消滅した街のアーカイブ世界を舞台にした近未来ノワール〜『明日と明日』

■明日と明日 / トマス・スウェターリッチ

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)

テロリストの爆弾でピッツバーグが“終末”を迎えてから10年。仮想現実空間上に再現された街アーカイヴでの保険調査に従事するドミニクは、亡き妻との幸せな記憶が残るアーカイヴに入り浸る毎日を送っている。だが調査対象の女性が殺されている映像と、何者かがそれを消そうとした痕跡を見つけたことから、彼は真実と幻影、過去と現在が交錯する迷宮へと迷い込んでいく…。新鋭の鮮烈なデビューを飾る近未来ノワール

20XX年10月21日。イスラム急進派の犯行とみられる熱核兵器テロにより、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグに住む50万人の市民が一瞬にして灰と化した。物語はその〈終末〉から10年の時を経た近未来のワシントンD.C.から始まる。

主人公の名はドミニク。彼の仕事はアーカイブ化されたピッツバーグを精査し、死亡者の保険調査をすることだ。そして彼もまた〈終末〉により身重の妻を失った一人だった。そんなある日、彼は調査対象の女性が、〈終末〉が訪れる以前に殺されており、さらにそのデータを、何者かが改竄しようとしていた痕跡を発見する。しかしその発見は上司に揉み消されたばかりか、彼は解雇される。そんなドミニクにある男が接触、彼に仕事を依頼する。それは〈終末〉で死んだ娘のデータがアーカイブから消されており、それを探してほしいというものだった。だが、仕事を引き受けたドミニクの前に謎の妨害者が現れ、彼の周りの人間が一人また一人と惨たらしく殺されてゆく。ドミニクはいったい何に巻き込まれたのか?そして「娘のデータ」にはいったい何が隠されているのか?

トマス・スウェターリッチのSF小説『明日と明日』は限定的なポスト・アポカリプスを背景としながら、サイバーパンク的な電脳世界に巻き起こる謎と、現実世界に徘徊する不気味な殺戮者とを描いたノワール・スリラーである。この世界においては、「アドウェア」という名のブレイン・マシン・インタフェースが日常的に人々に装着され、それはあたかもスマートフォンを覗いているかのように、常にネット情報を視覚内に表示している。そして〈終末〉により消え去ったピッツバーグの街並みとそこに住んでいた人々は、かねてから「アドウェア」によって収集されていた膨大な視覚・感覚データと、街に張り巡らされていたサーベイランスの情報から、街一つ分の広大な「仮想現実」として精緻に渡り再構成され、鎮魂のモニュメントとして誰でもアクセス可能になっていた。

〈終末〉により妻を失った主人公は10年を経た"今"でも心神喪失状態であり、ドラッグに溺れる荒んだ人生を過ごしていた。彼は「アドウェア」を使用することでAR化されたピッツバーグに入り浸り、そこで、今は亡き妻の、生前のARデータと過ごすことだけを生きる糧としていた。ARデータは消え去った過去を迫真のリアリティで再現しており、いわば彼は、"亡霊の世界"でのみ、はじめて生の実感を得ていたのだ。こうして主人公は、救いようの無い感傷的な人格として登場し、物語は徹底して暗くメランコリックな展開を迎えてゆく。

しかしこの物語の主題は実は〈終末〉そのものではない。物語では〈終末〉が訪れることになった犯行と犯行者については殆ど記されない。それがどのように捜査されどのような結末を迎えたかは描かれることがない。主題となるのは、主人公による"人"探しである。これにより、この物語は「探偵小説」としての骨子を持つことになる。ただしそれは現実に生きる"人"ではなく、〈終末〉により亡くなった者の、アーカイブ・データである、という部分がこの物語の独特さであり、面白さだ。アーカイブ・データはARピッツバーグ世界において時系列を持って存在しており、主人公はあたかもビデオテープの如くARピッツバーグ世界を巻き戻したりリピートしたりしながら関係者を洗ってゆくのである。

この物語がもう一つ独特なのは、主人公がかつて詩人であり、後書きにも触れられているように、文章内で小説や詩の引用が多用されていること、さらに不思議とファッションモデルやファッション業界が登場することだろう。この辺は作者の趣味なのかとも思ったが、モデル美人が多数登場するのには後半意味が明かされる。物語は中盤までをAR世界の捜査というSF的な展開で進むけれども、事件の恐るべき真相が徐々に明らかになり、さらに惨たらしい死体の並ぶようになる後半からはサイコ・スリラー的な内容へとシフトしてゆくことになる。これにより、純正なSFを期待して読んでいた読者の中には肩透かしを食う方もいるかもしれないが、むしろSF+探偵スリラーといったエクストリーム文学の一つとして読めば納得がいくだろう。

どちらにしろ物語全体を覆うカラーは暗く濃厚な感傷性である。こういった感傷性や暗さは個人的には苦手なのだが、しかしこの物語の暗さには奇妙にのめり込んで読んでしまった。これはただ単に感傷的というのではなく、《残された者》の哀惜がそこに描かれているからだ。アメリカなら、それは911テロの記憶なのかもしれない。また、日本人であるなら、それは東日本大震災の記憶とも結びつくだろう。そこで生き残った者は、失われた者を偲びながらそれでも明日に生きるしかないのだけれども、ただ大きな《傷口》だけは確固として存在し、そうでなかったはずの《明日》につい想いを馳せてしまうのだ。タイトル『明日と明日』の意味はそういった、現実の明日と、そうでなかったはずの《明日》のことなのかもしれない。

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)