一途過ぎる恋のあまりに悲しい結末〜映画『Raanjhanaa』

■Raanjhanaa (監督:アーナンド・L・ラーイ 2013年インド映画)


インド映画を最近幾つか観てるんですが、その範囲だけでいうと、恋愛描写に共通しているのはまずなにしろ男性が女性を「押して押して押しまくる」ことなんですよね。でまあ、これは映画だからということもあるんだと思いますが、だいたいはそれでなんとかなっちゃうんです。インドの恋愛事情が実際にどうなってるのか知ってるわけではないのでざっくり調べたところ、インドは今でもお見合い中心である、ということと、インド男性は結構ウブイという情報を見かけました。だとするといわゆる「自由恋愛」について、実際のインド男性は案外不得手で不器用であるのかもしれません。そして映画で描かれる恋愛というのは、彼らにとってある種のファンタジーである、と捉えることもできるでしょう。

この映画『Raanjhanaa』は、子供の頃に見初めた一人の女性を、ひたすら一途に愛し続けた男の、その数奇な人生と、越えられない一線があったばかりに迎えた、悲しい恋の結末を描いた物語です。そしてこの男女の間にあった決して越えられない一線とは、男性がヒンドゥー教の家に育ち、女性がイスラム教の一家の出だったということだったのです。

主人公の名はクンダン(ダヌシュ)、そして彼が出会ってしまった少女の名はゾーヤー(ソーナム・カプール)。ゾーヤーを見初めたクンダンは彼女に猛烈なアタックを仕掛け、何度もフラれながらもやっとデートに漕ぎ着けます。しかしそこで分かったのは、それぞれがヒンドゥーとモスリムという相容れない宗教の家庭であったこと。二人の間を知り怒ったゾーヤーの父は、彼女を遠い寄宿学校に送り出してしまいます。それから8年後、クンダンはようやく町に戻ってきたゾーヤーとの再会を果たします。しかしそこでゾーヤーが語ったのは、大学生となった彼女が学生運動に参加し、そのリーダーであるアクラム(アバイ・デーオール)と恋に落ちたこと、しかし今ゾーヤーは親の決めた相手と結婚しなければならない、ということでした。激しく落ち込むクンダン。しかしゾーヤーはそんなクンダンに、決められた結婚を破談に持ち込むこと、そしてゾーヤーとアクラムが結婚できるように協力してくれるように頼みこむのです。

冒頭から主人公クンダンは、ゾーヤーに粘り強くアタックを繰り返します。これがもうほとんどストーカー並みで、観ていてちょっとしつこすぎるかなあ?とは思いましたが、クンダンの純で一途な思いは十分伝わってきます。前半はこのクンダンの、ゾーヤーへの届かぬ思いが、インドの明るい日差しと鮮やかな祝祭空間の中で描かれてゆきます。この前半だけなら「ちょっとイタイ青年の残念だった恋」で終わっちゃうんですが、後半で一気にトーンが変化します。ここからはゾーヤーと彼女が慕うアクラムとの過激な学生運動の様子が描かれ、物語は暗く重苦しいものへと変わってゆき、画面すら黒を中心としたモノトーンの色彩で塗りつくされてしまうんです。そしてそれはクンダンの恋を取り巻く状況がどんどんと暗く重苦しいものになってゆくのと呼応しているのです。

最初は無邪気過ぎるほどの一途な恋であったものが、次第に妄執とすら言えるほどの激しい想いに変質し、にも関わらずその恋はどんどんと果たすことのできぬものになってしまいます。クンダンのゾーヤーへの愛、ゾーヤーのアクラムへの愛、それらはどちらも一方通行のまま、あまりに痛ましい結末へとひた走ってゆくのです。観ている自分もまさかこんな苛烈なまでに残酷な物語とは知らず、中盤の驚愕展開に呆然とし、それに追い打ちをかけるような絶望的な結末にはさらにショックを受けました。インド映画がここまで残酷な物語を描くことがあるとは…。音楽は『スラムドッグ$ミリオネア』のA・R・ラフマーン、この悲劇的な物語に彼の音楽が美しく優しく響き渡るのが妙に皮肉にすら感じさせます。また、ヒロインのソーナム・カプールは並み居るインド美女の中でも相当の美しさを見せつけ、これは一見の価値あり。後半暗い表情ばかり見せていたのが勿体なく感じました。

http://www.youtube.com/watch?v=ER9vmhxFucg:movie:W620