バス男

バス男 [DVD]

バス男 [DVD]

電車男」ではない。「バス男」である。原題は「ナポレオン・ダイナマイト」である。畑ばかりしかないど田舎の、ひたすらいけてない高校生の青春コメディである。いや、しかし、このナポレオン君は、本当に”いけてない”なのだろうか?
冒頭のタイトルバックではダイナーなんかで供されるようなアメリカの平均的な朝食の皿に製作者らの名前が記され、それが次から次へと出されるわけだが、このセンスがなかなかよくて、この辺から「これって可愛い映画なんじゃないか?」と思わせる。
そう、この映画、爆笑コメディというよりも淡々とした”キュートな”映画だったのである。主人公のナポレオン君はいつも口は半開きで喋る時は目をつぶる癖があってセンスの悪いTシャツは必ずズボンにタックイン!で、行動もなんだか変だったりたまにいじめられたりもする、言ってみれば”いけてない”子なのだが、映画ではそれをことさらクローズアップして自虐的だったり自嘲的だったりする笑いをとろうとはしないのだ。つまり”ちょっと個性的”ではあっても”いけてない”子としては描いていないのだ。”いけてない”事が何が悪い?というかじゃあ”いけてる”って何よ?ということをこの映画では問いかける。ナポレオン君の行動はこう言っている、『いいじゃん、俺は俺なんだから、誰かに自分の存在をお伺い立てたり認めてもらう必要がどこにある?』。
”自分”があるから対比だの格差など関係ない。特殊であることなどもはやどうでもいい。「電車男」はオタク=下流エルメス=上流と規定してその対比とシンデレラストーリーが面白かったのだろうが、そういう格差を面白がるセンスはオレにはないのでこれもどうでもいい話であった。あと最近「トーチソングトリロジー」というゲイ映画を見直して、最初見たときよりも感動が薄かったのは、もはやゲイという”特殊”でさえどうでもいい、というか、ゲイさえもはや特殊じゃない、と見てしまうと、ごくありふれた恋愛映画にとれてしまったからだった。
自分は自分。無理に背伸びしたり優越感を感じたり劣等感を持ったりする必要なんかない。もはや”オタク”はことさらあげつらう物でも持ち上げる物でもない。そしてどれもが個的に尊重すべきものであるなら”サブ”カルチャーなど存在しない。それは数の多い少ないの問題でしかない。アングロサクソンの文化に対してナバホ族の文化をサブ=傍流の文化などといわないのと一緒のことだ。
それぞれがそれぞれの現場で生きればいい。自分に出来ることをすればいいんだ。ナポレオン君はちょっと変かもしれないが、映画を見ていくにつれ彼のチャーミングさが伝わって来る。クライマックスのダンスは、笑っちゃったけれど、でも感動した。彼は変だったが、友人のために自分の出来ることを精一杯やったからだ。それを卑下する理由はどこにもない。この屈託の無さ、これがこの映画の魅力であり、多数の支持が得られた理由なのだろうと思う。