憎しみと絶望のチョモランマ

いつも能天気に牛の涎の様なダラダラした駄文を垂れ流しているオレであるが、こんなオレにも心の底から疎ましく思っていることがあるのである。オレが憎むもの、それは使った食器を洗うことである。立ち飲み屋のつまみにも見劣りするようなショボイ献立が大得意のオレであるが、そんなつましい料理に使った鍋釜食器調理道具を洗うのが大嫌いなのである。もう面倒臭くて面倒臭くて堪らないのである。だいたいメシ食った後のオレなんてたっぷり牧草を食い4つもある胃で消化中の牛のようにまったりどってりしているのだ。要するに動きたくないのである。動いて堪るかなのである。動かせるものなら動かしてみやがれ状態なのである。

そんなオレがメシ食ってすぐ洗い物などするわけが無い。そしてまったりどってりした後のオレが何をするかというとインターネットである。インターネットで見聞を広め社会や世界をより詳しく知り今大流行のブログというやつで人々がどのような主義主張議論討論を繰り広げているのかをつぶさにチェックしているのである。オレ結構やるじゃん、である。社会の第一線で活躍する企業戦士として当然の事だ。特によく閲覧しているのは2chのVIPまとめHPとYouTubeニコニコ動画である。時々エッチなサイトも観ちゃうよ。エヘ。…オレやっぱりダメじゃん。

そして認知症の老人のようにネットを徘徊した後は勿論ゲームだ。胸囲が2mぐらいありそうなムキムキのゴリラ男と化して1億発の弾丸が入った丸太ほどもあるぶっといマシンガンを抱え目玉と腕と足と尻尾がそれぞれ10個ずつありそうな緑とか紫色したエイリアンどもを東京ドーム1個分のハンバーグが出来るほどミンチにしまくるのである。これがメッチャ楽しい。とまあこんなふうに知的なひと時を過ごしていると時間が経つのが早い。気が付くともう深夜である。当然寝るのである。こうして台所の洗い物は忘れ去られるのである。そして、そのセットが数日繰り広げられた場合、当然数日間台所の洗い物は放って置かれるというわけなのである。…いや〜んキチャナ〜イッ!そしてその数日分の食器が幾重にも積み重ねられ、あたかもチョモランマのように台所に聳え立ち、はるか高みからオレを見下ろしているのだ。まるで蔑むかのように、まるで虫けらでも見るかのように。「おまえはズボラだよ!ズボラーさんだよ!」洗い物チョモランマはそうオレに言う、「全く人類の歴史上ズボラで死ぬのはお前が最初で最後だろうな!」そびえ立つ地獄チョモランマはオレにそう吐き捨てる。

もうここまで言われたら幾らオレが屑だらけの部屋で暮らす屑男だとしても、やはりブルー入っちゃうのである。憂鬱である。絶望である。社会のヒエラルキーからカーストからこぼれ落ちた人間以下の人間のような気がしてくるのである。そしてそこまで絶望してやっと洗い物をする気になるのである。いや、”する気”というよりやけっぱちである。自暴自棄なのである。もう厭で厭で堪らないのに無理やり体を動かさねばならないのだ。苦痛に体が軋む。悲しみに思いが鈍る。涙に目の前が曇る。もはや自分が自分で無いような、魂まで凍りついた人間のような気分になる。だが洗い物はしなければならない。これ以上自分で自分を汚すのは沢山だからだ。そうして決死の思いで洗い物は成され、チョモランマの山は綺麗に洗われて食器棚に戻され、全ての体力と精神力を使い果たしたオレは一週間履き倒した靴下のようにドロドロのグダグダになって部屋の床にくず折れるのである。しかし、その顔には困難な使命を達成した男だけが浮かべ得る至福の笑みが浮かべられていたことを知る者は誰もいないのであった…。