蒸気駆動の少年 / ジョン・スラデック

蒸気駆動の少年 (奇想コレクション)

蒸気駆動の少年 (奇想コレクション)

河出奇想コレクションジョン・スラデックを読むのはこれが始めて。しかし、カンソーブンを書こうにも、収録された短篇があまりにバラエティに富みすぎ、「ジョン・スラデックってこういうカラーの作家」というふうにまとめられないでいる。編者である柳下毅一郎氏のセレクトが非常にバランスのいいものであったこともあるだろうが、逆にこの短篇集だけ読んで解説で書かれているような「奇才」「最後の天才」「ロボットSFの書き手」「パズル好き」「言葉遊びの達人」などといったスラデックの個性をピックアップするのは難しい。確かに変な作家ではあるにせよ、他の”異色作家”とどう違うのかと問われると説明し難いのである。ただ、無理矢理言葉を捻り出してみるならば、スラデックという人は、実は厭世観の作家だったのではないか、ということだろうか。

スラデックの作品ははなから現実を相手にしていない。どこか現実というものに対して冷笑的であり、描かれる世界の光景はシュールではあるが、それは現実を現実として見たくない、という拒絶の表れなのではないか。それと、恐怖や苦痛や死について描いたとしても、恐怖や苦痛や死それ自体が主題となるような物語をあまり書いていない。これらの感覚は生存に根差したものであるけれども、現実世界で生きていたくない者にとって、そういった肉体感覚など邪魔なだけのものであると言えなくは無いか。そしてスラデックはパズルで遊び、トリックで遊び、言葉で遊び、ナンセンスな羅列で遊び、そういった思考の裡のみに存在する、どこか世界から10センチ浮き上がっているかのような作品ばかりを書いてきたのではないか。

作品それぞれは、奇妙な世界で奇妙な出来事が起こり、世界や自己がなし崩しに無意味化してゆく、という物語が多いように感じた。オーブンから赤ちゃんが出てくる『古カスタードの秘密』はいきなりシュールだし、宇宙人に天才になるサンドイッチを薦められる『超越のサンドイッチ』、体を殆ど機械と交換して生きる人々を描いた『最後のクジラバーガー』は”最後は人間じゃなくてもいい”というスラディックの主題が見えてきそうな作品だ。『高速道路』は決して目的地に辿り着かないバスに乗った男が自我を無くす話で、SF『ホワイトハット』は寄生宇宙人によって人が人間じゃなくなる話しだし、『おつぎのこびと』は地球を訪れた宇宙人がアイデンティティを喪失する話で、『不在の友に』は遂に世界さえ消失させてしまう。スラデックにとって”存在するということ”それ自体が無意味なのか。

『悪への鉄槌、またはパスカルビジネススクール求職情報』『月の消失に関する説明』『神々の宇宙靴』は屁理屈を捏ね回してインチキ理論を組み立てる法螺話。この辺の作品が最もスラディックらしいということか。『見えざる手によって』『密室』『を切らして』はミステリ作家スラディックの面目躍如な短篇。『血とショウガパン』はあのヘンゼルとグレーテルを材にした残酷童話。『小熊座』は熊のぬいぐるみが登場するホラー。なにしろいろいろな作品が並んでいる。その中で最も馬鹿馬鹿しかったのは発情したロボットが街を破壊する『ピストン式』。これはホントに笑った。

そして、これまでの主題とは逆の、”最初から存在を消されている人間たち”であるホームレスたちを描いた『ゾイドたちの愛』は、なぜかこの作品だけ奇妙な哀切感に満ちているのだ。世界を、現実を無意味化していったスラデックは、あらかじめ世界からも現実からも無意味な存在と見なされ疎外されている彼等に、限りない同情と共感を抱いていたのではないのだろうか。