あの有名な《ピーターパン》を世に送り出した作家ジェームズ・バリと、その《ピーターパン》の着想のもとになったある家族との心の交流を描いた映画。
ピーターパン、歳を取らない永遠の子供。そんなファンタジーを生み出す背景には夢と現実との相克があったのだろうことは想像が付く。だからオレは最初、この映画はティム・バートンの《ビッグフィッシュ》みたいな、ファンタジー論が展開される映画になるのかな、と思ってたんだよ。でも、監督が、《チョコレート》のマーク・フォスター。オレ、《チョコレート》、物凄くつまらなかったんだよ。中途半端に不幸で、中途半端に善意があって、中途半端にセックス・シーンが入る、という、なーんか食い足りない、煮え切らない映画でね。監督は多分善人なんだろうとは思ったけど、その善人振りがつまんなかったんだと思うんだ、きっと。
でも、見てみると、両方の予想がはずれてたね。もちろんファンタジックな映像は用意されているし、それははっきり言ってティム・バートンのビッグフィッシュよりも効果的に使われているんじゃないかと思ったし、また、人は何故ファンタジーを求めるのか、という命題も扱われているけれど、やはりマーク・フォスターはリアリズムな、人間関係を中心においた演出になってるんだね。それは、作家ジェームズ・バリと未亡人シルヴィアとのプラトニックな恋愛感情なんだよ。そして、シルヴィアの4人の息子達、取りわけ、亡き父の不在に心を閉ざしたピーター少年、即ちピーターパンのモチーフになった少年との心の交流だ。この辺に、“善人な監督”の演出が、今回は生きているんだよ。
勿論善意だけじゃない。結婚していながら自分の嫁を放って置いて、よその子連れの未亡人と毎日楽しく過ごしてる主人公はやはり何か心に喪失感を抱えてるんじゃないかと思うんだよ。映画ではその理由も語られているけど、やっぱり下世話な話はいくらでも考えられるんだよね。それを映画ではさらっと流して、綺麗に描いている事が、逆にテーマがすっきりして今回はいい映画になったと思うんだ。
そして、「永遠の少年」のモチーフになった少年達が自分の現実と対峙して大人になっていく、という逆説的なストーリーのあり方がいいね。これは夢の物語を描いたものではなく、現実的に生きることの物語だったんだ。だから「永遠の少年」であるティム・バートンやスピルバーグの描く空想的な物語とはまた別の、大人の物語なんだよ。だから映画の中の、「夢を信じ続けていれば、この現実のことは忘れられるって言ったじゃないか」「いや、そうじゃないこともあるんだ」みたいな感じの台詞の苦さが、とても生きているんだ。そして、そんな辛い現実が語られるから、それでもなお、「夢を信じよう」という決意のあり方が、静かな感動を呼ぶんだよ。
パンフレットによれば、この映画のディヴィス家の子供たちは、成人後、悲劇的な運命を辿る者達が多かったらしいんだ。ピーター少年も、63歳の時に自殺しているんだという。ウェンディのモデルになった子は6歳で他界しているらしい。でも、そのような過酷な運命があったにせよ、少年の頃、あの日、あの時に垣間見たネバーランドの、美しく輝きに満ちた理想郷の光景は、永遠の中で色褪せる事はないと思うんだよ。
最後に、子役達は嫌味がなく素直に可愛かった。そして未亡人シルヴィアを演じたケイト・ウィンスレットは、今まで見た彼女の映画の中で一番美しかった。でも、ジョニー・ディップは、オレには何故かココリコの遠藤に見えちゃって、たまに違和感を覚えてしまった。
すまん。いい話で進めた今回のレビューをココリコ遠藤でオチにしちゃって。
なお、同様な物語に、「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルとアリスのモデルになった少女との交流を描いた、「ドリームチャイルド」*1という映画がある。この映画も、幻想と現実のねじれを描いた切ない物語だった。興味のある方は探してみてください。