、田舎に帰ることも無く目的も目標も無いまま未来の無い無為な生活を続けていた。オレが友人に”現実”だの”常識”だのを押し付けられなかったのは、オレのそういった負い目もあったからだった。だが、二日が経ち三日が経ってくると、今度はオレの神経が参ってき始めていた。
フィリピン女性に含む所は何も無かった。彼女の国籍にも職業にも、生い立ちにも性格にも興味は無かった。片言の日本語しか通じない相手に細かなコミニューケーションなど、はなから放棄していた。もとよりコミニュケーションをしなければならない積極的な理由も思いつかなかった。彼女はオレの部屋に何かの間違いでいる羽目になってしまった見知らぬ人でしかなかったからだ。ただ、二十歳そこそこの、女の事もろくに知らぬ、自意識だけは人一倍過剰な奥手のオタク野郎だったオレにとって、自分の部屋に素性のよく判らない若い女性が座っており、おまつさえ夜になると自分から数メートル先の暗がりで寝息を立てているのだということを意識するのは、おそろしい緊張を強いられる事だった。
部屋はいつも綺麗に掃除されていたが、知らない間にいろんなものの置き場所が変わっていたり、新たに買い足されていたりした。自分の部屋のようでいて自分の部屋でないような妙な感覚があった。そうして3日か4日経ち、オレは再び友人にこれからどうしたいのか問いただす事にした。「部屋は探したのか?」「…いいや、まだ。」「務め先は探したのか?」「…いいや、それもまだ。」「なあ、オレは一週間と約束したんだから、それまでにどうにかしてくれきゃ困るよ。」「うん、判ってるよ…。」何日かそんな手応えの無い会話が繰り返された。オレは友人の最初の約束を信用していたのだけれど、当の彼自身はすっかりと現実の向こう側へ逃避したまま、帰ってくるつもりが無さそうだった。オレの苛立ちは段々とピークに達しつつあった。そんなある日、オレの部屋を訪ねてきた人間がいた。友人Nの弟であった。
(続く)