1周年記念!ド田舎写真お蔵だし その3《田舎はやっぱり田舎だった篇》

3日目です。今日は「ああ、田舎なんだなあ・・・」という写真を集めてみました。

この風車はなんだか分かりますか?これ、風力発電の風車なんです。オレの田舎は日本でも有数の風の強い土地で、こんな風に風力発電が可能なんです。写真では一基だけですが、こんなプロペラが山の上に数十基立てられていて、その光景はなにかSF映画のようです。

これ、実は海水浴場なんです。8月の半ばの日曜日に行ったのに、誰一人いません。田舎では夏場一ヶ月だけ海開きがありますが、海水浴場は幅が500Mぐらいで仕切られていて、沖も20Mぐらいでブイが浮いており、その先にはいけません。

(砂浜にLOVEと書いてみた・・・。)

《桜井前》と書かれたバス停留所。しかし近くには何の建物もありません。いったい《桜井》とはなんなんでしょう?

山の上の鳥居と神社、そして奇岩。

この奇岩は縄文時代頃の遺跡なんだそうです。しかし、こんな寒い土地で、大昔の人はどうやって暮らしていたんでしょう?

社寺仏閣その2.北門神社と呼ばれています。無事な航海を祈る為の神社です。

やっと市内に戻りました。ところでアーケードの文字をよく見て下さい。日本語じゃないんです。

これはキリル文字、ロシア語なんですね。オレの田舎は漁港なんですが、ロシアの漁船もよく停泊し、船員たちが市内へ買い物や飲み食いをしにやってきます。それなりにいいお客さんになるらしく、駅前の商店街でさえこんな風にロシア語で店の名前を書いて、ロシア人船員を呼び込もうとしてるんです。
実はロシア船員達は外貨獲得のためにこっそり漁獲したケガニをオレの田舎で売っていくんですね。いい稼ぎになるのでしょうが、これにロシアンマフィアが眼を付けて、実はオレの田舎ではロシアンマフィア同士の拳銃発砲事件があったほどです。

最後にやっと観光写真らしい写真を。これは山の上の公園にある《氷雪の門》という彫刻です。これは、かつて第2次世界大戦終結時に樺太領を奪われ、北との航路が閉ざされた事と、樺太領での日本人戦争犠牲者への哀悼を込めて建てられたものなんだそうです。
という訳で足掛け三日でしたが楽しんでもらえたでしょうか。ヘンな写真ばかり撮っていたので、あんまり綺麗な風景とか載せられませんでしたので、そういうのを期待されてた方ゴメンなさい。
「写真だけUPしとけば文字を書かずに済む!こりゃ楽だ!」と思ったのが大きな間違い。20枚以上の写真をスキャナで取り込んでフォトショで画質調整、写真サイズ変更、ファイルサイズ変更…とかやってたらかなりな仕事になってしまいました。でもまた田舎帰る事がありましたらまたヘンな風景の写真を撮ってこようかな、と思ってます。