■『電脳コイル』の謎
しかしこの物語には一つ疑問点というか謎がある。この『電脳コイル』ではAR空間を維持する為に全市街を仔細洩らさず電脳マッピングし、執拗なまでにメンテナンスを繰り返して「古い世界の情報」を駆逐しているのだが、現実的な技術からすればGPSの位置情報を確保するだけでそれは事足りるはずなのだ。多分これはコンピュータで言うところのプログラム更新やウィルス・セキュリティをこのアニメの世界観に当てはめているのだろうが、コストの面から考えてもそこまで仔細に執拗に膨大なメンテナンスを繰り返す必要があるのかいま一つ理解し難い。
また、主人公らをはじめとするそこに住む住人達の身体も全て電脳マッピングされているらしく、現実的な肉体と"電脳体"との二重の肉体=二重のアイデンティティを持ち、その"電脳体"に攻撃ないし、なにがしかの不都合があった時に、フィードバックという形で現実側の肉体・精神に痛み、心身喪失症状を引き起こす、という現象が描かれているのだ。自己暗示が現実的な肉体の痛みに変わるというのは有り得る事例だし、"電脳体"=電脳的に構築された《魂》である、という物語のコンセプトがそこにあるのだろうことは分かるのだが、そもそもひとつのサーヴィスでしかない拡張現実という技術になぜ使用者の精神・肉体に強いダメージを与えるほどのフィードバックが必要なのか、なぜダメージを軽減したりシャットアウトする仕様がないのかというのが疑問であった。
■"マトリックス"
自分はここで『電脳コイル』の物語がコンセプト的に正しくない、と言いたい訳ではない。むしろ、こういったコンセプトを合わせて考えた時に、『電脳コイル』という物語の裏には、語られていないもう一つの世界が存在していたのではないか、と推理してみたいのだ。ここからは自分の勝手な妄想になるのだが、実はこの『電脳コイル』という物語は、『現実世界に重ね合わされた拡張現実を描いた世界』なのではなく、そもそもが、あの映画『マトリックス』のような、『全てが電脳的に構築された仮想現実の世界』だったのではないか、ということだ。
・全市街を仔細洩らさず電脳マッピングしプログラム更新とウィルス・セキュリティを施し古い世界の情報をデリートし続けるというメンテナンスを行う世界。これは、AR世界というよりも、仮想現実=VR世界での作業である、と言ったほうがしっくりこないか。
・現実の肉体とそれに"魂"のように重なる"電脳体"。この"電脳体"が必要以上にVR世界の刺激をフィードバックする仕様になっているのは、これらがもともと不可分の情報同士であるからこそなのではないのか。つまり、現実の肉体など最初から存在せず、深層/表層の二層状態になった"電脳体"が存在しているだけなのではないか。
・そして、この世界の住人達は、なにがしかの理由で、この仮想現実世界を現実世界と思い込まされているだけなのではないか。
■新しい世界
その中で、主に子供達のみが「電脳メガネ」を多く用い、AR世界(と思い込まされているVR世界)を垣間見ているのは、『電脳メガネ』というガジェットを世界に供出している"何か"が、子供達のような新世代にこの世界は実は仮想のものであると認識させる為の前段階を作り出そうとしているからなのではないか。
仮想現実の世界に暮らす人々の、その実際の肉体がどこにあるのかは分からない。肉体など存在せず、既にデータのみが存在しVR空間に暮らしているのかもしれない。即ち、『電脳メガネ』に登場した様々な人々は、既に実体を持たない"幽霊"なのかもしれない。そして、なぜ世界がそのようになってしまったのかは分からない。もしかしたら、世界はとうの昔に滅び去り、生きている人間は一人もいないのかもしれない。
しかしそんな世界にもたらされた『電脳メガネ』は、それまでVR空間内時間では連綿と続いてきたであろう世界の秩序を、覆そうとするものなのかもしれない。それはこのVR空間を存続させている"何か"が、この世界に暮らす電脳人格たちに、新たな世界の段階へ入ることになったのを知らしめる為なのかもしれない。または、このVR世界を存続させているものとは別の勢力が、ゲリラ的に仕掛けた起爆剤なのかもしれない。そしてそこから導かれるであろう"新しい世界"とは何なのかは分からない。もう一度新たな血肉を得てこの現象世界に蘇ることなのかもしれない。これまでとは異なったVR空間へ移行することの前触れなのかもしれない。
ここで書いた事は全て自分の勝手な妄想であり、『電脳コイル』という物語の真意である、というつもりはサラサラ無い。だが、TVアニメ『電脳コイル』は、これらの妄想を喚起する、圧倒的なイマジネーション に溢れていたという事は出来るのだと思う。
(了)