復讐だ!報復だ!皆殺しなんだ!〜映画『完全なる報復』

完全なる報復 (監督:F・ゲイリー・グレイ 2009年アメリカ映画)


甘美なるもの、それは復讐。いいっすねえ復讐。復讐の物語ほどわくわくさせるもんってありませんよねえ。自分が大切にしていたものや守っていたもの、自分という存在理由そのものを破壊し踏みにじったあげく高みからせせら笑う連中を地獄の底へと引きずり落とす快感。ああいいわ復讐。素敵だわ復讐。復讐の妄想だけでもメシ3杯喰えるわ復讐。朝に復讐夜に復讐、復讐復讐で半年暮らし、あとの半年寝て暮らす!やってやるよ!オレはやってやるよ!きっときっと復讐してやるんだよ!まあ皆様方よ、今にみておれでございますよ!(…いったいなにがあったんだオレ)
…というのは冗談でございますが(ホントか?ホントなのか?)、この映画『完全なる報復』はその復讐の物語なんでございます。主人公の名はクライド、彼はある日愛する妻と子を家に押し入ってきた暴漢に惨殺され、自らも傷を負ってしまうんですな。まもなく犯人は捕まりますが物的証拠に乏しく、裁判しても勝ち目がないと踏んだ担当検事が、「やっぱ俺ら裁判で勝ってナンボだし」と勝手に犯人と司法取引を行い、犯人の一人は死刑にしたもののもう一人は軽い罪で放免されてしまうんですな。「んなバカな話があるかあぁあぁあぁ〜〜〜〜!?」怒ったのはクライドであります。そしてそれから10年後、クライドの身の毛もよだつような復讐劇が始まるんですな!
まず薬物死刑の決まった犯人は無痛のはずの薬をおそろしい苦痛の後に死に至らしめる薬と交換、阿鼻叫喚のうちに犯人は息絶えます!もう一人の犯人も廃工場に連れ込み、手術台に縛りつけて生きたまま切り刻みます!ひゃっほう!やったねパパ今日はホームラン王だね!しかしここまでならよくある復讐の物語。その後クライドはあっさりと警察に捕まります。そして取調べの中クライドはかつて家族の惨殺事件を担当した検事にこう告げます。「なあ、俺から自白引き出したいんなら、【取引】しようじゃねえか」。そう、クライドの本当の復讐はこれからなのであります!なんとクライドは、【司法取引】という制度の不合理を許す検察そのものに復讐しようとしていたのであります!かくして、獄中のクライドの、冷酷極まりない復讐の刃が、検察に係わる人間たち一人一人を無残な死へと引きずり込んでゆくのであります!いいなあ復讐!復讐サイコー!(…だからいったいなにがあったんだオレ)
逆恨みとは恐ろしいものでございます。いくら痛ましい悲劇に見舞われた男だとはいえ、考え付くことが飛躍しすぎなんでございます。目指すは検察官皆殺し!市長だって殺ってやるんだぜ!なんだったら司法にかかわる国中の連中をぶっ殺したっていいんだ!こんな結論に達しなおかつ実行してしまう人間のことを、普通マジキチと呼びますな。そういえば以前日本でも「34年前に保健所に殺されたワンちゃんの仇討ちだ!」とかいう理由で元厚生事務次官の家を襲撃し、殺傷事件を起こした人間がおりましたが、この映画の主人公クライドも同程度のとんでもなさであります。しかし実際の事件は恐ろしくやり切れないものでありますが、これは映画、マジキチ野郎の暴走ぶりをギャハハギャハハと笑いながら観ればいいんでございます。
というわけでこの映画の見所はマジキチ野郎が獄中にいながら外の世界の検察の連中をどのようにしてブチ殺しまくってくれるのかという部分になるのでございます。いわば一見不可能なはずの犯罪をやり遂げてしまう、という事の面白さですな。映画『セブン』のような鋭利な知性でもって全てを予見し用意する全能の神の如き凶悪犯罪者というのに近いのではないでしょうか。まあ実際観てみると「いくらなんでもそんなにうまくいくもんかよ」とか「ちょっと都合良すぎね?」とか思っちゃうような方法なんですが、ここを「でもいっぱい人死ぬから無問題!」と喜ぶことの出来る人と、「ちゃんと納得できる説明がないと手抜きだと思う」という人で映画の評価は変わってくると思いますが、当然オレは前者なのでございます。いやあ、マジキチ野郎が皆殺ししまくる愉快で楽しい映画だったなあ!

完全なる報復 予告編