駆け落ち/失踪 (5回連続・最終回)

友人Nが失踪してから10数年が過ぎた。その年の夏、オレは夏休みを利用して北海道の実家へ帰省していた。帰省した時はいつもお定まりのように自転車に乗り、田舎町の更に外れの、野原や、海辺や、牧場や、人の手がほとんど付いていない原野を走り回っていた。

帰省して3日目ぐらいのその日は、自然にも飽きて市街地を特にあてがあるわけでもなく自転車でクルクル廻っていた。高校を卒業してすぐ上京したものだから、オレの田舎での思い出は高校止まりである。あの頃通っていた学校や、通学路や、行き帰りに使っていたバス停や、寄り道していた喫茶店や映画館の近くを通ると、懐かしさで胸の奥がちりちりと疼くのを覚えた。オレは随分と若い内から感傷的な人間だった。そのときも、自転車を漕ぐスピードで後ろへと通り過ぎてゆくそんな風景を眺めながら、学生だった時の友人達の顔や、その友人達と日夜繰り広げられた馬鹿騒ぎや、決して成就しなかった密やかな片思いの思い出などが、オレの頭の中で現れては消えていった。そして、自転車は、いつの間にか、友人Nの実家へと向かっていた。

学生時代は学校の近くにあったNの家に上がりこんでは二人で遅い時間まで馬鹿話に講じていた。オレもNも映画や小説、漫画や音楽が大好きで、おまけにとても趣味が合ったもんだから、話題にはいつも事欠かなかった。そして現実味の無い夢を語りあったり、10代の頃にありがちなウジウジとした悩みを披露しあったりしていた。Nの片思いが絶望的になったときも、オレがこっぴどく振られたときも、お互いの愚痴を聞きあっていた。飯どきにはご飯までよばれていた。オレはあの頃から図々しい男だったのらしい。ただお陰でNだけではなくNの家族の方々ともとてもオープンな付き合いだった。特にNのお母さんは話好きなとても料理の上手い方で、オレはいつも世話になりっぱなしだった。

Nの弟Yともオレは仲が良かった。オレとNと弟Yで遊ぶ事もよくあった。Nの家族は皆落ち着いて穏やかな顔をした人ばかりだった。オレはNの家にいると妙に安らいだ気持ちになった。母子家庭だったせいか子供の頃からあまり見たくもないものを見ながら育ったオレにとって、Nの家はある意味理想のような家族だった。だが、そんなふうに交流のあったNの家族とは、Nの失踪後、何か居心地の悪い思いと罪悪感が心の中にあって疎遠になっていた。実は帰省する度、Nの家の近所まで行っては、ドアを叩く事もできずに帰ってきてばかりいたのだ。そうして何年も逡巡しながら、この日、オレは意を決して、Nの家を訪ねる事にした。

出迎えてくれたのは、あの懐かしいNのお母さんだった。Nのお母さんは驚きながらもすぐ昔のあの柔らかな笑顔を浮かべ、オレを家に招き入れてくれた。ちょっとだけ緊張していたオレも、十数年の空白などなかったように、すぐに寛いだ気分になった。Nの家は何も変わっていなかった。Nがいないという事を除けば。オレはこの日、訪ねたこの家に、ひょっとしてあのNがいて、昔と変わらず照れくさそうな顔をして現れ、「あんときは悪かったなあ」なんて言いながら、このオレを迎えてくれるんじゃないのか、そしてまた昔みたいに、あいつと馬鹿話の一つでも出来るんじゃないのか、そんな、あまりに出来のいい、夢みたいな期待が、ほんの少しも無かったと言えば嘘になるだろう。だがそこには当然のことのように、Nは居はしなかった。

型通りの近況報告をしあった後、Nのお母さんは、オレが訪ねてきた一番の理由である、Nのその後の行方について話して聞かせてくれた。

「本当にあれ以来、ずっと行方が判らなかったの。ちゃんと生きて生活していてくれればいい、と思っていたけれど、何にも手掛かりが無くて、ちょっと諦めかけていたぐらい。でもね。ついこの間なんだけれど、ひょんなことから息子の居場所が分かったのよ」詳しい理由は今ははっきりとは覚えていないのだが、その前の年、Nが国民年金か健康保険に再加入したかなにかし、それが両親の元に通知されたのが、彼の居場所の分かった理由らしい。「それで、電話してみたのよ。そうしたら、息子、いつのまにか結婚していたようなんだけど、自分の苗字を奥さんの苗字に変えてしまっていたみたいなの。それもあって今まで見つけることが出来なかったんじゃないかしらねえ。」

相手の奥さんは離婚経験のある子連れの女性だという話だ。Nは結婚して子供の苗字が変わるのが可哀想だから、それで自分の苗字を変えたんだと言っていたのだという。苗字を変えた理由は本当はそうじゃないのかもしれないが、彼がそう言っているのなら、それを信じてあげればそれでいいのかもしれない。Nは東京を離れ他県に住み、塗装業を営んでいるという。そしてNの発見と前後して関東にNの親族の方の慶事があり、いい機会だから、とNの両親はNを呼び寄せ、関東のどこかで親戚共々集まり、そこでやっと再会を果たせたのだという。そしてこれがそのときの写真、と、Nのお母さんは、10数年ぶりに会った彼女の息子の写真をオレに見せた。

オレはNの写真を見て絶句した。Nの人相はまるで変わっていた。頬は削ぎ取ったかのようにこけ、両の眉は力無く垂れ下がり、そしてその下の瞳は光が無く、古井戸の底のように暗い虚無の色をした2つの点が、ぼんやりとカメラのレンズの方向の、そのまた彼方にある何かを見ていた。それは、オレの知っているNの顔とは、似通ってはいるが、それでも違う何者かの顔だった。そしてそれは、生きていて、いろんなものを、無くすか奪われ続けてきた老人の顔だった。10数年で、人の顔は、ここまで変わってしまえるものなのか。この変わり果てた人相こそが、Nの選んだ人生の結果なのか。両親や兄弟や友人や知人や、自分のそれまで属していた全ての生活と社会を捨て、誰にも知られない場所へと逃走し身を隠し続けたその10数年に、Nの心の中からいったいどれだけのものが消え去り無くなっていったのか想像するのは辛かった。だがオレは目の前の彼のお母さんにそんなことを言う事は出来ず、ただ無言でNの写真を返した。

住所を聞いたはずだったが、Nとは結局その後も連絡を取ることは無かった。あれから何度か実家には帰ったけれども、Nの家に行く事もその後無くなってしまった。夏、または冬、実家には思い出した頃に帰っていたけれど、そのたび覚えていた風景はどんどんと変わって行き、または消え去り、年々と自分の知らない土地になっていった。もはや感傷だの郷愁だのに耽られる様な風景も思い出も無く、知人も友人もいなくなってしまったその土地に、オレは帰ることさえ止めてしまった。しかしなにしろもう、全ては遠い昔の話である。

(了)



付記:このエントリ『駆け落ち/失踪』は自分の実体験を元に5年前日記の原稿として書いたものだ。多少綺麗に書いた部分はあったとしても、会話の内容も含め脚色はしていない。ただ、若干重い内容だった為、なかなか発表する機会のないまま今まで「下書き」フォルダの中にお蔵入りとなっていた。この度やっと日の目を見たわけだが、1話目からちょっとした反響があって驚いていた。こういう長編のエントリは2度と書くことは無いだろうが、書いていた際には結構苦労したのでその甲斐があったかもしれない。全5回ということで相当な文章量となってしまったが、最後まで全部読んで下さった皆さん、どうもありがとうございました。


今でも友人Nのことは記憶にふっと上がってくる。街を歩いていて、Nと似た人が歩いていると、思わず振り向いてしまうこともよくある。あれから20数年も経ったのに、Nとのこの事件は、自分にとって、なにか、ある種の呪縛のように、自分の心に刻印され続けている。今も関東のどこかの空の下で、Nとその家族が、幸福に生きていることを願って止まない。