道しるべを無くした全ての者たちよ/映画『スタートアップ!』

■スタートアップ! (監督:チェ・ジョンヨル 2019年韓国映画

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あのマ・ドンソクが、ドンソク兄貴が、おかっぱ頭姿で映画に登場!?ドンソク兄貴にいったい何が!?予告編を観るとなにやらトッポイ兄ちゃん二人を愉快にシバキ倒しているドンソク兄貴のマブい笑顔が輝いている!?その姿はなんというか、珍獣……?このドンソク兄貴のビジュアルだけでも何が何でも観なければならない気にさせる映画、それが韓国映画『スタートアップ!』である。

物語の主人公は二人の落ちこぼれ少年だ。一人は母子家庭の金髪少年テギル(パク・ジョンミン)、もう一人はその親友でお祖母ちゃんと暮らす少年サンピル(チョン・ヘイン)。学校を辞め適当な生活を送る二人だったが、母親と衝突したテギルは家出して偶然見つけた中華飯店に勤めることに。しかしそこにはどうにも怪し気な風体のコック、コソク(ドンソク兄貴)がおり、事ある毎にテギルをいじり倒す!?一方サンピルは消費者金融の取り立て屋となって、社会の暗部を見る事になる。

『スタートアップ!』はまず、青春ドラマとして始まる。それは落ちこぼれでしかない不良少年二人が、社会の中でどう生きていくのかを模索し、時に手ひどく痛めつけられながら、次第に自分の居場所を見つけてゆく物語だ。最初はチャランポランな兄ちゃんでしかなかったテギルは、コソクとドタバタを演じながらも、中華飯店の人々の中に疑似家族を見出す。それは母子家庭では得られなかった家族の温もりだったろう。一方取り立て屋となったサンピルは、貧困の中で生きる者の過酷さと、そこに付け入る暴力を垣間見、裏社会の恐怖を体験することになる。すなわちテギルとサンピルは、底辺社会で生きる若者のコインの裏表なのだ。

映画はこの二人を軸としながら、さらに様々な人生模様が描かれることとなる。それは二人を取り巻く人々の、どこかで道しるべを無くしてしまったかのような、喪失や悔恨に満ちた人生だ。それはテギルの母ジョンヘ(ヨム・ジョンア)であったり、珍獣コック・コソクを始めとする中華飯店の人々であったり、テギルが出会う赤髪の家出少女ギョンジュ(チェ・ソンウン)であったりする。これらの人々が過去や現在にしがらみを抱えながらそこから抜け出し、やはり自らの居場所を見つけ出そうともがきまわるのだ。

こういった物語の背景にあるのは韓国の格差社会とそれが生み出す貧困問題なのだろう。また、サンピルの体験する裏社会と、珍獣コック・コソクの真の姿が抱える闇を描くことにより、主人公らをとりまく社会が一筋縄でいくものではないことも示しだされる。特に「覚醒したコソク」が解き放たれた時に生み出される、韓国映画十八番の熾烈極まりないバイオレンスは、ドンソク兄貴の独壇場であり、この映画のもう一つの見所であり山場となるのだ。

しかし物語はそういった社会の負の部分を浮き彫りにしつつも、単に暗鬱で遣る瀬無いものにしようとしない。そんな社会で、どう生き、どう手を取り合ってゆくのかを、主人公らの向こう見ずな若さと、そこから生まれるハチャメチャの笑いの中で描こうとするのだ。そうだ、例え遣る瀬無い人生であろうとも、上を向いて笑って生きようじゃないか。自分にできる事を、できるだけしようじゃないか。それがデコボコで、ポンコツな人生でしかなくとも、前向きであろうとするなら、きっと応えてくれる者がいる。そんななけなしの希望を謳った作品、それが映画『スタートアップ!』なのである。

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ボウイの未発表セッション・アルバム『Changesnowbowie』が発表されたからファンは嗚咽し乱舞して聴くがいい!!

■Changesnowbowie / David Bowie

Changesnowbowie【2020 RECORD STORE DAY 限定盤】

2016年に惜しまれながらこの世を去ったデヴィッド・ボウイの”新譜”が2020年の今発表される、というのだから古くからのファンとしてこれは壮絶に盛り上がらざるをえない。といっても未発表の新曲が発掘された、というのではなく、過去に発表された楽曲の、アコースティックを中心とした未発表セッションがアルバムとして発売されるということなのだ。しかし侮るなかれ、これが相当にクオリティの高いアルバムとして完成しているのだ。

アルバムのタイトルは『Changesnowbowie』。『CHANGES●●●BOWIE』というタイトルの付け方は、これまでリリースされたベスト・アルバムのタイトルから踏襲されていて実に馴染み深いし、「これはキッチリしたアルバムですよ」ということが保証されている気になってくる。詳細はこちらを参照のこと。リンク先では全曲が試聴できる。

『CHANGESNOWBOWIE』は、1997年1月8日のボウイ50歳の誕生日にBBCで放送されたラジオセッションの音源を収めた作品。このセッションは1996年11月にニューヨークのLooking Glass Studiosで録音。そのほとんどがアコースティックセッションで、レコーディングにはGail Ann Dorsey (bass, vocals)、Reeves Gabrels (guitars)、Mark Plati (keyboards and programming) が参加しています。

デヴィッド・ボウイ 未発表ラジオセッション音源集『CHANGESNOWBOWIE』が全曲リスニング可 - amass

録音が1996年ということは、 アルバム『アウトサイド』(1995)と『アースリング』(1997)の中間の時期となる。これは1993年発表の『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』においてそれまでの低迷期を抜け出し、”カリスマ・スーパースター”のボウイから一人の人間としてのボウイとなって音楽活動を再開した時期以降ということになるのだ。そういった部分で非常にリラックスした(まあセッションだしね)、 同時に十分脂の乗った魅力満載の音源の数々が聴けるというわけなのだ。

収録曲は9曲、主にボウイ初期の頃の作品が多い。それは『世界を売った男』や『ハンキー・ドリー』、『アラディン・セイン』や『ジギー・スターダスト』といった70年代のアルバム曲からということだ。ある意味最もボウイの【核】と言うべき時期の曲であり、そこから中心的にセレクトされているということが興味深い。例外的にアルバム『ロジャー』から「Repetition」、ティン・マシーン時期の曲「Shopping For Girls」がセレクトされているのだが、これも「なんでその曲?」という部分で面白かったりする。ではざっくりそれぞれの曲を紹介してみよう。

M1「The Man Who Sold The World」はアルバム『世界を売った男』から。オリジナルもギター中心の曲だったので演奏にはそれほど違いは感じられないのだが、オリジナル当時のイキりまくった若者だったボウイから年を経たボウイのヴォーカルは十分の哀感を帯びておりまた別の感慨がある。

M2「Aladdin Sane」はアルバム『アラディン・セイン』から。オリジナルはジャズ・ピアニスト、マイク・ガーソンのアブストラクトなピアノ演奏が耳に残る曲だったが、アコギで演奏されるこのセッションは女性ヴォーカルとのデュエットとなり、まるで違った印象を受ける。しかしオリジナルの気怠くもまた悲しみに満ちたイメージは全く損なわれていない。このアルバムでも必聴となる白眉の演奏だ。 それにしても「Paris or maybe hell」という歌詞の一節はいつ聴いてもゾクリと来るな。

M3「White Light/White Heat」ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲だが、これはボウイの最高傑作ライブ・アルバムであり、ライブ・フィルムのサントラであった『ジギー・スターダスト・ザ・モーション・ピクチャー』で白熱の演奏を聴かせていた曲なのでファンなら御存知だろう。このセッションでもエレキギターが小気味いい!

M4「Shopping For Girls」はティン・マシーン時代のアルバム『ティン・マシーンⅡ』から。正直オレはティン・マシーンは完全スルーしていてアルバムさえ持っていないのだが、この曲はベスト・アルバム『Sound+Vision』に収録されており聴き比べてみたのだが、このセッション・バージョンのほうが断然に完成度が高い!あたかも新曲の様に聴いてしまった。

M5「Lady Stardust」はボウイ最高傑作アルバムと呼ばれる『ジギー・スターダスト』から。高らかに歌い上げるオリジナルと違い、どこか囁くかのように歌い始めるこのバージョンは、煌めくようなグラム時代を懐かしみ振り返るかのような愛情を感じる。ちなみにタイトルにある「Lady」とは女性ではなく女装したボウイ本人のことなのだ。

M6「The Supermen」はアルバム『世界を売った男』から。オリジナルはニーチェとSFを足した威勢のいい中2ぽい曲だが、アコギで歌われるこのバージョンはそんな中2な過去に微笑んで手を振っているかのようなユーモラスな雰囲気が漂っている。

M7「Repetition」はベルリン3部作最終アルバム『ロジャー』から。オリジナルはどこかひねくれたような演奏と曲調の作品だったが、このバージョンではまるで憑き物が落ちたかのようなストレートでスッキリした曲に変身しており、まるで別物の様にすら聴こえる。そしてこれも、こちらのバージョンのほうがいい。ここでもアーチスト・ボウイの変遷を聴きとることができるだろう。

M8「Andy Warholは「裏ジギー」として評判の高いアルバム『ハンキー・ドリー』から。オリジナルももともとアコギ一本で演奏されている曲なので、やはりアコギ演奏のセッション・バージョンと大きな違いは無いのだが、逆に同じシンプルな構成の中から1971年のオリジナル曲当時のボウイと1996年のセッション当時のボウイの、25年を隔たアーチストの変化を聴きとるのが楽しいかもしれない。

M9「Quicksand」もアルバム『ハンキー・ドリー』から。オリジナルもアコースティック・メインの曲であり、美しくしっとりした印象を持つ作品だったが、このバージョンではさらにきめ細かく情感の溢れた演奏を聴かせている。歌詞は観念的ながら生への恐れを歌ったものだったが、これもオリジナルから年月を経た後に、そういった生の恐れを受け入れあるがままに生きていこうとするニュアンスがこのバージョンからは聴きとれるのだ。穏やかだが力強い演奏はこのアルバムのラストに相応しい曲となっている。  

【収録曲】

1.The Man Who Sold The World (ChangesNowBowie Version)
2.Aladdin Sane (ChangesNowBowie Version)
3.White Light/White Heat (ChangesNowBowie Version)
4.Shopping For Girls (ChangesNowBowie Version)
5.Lady Stardust (ChangesNowBowie Version)
6.The Supermen (ChangesNowBowie Version)
7.Repetition (ChangesNowBowie Version)
8.Andy Warhol (ChangesNowBowie Version)
9.Quicksand (ChangesNowBowie Version) 

Changesnowbowie【2020 RECORD STORE DAY 限定盤】

Changesnowbowie【2020 RECORD STORE DAY 限定盤】

 

『古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 新生代編』を読んだ

■古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 新生代編 / 土屋健 (著)、群馬県立自然史博物館 (監修)

古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 新生代編

「もしも既に絶滅してしまった古生物が現代に生きていたらどのぐらいのサイズ感なのだろう?」をコンセプトに、親しみやすい図説で好評を博した『古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑』シリーズ、これまで「古生代編」「中生代編」と続いてきましたが、いよいよ「新生代編」の登場です。

ちなみに「古生代」は約5億4100万 - 約2億5190万年前、無脊椎動物の繁栄から、恐竜が繁栄しはじめる中生代の手前までを指します。「中生代」は約2億5217万年前から約6600万年前、恐竜が生息していた時期。そして「新生代」は約6,500万年前から現代まで、恐竜が絶滅し哺乳類と鳥類が繁栄した地質時代を指します。

例えば「古生代編」はエヴァンゲリオンに出て来る使徒みたいな、現代では考えられないような奇妙で奇異な形態をした生物たちの姿が圧巻でした。「中生代編」は恐竜時代となりますが、お馴染みの様に思われた恐竜の姿が、最新研究の結果として新鮮な姿となって登場する様に驚かされました。

それらの古生物たちがこの現代の、ありふれた風景やシチュエーションに紛れ込む形で図説が紹介されるのがこのシリーズの醍醐味となります。部屋の片隅にちょこなんと鎮座する不思議な形の古生代生物、スクランブル交差点を悠々と闊歩する巨大恐竜の姿、それらは、非常にユーモラスであると同時に、生き生きとした生命感を持って目の前に現れるんです。このシリーズの楽しさはまさにそんな部分にあるんですね。

ではこの「新生代編」はどうでしょう。ここでは我々の見知った哺乳類の祖先となる生物が多く登場しますが、「現代に生きる哺乳動物と比べると微妙に違った姿」の、その差異の在り方がとても興味を引くんですね。ここではネコ科、イヌ科、鳥類やげっ歯類、さらにゾウやウマなどの祖先が登場しますが、どれも似ているようで似ていない、さらにはまるで似ていなかったり、想像を絶する巨大な姿であったりするんですよ。

例えばイタチみたいにしか見えないが実はイヌ類の祖先ヘスペロキオン・グレガリウス。身の丈1.5メートルというペンギンの祖先イカディプテス・サラシ。肩高4.8メートルの巨大な馬の様にも見える生物パラケラテリウム・トランソウリクムはなんとサイの祖先。全長3メートルのげっ歯類ジョセフォアルティガシア・モネシイは巨大化したカピバラみたい。ナマケモノの祖先メガテリウムアメリカヌムの大きさはなんと6メートル!

実は最初、「変な形の古生代生物や物々しい姿の中生代生物と比べたら、哺乳類が中心の新生代生物は見ていてちょっと退屈かな?」と思っていたのですが、どうしてどうして、実際に本を開いてみると、この「お馴染みのようでやはり違う」新生代生物の形態に、じっくりと見入ってしまう結果となりました。

さらに、新生代生物は現代の生物を参照にしやすい分、絶滅生物とは言えおそらく真実の姿にとても近い部分まで再現されているように感じるのですよ。それは全体のフォルムだけではなく毛並み皮膚感やその色彩など、化石情報だけでは判別しにくい部分を現代の生物から類推して近い部分まで再現可能になっているのではないかと感じるのですよ。つまり、よりリアルな生物として実感できる、ということなんですね。

それともう一つ、これら「新生代」の生物の生息期間は、実は一部に於いて発生したばかりの人類と被っている、という点も見逃せません。つまり、人類はこれらの生物の一部を実際に目にしているばかりか、生物によっては人類によって絶滅させられたものまであるんですね。例えばあの有名なマンモス(マモーサス・プリミゲニウス)などは、数千年前までは生きていた訳なんですよ。

そして想像してしまうんです、この本の中の幾つかの生物は、実はつい最近までどこかでひっそり生きていたか、または生きているのではないか?ということを。これは単なる妄想に過ぎませんが、そういった想像を可能にしてしまう、生物というものへの限りない興味を、この図鑑は可能にしてくれるんですね。

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globalhead.hatenadiary.com

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イスラエルSFの芳醇なる収穫、『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』を読んだ。

■シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選

シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選 (竹書房新書)

イスラエルと聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。驚くなかれ、「イスラエルという国家は、本質的にサイエンス・フィクションの国」(「イスラエルSFの歴史について」)なのだ。豊穣なるイスラエルSFの世界へようこそ。

イスラエルのSF?珍しいなあ」と思い手にしてみたのがこの『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』である。とはいえ、軽い気持ちで挑もうとしたらなんとゲンブツの文庫本は700ページ越えの煉瓦本で、その段階で相当の挑戦的な態度が伺え、こちらとしても「これ読むの?……ああ読むさ読んでやるさ!」と闘志を露わにした所存である。

しかし最初の4編ほどまで読んでそんなふざけた気持ちは吹き飛んでしまった。どれも畳み掛けるように面白く、なおかつ今まで読んだ欧米SFとは微妙に違うテイストを持つビザールな作品が並んでいたからである。これはこれまで未踏の領域であった「イスラエルSF」というものが、いかに特異で完成度の高い作品に溢れているのかを知らしめる非常に優れた短編集ではないか。

例えばオレは最近の中華SFの面白さとその躍進ぶりに大いに注目していたが、それは中華SFという発展途上のジャンルの若々しさやヤンチャさ、大いなる将来性にワクワクさせられていかたらだった。しかしこのイスラエルSFからは、それとは違う、イスラエルという特異な国家ならではの歴史性と国際社会における立ち位置が反映されたものを如実に感じてしまうのだ。

なによりまず、「聖書」という”いにしえの物語”を生み出した民族であること、その後のディアスポラと流浪の歴史と悲惨な戦争体験、シオニズムの名の元に再建された古くて新しい国家であること、中東世界における現在の一触即発の立ち位置、同時に、「中東のシリコンバレー」とまで呼ばれる急進的なテクノロジー産業の勃興を擁する社会であることなど、さまざまな複雑な要素がその背景としてうかがえてしまうのである。

そして、そういった社会で生きる一般市民が、いったい何を夢想し、何に不安を抱えて生きているのかが、「SF」という形で結実したのがこの作品集であると言えるのだ。それは欧米SFの、高度資本主義社会とそれに裏打ちされた科学技術主義、それらに対する希望と不安といった形で結実する物語とはまた違ったものにならざるを得ないのだ。

同時に感じたのは、これらの作品からはかつてのロシアSFのような、容易く社会批判・体制批判が出来ない理由から生じる、どこか掴み所のない類推の困難なメタファーが存在するように感じる。実際のところ、元ロシア在住のユダヤ人移民による作品も存在している。しかしその掴み所の無さは逆に、あくまで異様で異質な世界観として眼前に表出し、奇妙な不安感を読後に残すのだ。

さて「SF傑作選」となっている本作だが、未来社会や危険なテクノロジー、世界の終りやテレパシーなどの、まさにSF的な物語は全体の3分の1ぐらいで、それ以外の物語は「奇妙な味」に極近い幻想小説的な作品が並ぶことになる。これはイスラエルSFがSFを「サイエンス・フィクション=空想科学」ではなく「スペキュレイティブ・フィクション=思弁的空想」としてとらえていることからなのらしい。さらに現代的なSF作品のみならず、深い歴史性に基づくフォークロアの匂いがする作品も見受けられた。

こうして紹介された作品の数々はどれも不可思議な異彩を放ち、これまで欧米SFでは触れたことも無いような感触を持ち、さらに傑作と太鼓判を押すべき痺れるような作品も幾つかあった。

ざっくり気になった作品を紹介すると、「スロー族」は人種隔離の話であり、「アレクサンドリアを焼く」は侵略・絶滅・過去の遺産・終わりなき戦いの物語で、これらは容易にイスラエルの歴史を浮かび上がらせていた。超能力者を描く「完璧な娘」はP・K・ディックにも通じる共感と痛みについての物語で本作品集の中でも白眉。「信心者たち」はハーラン・エリスンを想像させ、多次元宇宙を描く「白いカーテン」の寒々しさ、「鏡」の不可思議さ、「夜の似合う場所」のペシミスティックな終末世界、やはりディックを思わす「二分早く」、宗教的啓示を笑いものにした「ろくでもない秋」など、どれも奇妙な不安感を残す。そして「エルサレムの死神」。死神と結婚した女、という吸血鬼譚の変奏曲のような暗い死の臭いに満ちた物語は想像も付かない結末を迎える。これも傑作だろう。 

【収録内容一覧】
まえがき ロバート・シルヴァーバーグ
「オレンジ畑の香り」ラヴィ・ティドハー
「スロー族」ガイル・ハエヴェン
アレキサンドリアを焼く」ケレン・ランズマン
「完璧な娘」ガイ・ハソン
「星々の狩人」ナヴァ・セメル
「信心者たち」ニル・ヤニヴ
「可能性世界」エヤル・テレル
「鏡」ロテム・バルヒン
「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」モルデハイ・サソン
「夜の似合う場所」サヴィヨン・リーブレヒト
エルサレムの死神」エレナ・ゴメル
「白いカーテン」ペサハ(パヴェル)・エマヌエル
「男の夢」ヤエル・フルマン
「二分早く」グル・ショムロン
「ろくでもない秋」ニタイ・ペレツ
「立ち去らなくては」シモン・アダフ
イスラエルSFの歴史 シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム

「愛」という名の強迫観念/ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』を読んだ

■ロリータ / ウラジミール・ナボコフ

ロリータ (新潮文庫)

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。…」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。

ロシア生まれの文豪・ウラジミール・ナボコフが書いた長編小説『ロリータ』は少女への性的嗜好を指す俗称である「ロリータ・コンプレックス(=ロリコン)」の語源ともなった物語である。この「ロリータ・コンプレックス」は和製英語であり、海外では「ロリータ・シンドローム」などと呼ぶのらしい。オレ自身は少女なるものに性的興味は無いし、ロリコンというものにも関心はないのだが、今回この『ロリータ』を読んだのは、「そういえばスタンリー・キューブリックが映画化してたなあ」といった程度の理由からだった。

『ロリータ』は主人公である中年ヨーロッパ紳士ハンバート・ハンバート(ふざけた名前!)が獄中で書いた手記という形で物語られる。ハンバートは少年の頃に恋していた少女の死により、成人後も「少女」への執着が捨てきれなかった。そんな時出会ったのが12歳の少女ドローレス・ヘイズ、通称ロリータだった。ハンバートはロリータに近づくためその母親である未亡人シャーロットと結婚、彼女が事故死した後にロリータと遂に思いを遂げ、それからアメリカ中を車で彷徨うことになる。

12歳の少女に性的執着を抱き、その少女をかどわかして性交渉を持ち、飴と鞭を使いながら拘束しつつ全米中を連れまわす男ハンバート、彼は常識的な範疇で言うなら変質者であり性犯罪者であり傲慢で自己中心的な卑劣漢である。そんな男が自らの行為を正当化しながら書き綴った手記はさもおぞましく唾棄すべきものであったかというと、なんとこれが真逆だったのだ。うわべだけ見るなら変態小説でしかない『ロリータ』は、そのあまりに高い文学性と芳醇極まりない文章により、第一級の世界文学として完成していたのだ。

『ロリータ』の物語は類い稀な言語表現の在り方により読む者を徹底的に酔わせてゆく。『ロリータ』における文章は稚気と諧謔に富み、豊富な語彙と広範な引用と絶妙な暗喩隠喩がそこここに躍り、その言い回しと言葉遊びの技からは高い知識と知性が閃光の如く発露し、そしてこれらが高純度に煮詰められ香しくもまた濃厚な表現としてページを埋め尽くし、あまつさえ軽やかなリズムを刻む音楽的な文章となって顕現しているのだ。オレはそれほどの本読みではないが、ここまで完成度の高い技巧性を持った文学作品を読むのは初めてかもしれない。

そしてこれら「高い文学性」を持った文章が、主人公である変態親父ハンバートが少女ロリータの魅力にだらしなくアヘアヘと悶絶する様を描くためのみに奉仕している、という部分に於いてまた凄まじい、おそろしく風狂に過ぎる文学なのだ。内容は確かに倒錯的なものであるにも関わらず、その文章の妙があまりにも素晴らしいがゆえにその倒錯性すらも受け入れさせられてしまう、その構造自体が倒錯的な作品とも言えるのである。

そしてまた、主人公ハンバートを単なる変態親父と断罪し否定しそれで善しとできるのか、とも思うのだ。ハンバートの行状はもちろん反社会的でアンモラルなものではある。しかし時として文学は、その反社会的でアンモラルな行状の中から人間存在が抱える懊悩の深淵を抉り出すものなのではないか。なんとなれば小説『ロリータ』は、全てが「愛」と言う名の強迫観念と、それを抱えた者の懊悩についての物語だとも言えるのではないか。

小説『ロリータ』は、その恋愛対象が「12歳の少女」ということを念頭から消し去れば、物語的には実に当たり前の恋愛小説として読めてしまうのだ。確かにハンバートの恋はエゴイスティックなものでしかないが、エゴイスティックな恋など世に履いて捨てるほどあるだろう。ただその対象を「12歳の少女」とした途端に、物語は突然「愛」という感情が時として抱える独善性と、「愛」それ自体が強迫観念化した執着の産物である事を丸裸にし、ひりひりとした痛痒感に満ちたものとして提示してしまうのだ。それはハンバートの「愛」が捻じ曲がった、歪んだものだからこそ、マーキングされ強調表現されたものとして可視化されてしまうのである。

そして、捻じ曲がり歪んだ愛であるにもかかわらず、ハンバートがその窮極に於いて、自らの抱く愛の熾烈さを見出すシーンがどこまでも美しく、心切ないのだ。この引用部分は物語のまさにハイライトとでもいうべき部分である。

そして私は何度も、何度も彼女を見つめ、自分がいつかは死ぬ運命なのを知っているのと同じくらいはっきりと知った、私がこの地上で目にしたどんなものや、想像したどんなものや、他のどこで熱望したどんなものよりも、私は彼女を愛しているのだと。(P494)

ハンバートの「愛」は「愛」なのか、それとも単なる倒錯であり犯罪でしかないのか。実はそんなことはどうでもいい、なんとなればそれらは強迫観念の名のもとに同質のものであると言い捨ててもいい。そうではなく、「愛」という感情をどうしようもなく抱えてしまう人間という存在の、その救いようのない痛苦と、どこか滑稽でもある懊悩の果てを、この物語は描き出してみせたのではないだろうか。そしてそれでも人は、「愛」に救いを見出そうとして止まないのだ。

(余談。この小説を読み終えてからやっとキューブリック映画化作品を観たのだが、公開当時の時代性のせいか性的にあからさまな表現を差し控えている為にテーマがぼやけ、「継父の継娘教育奮闘記」にしか見えないという残念な出来だった)

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