インド映画ファンタジ―アクション巨編『ブラフマーストラ』を観た

ブラフマーストラ (監督:アーヤン・ムケルジー 2022年インド映画)

インド・ムンバイに暮らす平凡な青年が、世界を破滅に導く神々の力を巡る戦いに巻き込まれてしまうというファンタジー・アクション映画です。原題は『Brahmastra Part One: Shiva』、「アストラバース」と呼ばれるサイキック・アクション・シリーズ3部作の1作目として製作されていますが、この1作だけでも一応完結しているので観るのに支障はないでしょう。

主演は『バルフィ!人生に唄えば』『SANJU/サンジュ』のランビール・カプール、『RRR』『ガリ―ボーイ』のアーリヤー・パット、「ボリウッド映画界の帝王」と呼ばれる大ベテラン俳優アミターブ・バッチャン。共演にヒンディーTV界で活躍するモウ二―・ロイ、テルグ映画界からアニーシュ・シェッティ。また、カメオ出演として「ボリウッド映画界のキング」ことシャー・ルク・カーン、『パドマーワト/女神の誕生』『トリプルX:再起動』のディーピカー・パードゥコーン(でも顔出ししていないので本当に出ているかどうかが謎)。監督・脚本は『若さは向こう見ず』のアヤーン・ムカルジー

【物語】ムンバイで暮らす天涯孤独の青年シヴァは、見知らぬ科学者が何者かに襲われる場面を幻視する。その理由を調べはじめた彼は、古代ヴェーダの時代から秘密裏に受け継がれてきた神々の武器「アストラ」と、その中でも最強といわれる「ブラフマーストラ」の存在を知る。ブラフマーストラが目覚めれば、世界は地獄と化すという。そしてシヴァは、それらの武器を守護する役割を務めてきた人物の息子であり、偉大なる火の力を宿す救世主だった。

ブラフマーストラ : 作品情報 - 映画.com

インドのファンタジー/SF作品というのはありそうであまりなく、純然たるファンタジーであれば『アラジン 不思議なランプと魔人リングマスター』、『バーフバリ』シリーズや『マガディーラ 勇者転生』あたりも歴史ファンタジーと言えなくもありません。SFと言えば『ロボット』シリーズ、『ラ・ワン』、『クリッシュ』シリーズなどがあり、テルグ・タミル映画にも多少SF作品が確認できますが、全体的な作品比率はやはり少ないのではないでしょうか。にもかかわらずインド国内ではハリウッドヒーロー映画などはヒットを飛ばしており、インド観客が決してSF/ファンタジー映画嫌いという訳でもなさそうなんですよ。オレがインド映画をよく観ていた頃はそれがちょっと不思議に感じていたんですが、この辺りインド自体が悠久の歴史というファンタジーの中に生きているからなのかなあ、なんてちょっと思ったりしていました。

そんな中この『ブラフマーストラ』はインド神話に基づいたファンタジー作であると同時に、サイキックパワーを操る者同士が火花を散らすMCU映画的なヒーローSF作品として完成しています。そういった部分で実はインド映画的に結構画期的な作品で、これはインド映画界におけるCGIVFX技術が相当に発達し、なおかつこなれてきたこと、同時にこういった技術が以前よりも安価で簡便に使用できるようになってきたということの表れなのかもしれません。特に後半の、これでもか!とばかりにド派手に炸裂する特撮バトル映像は、ハリウッド作品に引けをとらないどころか、まさしく同等と言っていい迫力に満ち溢れおり、今作の見所となっています。

とはいえドラマそれ自体は、特にロマンスパートがキラキラなお花畑展開でちょっとたじろいでしまいました。しかし考えてみれば監督の前作『若さは向こう見ず』もキラキラ青春ムービーだった事を考えると、ちょっと油断していたかもしれません。物語はこのキラキラロマンスパートを軸に「至高の愛」をテーマとして進行してゆくので、アクションファンタジー作だと思って観ているとちょっと面食らわされますが、キラキラのロマンス描写とビガビガのサイキックパワーが相乗効果を生みながら画面に踊る様子はそれはそれで観ていて賑やかで楽しいです。

インド神話を基にしたファンタジー展開は、パワーストーン!サイキックアイテム!古代の伝説!勇者の覚醒!といった定番的な構成で、ある種コミック的ではありますが、それ自体はそれほど悪くはありません。言ってしまえばMCU映画『シャン・チー』だって全く同じ構成で仕上がっている作品だったりするんです。話は逸れますが、『アベンジャーズ』『X-MEN』と比べられる本作ですが、個人的にはどちらかと言えば『エターナルズ』に近い感触を持ちましたね。ただどうも、監督アヤーン・ムカルジーの「ぼくのかんがえたさいきょうのファンタジーヒーロー」の域を出ていない設定は、今一つ詰めが甘く、見劣りして感じる部分が無きにしも非ずで、ラストバトルは迫力満点ではありますが、年寄りのオレはちょっと胃もたれを起こしました。

もう一つ決定的にノレなかった部分は、主人公を演じるランビール・カプールに魅力が乏しかったことです。正直、あのルックスはヒーロームービー向けじゃないよなあ。ロマンスムービーならいいのかというとそうでもないんだけどな。ただし主演陣という事であればアミターブ・バッチャンは言うまでもなく、カメオ出演のシャー・ルク・カーンは文句なしの存在感だったし、アーリヤー・パットはアーリヤー・パット史上最高のキュートさでした。アニーシュ・シェッティはテルグ映画ならではのゴツさが魅力的だったし、最凶の敵を演じたモウ二―・ロイも十分に迫力ある演技を見せていました。

 

スタ二スワフ・レム初期作品集『火星からの来訪者』を読んだ

火星からの来訪者:知られざるレム初期作品集 (スタニスワフ・レム・コレクション) /スタニスワフ・レム (著)、沼野充義 (訳)、芝田文乃 (訳)、木原槙子 (訳)

火星からの来訪者: 知られざるレム初期作品集 (スタニスワフ・レム・コレクション)

第二次世界大戦でドイツが降伏した頃、アメリカのノースダコタ州サウスダコタ州の境に隕石らしきものが落下する。しかしそれはただの隕石ではなく、火星から飛来したロケットであった。その中に乗り込んでいた奇妙な「火星からの人」がニューヨーク郊外の研究所に運び込まれ、科学者や技師などからなるチームが極秘のうちに、この火星人とのコミュニケーションを試みるが……『金星応答なし』に5年ほど先立つ、レムの本当のデビュー作とも言うべき本格的SF中篇『火星からの来訪者』など、レムがまだ20歳代だった1940年代から1950年にかけて書かれた、いずれも本邦初訳となる初期作品を収録。

国書刊行会スタニスワフ・レム・コレクションの第10回配本はレムがSF作家として本格デビューする以前に書かれた幻の未訳作品集となる。ここに収録された作品は、レム自身が「習作レベル」と判断したものや、自らが望まない状況で書かれた作品だとして、永らく封印されていたものが殆どなのだ。とはいえ、1951年にSF長編『金星応答なし』で実質的なSF作家デビューする以前のレムが、それ以前にどのようなパッションを抱えて創作に挑んでいたのかを知ることの出来る貴重な作品集でもあるのだ。即ちここには、「原石」としてのレムが存在しているのだ。

この作品集には150ページを超えるSF中編「火星からの訪問者」、SF短編「異質」、非SF短編3作、さらになんと、レムが若かりし頃に書いた詩までが収録されている。それではそれぞれの作品を紹介してみよう。

「火星からの訪問者」は『金星応答なし』の5年前、1964年に書かれたレムの真のSFデビュー作となるが、レムがその完成度を気に入らずしばらくお蔵入りしていた中編だ。物語は火星から飛来したある「存在」を秘密裏に研究する研究者たちが遭遇する不可知の出来事を描くものだ。研究者たちは生物とも非生物ともつかぬその「存在」と意思疎通を試みるがあらゆる方法が失敗し、遂には「存在」による攻撃的な行動が始まるのである。これなどは『ソラリス』を始めとするレムの「不可能なファーストコンタクト」を描いた名作作品群の胎芽ともいえる作品だろう。物語運びに粗削りな部分があるが、レムがSF作家としてどのようなテーマを己に課したのか、どのような問題意識を持ってSFと対峙しようとしたのかが伺われる作品である。

「ラインハルト作戦」ナチス・ドイツ占領時代のポーランドを舞台に、ユダヤ人と間違われれ拘束されたポーランド人医師の恐怖を描く非SF作。これなどは実際に第2次大戦中にポーランド在住だったユダヤ人レムの恐怖をそのまま描いた作品と言えるかもしれない。

「ドクトル・チシニェツキの当直」産婦人科医ステファンの徒労に満ちた一日を描いた非SF作品だが、高い文学的リアリズムを感じさせはするが読み終わった後いったい何の物語だったんだ?と思わされるだろう。実はこの作品、スタ二スワフ・レム・コレクション第1期配本『主の変容病院・挑発』収録中編「主の変容病院」の続編的作品から抜粋された短編で、さらにこの「ドクトル・チシニェツキの当直」と「ラインハルト作戦」は、「主の変容病院」と同じく医師ステファンを主人公にした作品なのだ。「異質」永久機関を発見してしまった少年の物語。SF作品だと言ってしまっていいのだが、むしろ舞台となる第2次大戦最中のイギリス田園地帯の穏やかさと、それとは裏腹の迫りくる戦争の惨禍との対比が奇妙に心に残る物語だ。どのような知の発見、知の成果があろうと戦争はそれを根絶やしにしようとする、そういった悲哀と苦痛を感じた。

「青春詩集」という表題でまとめられたレムの12篇の詩からは、鋭敏な知性と哲学的な視点を持つレムが、同時にたおやかなまでのリリカルな感性を併せ持っていたことを窺い知ることができるだろう。

そして非SF短編ヒロシマの男」、これには慄然とさせられた。第2時大戦終局時に英国諜報部員だった男が広島原爆投下の凄惨な事実と直面するという物語だが、終戦後2年目となる1947年に、ポーランドの作家が原爆の惨禍を描いたという点に於いて特筆すべき作品なのだ。先鋭的なSF作家であったレムは、SF作家デビュー以前からそもそもが先鋭的な視点を持った作家だったと言えるのだ。そしてこの作品が、世界で最も最初に書かれた原爆文学の一つである事も重要な点だろう。もう一つ着目すべきなのは、原爆投下時の映像をまだ一般に見る事ができなかったであろう時代に、レムは自身の科学知識と想像力だけで原爆爆発とその破壊の情景を描き切っている点だ*1。未だSF作家でなかったレムの非SF作品にもかかわらず、ここにその後の彼の卓越したイマジネーションの根幹を見出せるのだ。

【目 次】

火星からの来訪者

ラインハルト作戦

異質

ヒロシマの男

ドクトル・チシニェツキの当直

青春詩集

解説 レムは最初からレムだった――最初期レムのSF、非SF小説、そして詩(沼野充義

 

*1:ただしあとがきによるとアメリカのジャーナリスト、ジョン・ハーシーによる1946年刊行のルポルタージュヒロシマ』をレムは参考にしていたらしい

ニール・ゲイマンのダークファンタジーコミック『サンドマン 序曲』を読んだ

サンドマン 序曲 /ニール・ゲイマン (原作)、J.H.ウィリアムズⅢ(画)、柳下毅一郎 (訳)

サンドマン 序曲

サンドマンシリーズの前日譚。シリーズが終了した1996年から17年後の2013年に刊行された。6部構成で、銀河の誕生からドリーム(サンドマン)が魔術教団に捕らえられる瞬間までが描かれている。2016年ヒューゴー賞「最優秀グラフィック・ストーリー賞」受賞。 原作: The Sandman: Overture 30th Anniversary Edition

サンドマン』、それはイギリスの幻想文学作家ニール・ゲイマンが原作を手掛け、人類の集合的無意識に存在する「夢」が具現化した男ドリームを主人公としたダークファンタジィ・コミックだ。現実と識閾下の世界が交差しお互いが侵食し合い、人間の欲望と絶望とが入り混じり合いながら、神話的ともいえる壮大なスケールの物語が展開する作品である。

1989-1996年にかけて発行された本作は絶大な人気を博して世界文学大賞他多くの章を受章、日本でも全5巻+別巻1、併せてノベライズ版が出版され、その後オーディブル版が製作され大ヒット、遂にNetflixでドラマ製作までされた人気シリーズなのだ。

とまあここまでが前振りなんだが、既に完結していたこのシリーズの25周年記念作として2013年に発表されたのがこの『サンドマン 序曲』となる。サンドマンの物語は第1巻においてサンドマンが人間たちに捕縛されてしまう部分から始まるが、この『序曲』においてはなぜそのようなことになったのか、サンドマンはそれ以前に何を行っていたのかが描かれることになる。

そしてその物語とはなんと宇宙消滅の危機だ。マルチバースにおいて発狂した宇宙が発生し、癌細胞の如く全宇宙を虚無へと還そうとしていたのだ。サンドマンはその危機を回避するため狂った宇宙の中心へと旅立ち、夢幻ともいえる物語が展開してゆくのである。ただし展開は決してSF的なものではなく、様々な宇宙存在の意識と夢へ、さらには宇宙の創造主である父母との謁見とを経ながら進む夢幻的な物語となる。

とはいえ物語それ自体は難解でありひどく観念的だ。そもそもサンドマンという存在それ自体が「観念」そのものの具現化であり、同時に「象徴」としての存在だからだ。その彼が対峙する者もまた観念と象徴の具現化した存在であり、即ち観念が観念と対峙して象徴的な出来事が起こり、それらがまた象徴的に収斂してゆく、という体裁になっているのである。そういった訳で結構読み難い。

さらに描かれるグラフィックが変幻自在な技巧を凝らし、あらゆる存在と事象とが液体のように混じり合い溶け合いながら描かれるのだが、技法が一定しないグラフィックを延々と見せられるのは正直煩わしかった。こういった構成は『サンドマン』らしいといえばらしいのだが、楽しめたかと言うとちょっとムムム……ではあったなあ。

サンドマン 序曲

サンドマン 序曲

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このブログで紹介したサンドマンコミック&ドラマ

『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』を読んだ。

ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス / フランチェスコ・ヴァルソ(著)、フランチェスカ・T・バルビニ(編)、中村融他 (訳)

ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス (竹書房文庫)

隆起するギリシャSFの世界へようこそ。 あなたは生活のために水没した都市に潜り働くひとびとを見る(「ローズウィード」)。風光明媚な島を訪れれば観光客を人造人間たちが歓迎しているだろう(「われらが仕える者」)。ひと休みしたいときはアバコス社の製剤をどうぞ(「アバコス」)。高き山の上に登れば原因不明の病を解明しようと奮闘する研究者たちがいる(「いにしえの疾病」)。

輝きだした新たなる星たちがあなたの前に降臨する。 あなたは物語のなかに迷い込んだときに感じるはずだ――。 隆盛を見せるギリシャSFの第一歩を。

実はSF作品でここ数年注目しているのは非英語圏SFジャンルである。ポーランドのレムやロシアのストロガツキー兄弟など既にすっかりお馴染みの作家はさておき、昨今話題となっている劉慈欣の『三体』シリーズを代表する中国・中華圏SFの熱気はすっかり周知となっているだろう。とはいえそれだけではなく、例えばイスラエルSF短編集『シオンズ・フィクション』やチェコSFを集めた『チェコSF短編小説集』『同 2』などの短編集は、その国独特の特徴を持つ、英米SFとはまた違う感触のSF作品が集められ、SFの原初的な愉しみさえ感じさせるのだ。

そんな中今回刊行されたのが『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』である。『シオンズ・フィクション』と同じ竹書房から出されたものだが、それにしてもギリシャとは、これまたニッチなところを突いてくるなあと感心させられた。序文によるとなんでも世界初のSFは2世紀に著されたルキアノスの『本当の話』という作品だ、などと書かれていて、なんだかワクワクさせられるではないか。そして実際読んでみるとこれが、想像以上の良作が並ぶ素晴らしいSFアンソロジーだった。

作品の多くは近未来のギリシャを舞台としたものだ。それらは「気候変動、経済危機、移民/難民問題といったギリシャの現状が色濃く反映(あとがきより)」された内容だが、実はこれらはそのまま現在の地球と世界が抱える普遍的な問題でもあるのだ。そういった部分で非常に生々しく迫真的なSF作品集として完成しているのである。

これまで読んだ非英語圏SF作品ではその国ならではの歴史を下敷きに持つフォークロア的な作品もちらほら見かけたが、この『ノヴァ・ヘラス』ではそれが全く存在せず、あくまで今日的な危機感でもって描かれた作品が並ぶのだ。ただしこれは、このアンソロジー自体が「未来のアテネを想像しよう」という企画から編纂されたものらしく、そういった部分で同傾向の作品が並ぶ結果となったとも言えるのだが、「荒廃と暗鬱の近未来」で固められたトータルイメージはなかなかに凄みがある。

作品をざっくり紹介。「ローズウィード」は潮位上昇により水没した街が舞台となり、社会工学ではARが街中を覆い、「人間都市アテネでは官僚主義が遍く支配する世界で都市繁栄に奉仕する人間たちを皮肉に描き、「バグダット・スクエア」では複数のVR世界の重なるギリシャが表出する。「蜜蜂問題」は環境破壊による蜜蜂減少とそれによる植物交配の危機を背景としながらそこに移民問題が影を投げかけ、「T2」は社会格差とデザイナーズ遺伝子の問題を混ぜたブラックな作品。「われらが仕える者」はアンドロイドAIのないがしろにされた権利を哀感を込めて描き、「アバコス」は食にまつわる画期的な薬品が登場する。「いにしえの疾病(やまい)」はある恐ろしい病を描くがこれは読んですぐネタが分かっちゃうな。「アンドロイド娼婦は涙を流せない」全体主義国家、アンドロイド、”虐殺市場”と呼ばれる異様な場所が描かれるが少々とっちらかってしまったかな。「わたしを規定する色」は近未来戦争により”色”を見ることができなくなった人類、というアイディアが独特だがこれもちょっと観念的。

【収録作】

はじめに:ディミトラ・ニコライドウ

ローズウィード:ヴァッソ・フリストウ

社会工学:コスタス・ハリトス

人間都市アテネイオナ・ブラゾプル

バグダット・スクエア:ミカリス・マノリオス

蜜蜂問題:イアニス・パパドプルス&スタマティス・スタマトプルス

T2:ケリー・セオドラコプル

われらが仕える者:エヴゲニア・トリアンダフィル

アバコス:リオ・テオドル

いにしえの疾病(やまい):ディミトラ・ニコライドウ

アンドロイド娼婦は涙を流せない:ナタリア・テオドリドゥ

わたしを規定する色:スタマティス・スタマトプロス

寄稿者紹介

訳者(代表)あとがき:中村融

 

※参考:これまで読んだ非英語圏SF傑作集とその感想

シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選

チェコSF短編小説集

チェコSF短編小説集2

 

水曜どうでしょう第33弾「四国R-14」Blu-rayを観た。

水曜どうでしょう」DVD&Blu-rayは発売されたら必ず購入しているんですが、今回発売された第33弾となる「四国R-14」、なんだかいつもとジャケットとタイトルの雰囲気が違うんですね。なんだろな?と思ったら、なんと今回の「四国R-14」、これまでのバラエティ企画とは全く違う、純然たるドラマ仕立てだっていうじゃありませんか。しかもコメディとかそういうのではなく、なんとホラー作品なんですよ!?「どうでしょう」でホラー!?いったいどういう事になってるんでしょうか。

発端となったのは2000年、2回目の「四国八十八ヵ所」の夜間ロケ。とあるお寺で撮影中にカメラのアラームが鳴り、車に戻ってカメラをチェックしてみると映っているはずの大泉洋の映像が映っていない、もう一度撮り直したら今度は異様に画面が乱れている。これはひょっとしてなにかの祟りだったのか……というエピソードが実際にあったんですね。そして「四国R-14」ではその話を膨らませ、その後スタッフでもう一度この寺に訪れ検証してみたらとんでもない怪奇現象が!?という物語を創作してみた、というものなんですよ。

(この2回目の「四国八十八ヵ所」は「水曜どうでしょう 第19弾 試験に出るどうでしょう 石川県・富山県/四国八十八ヵ所Ⅱ」に収録されています)

ドラマでは監督が藤村D、脚本を嬉野君が担当し、出演は大泉君の他、劇団チームナックスの面々が参加、実際の出演者と多少名前を変えて、あくまでフィクションということで製作されています(あ、今回鈴井さんは出演していません)。で、最初に書きましたがこれがガチなホラー作品で、全4話をおふざけ一切なしであくまでもシリアスに描いちゃうんですね。超常現象、悪夢、霊視、亡霊の出現、などなど、いろいろ頑張ってホラー演出しています!

……しているんですが、あくまでも「どうでしょうスタッフが余技で作ったホラードラマ」以上のものではなく、正直言って最初の3話ぐらいは結構退屈して観てしまいました。ただ真相が解明される4作目最終話はひねりがあってこれはよかったかな。シナリオに整合感があまりなく、結局女の幽霊はなんだったの?とか思わされましたが、ここは暖かい目で接してあげましょう。だから「ガチなホラー」を期待せずにあくまで「水曜どうでしょうの変化球」といったスタンスで観るべきでしょう。

そんな部分でちょっと残念な『四国R-14』ではありましたが、ドラマの後に続く放送2回分の「メイキング・オブ・四国R-14」はNGシーンを交えながらいかにも「どうでしょう」な可笑し味に溢れていて、ここでやっと「どうでしょう」の本領を味わえた気分でした。

購入はHTBオンラインショップでドウゾ。

今回の予約特典は「四国R-14タオル」でした。