ロックよもやま話:オレとラフ・トレード・コンピレーション『クリアー・カット』

70年代後半、パンクロックの嵐が過ぎ去った後にパンクのDIY精神でもって多くのポストパンク/ニューウェーヴ・バンドが生まれ、その音源は様々なインディペンデント・レーベルからリリースされることになる。それらはそれぞれにレーベル・カラーを持ち、好みによって「レーベル買い」することができた。アート志向のファクトリー、ゴス路線の4AD、今で言う「エモ」なチェリー・レッド、スカ専門の2トーン、ユーロ圏の音源を紹介したクレプスキュール、などなど。

その中で最もメジャーに近くごった煮で何でもアリなレーベルがラフ・トレードだった。在籍していたアーチストをざっと挙げるならザ・スミスポップ・グループ、アズテック・カメラ、モノクローム・セット、キャバレー・ヴォルテールなどなど、「ポストパンク/ニューウェーヴ」の中心にいたアーチストが目白押しだった。そして当時ポストパンク/ニューウェーヴの洗礼を受けその音にどっぷりと浸かっていたオレも、このラフ・トレードからリリースされる様々なアーチストにぞっこんだった。なにしろごった煮なのでリリース数も多く、玉石混交という感も無きにしも非ずではあったが、デコボコしてはいてもどこか面白い、ユニークなアーチストの音を聴くことができた。

そのラフ・トレードの音源を日本で積極的に紹介していたレコード会社が徳間ジャパンコミュニーケーションだった*1。そして日本におけるラフ・トレード音源紹介の第1弾となるアルバムが、日本独自編集となるコンピレーション・アルバム『クリアー・カット』だったのである。リリースは1981年、丁度オレが高校を卒業し、益体もない美術学校に入学するために上京した時だった。

『クリアー・カット』。オレの中で最も「甘酸っぱい」記憶に満ちているアルバムは、きっとこの『クリアー・カット』に違いない。高校卒業と上京という気持ちがフワフワしていた時期に聴いたこのアルバムの音は、ソーダの泡のように胸に沁みた。イギリスの、それも多分極普通な生活を営んでいるのであろう若者たちが奏でるその音は、どこか淡々とし、あるいは溌溂とした若々しさに溢れ、そして突き抜けるほどにエモーショナルだった(当時読んでいたロッキングオンでこの『クリアー・カット』を「鉱物質の侘び寂び」と評していたのをいまだに記憶している)。『クリアー・カット』はオレにとって宝箱のようなアルバムであり、その一曲一曲はどれも宝石のような輝きに満ちていたのだ。

アルバム・ジャケットも好きだった。臙脂色の四角い枠の中に、クロスを掛けられた低いテーブルの写真が収めらているといったものだが、そんななんの変哲もない極平凡なマテリアルが、ソラリゼーション処理をされる事で奇妙な幻想味を醸し出している。その日常と非日常の微妙な“あわい”が同居する部分に引き込まれるものを感じたし、また、このコンピレーションのテーマとも呼応するものだと思えたのだ。

『クリアー・カット』はその後シリーズ化され、1983年の『クリアー・カット5』まで全5アルバムが発売された(参考)。オレはそのどれもを聴いたが、1作目の『クリアー・カット』を超えるリリシズムを感じさせるアルバムは出ることが無かった。それは同時に、レーベルに限定することなくポストパンク/ニューウェーヴの音が極一般的になってきたこともあるのだろう。

という訳で『クリアー・カット』1作目に収録された全12曲をここに紹介しておく。どれも思い出深い曲ばかりだが、特にScritti Polittiの「Skank Bologna」とRobert Wyattの「At Last I Am Free」は、当時のオレの心象風景だったとさえ言える音だ。それとJosef Kの「Kind Of Funny」は、この曲をかけていた時に家にいた叔母さんが、「これあなたが歌ってるの?」と聞いてきた程にオレの声とそっくりのヴォーカルである(ちょっと書いてて面映ゆい)(今はこんな声してません)。

こうしてブログを書きながらこれらの曲を聴き直していると、オレの意識は遥か昔の、このアルバムを毎日聴いていた頃に強引に引き戻されてしまう。いろいろあったからなあ。あれから随分経ったんだなあ。ちなみにこの『クリアー・カット』はヴィニール盤のみでCDが存在しておらず、それが非常に残念で仕方ない。

Josef K– Kind Of Funny 

The Fall– City Hobgoblins 

Orange Juice– Simply Thrilled Honey 

The Gist– This Is Love

Girls At Our Best– Politics 

 

The Red Crayola– Born In Flames

 

The Raincoats– In Love 

Delta 5– You 

This Heat– Health And Efficiency 

Essential Logic– Music Is A Better Noise 

Scritti Politti– Skank Bologna

Robert Wyatt– At Last I Am Free

 

*1:ちなみに20代の頃徳間の商品管理のバイトに潜り込んでラフ・トレードのレコードを社販で安く購入していた。社員の方に「ラフ・トレード好きなんですよ」と言ったら「(え、こんなの聴く人いたんだ)」という顔をされた。

最近ダラ観したDVDやら配信やら

アネット (監督:レオス・カラックス 2020年フランス・ドイツ・ベルギー・日本・メキシコ映画

実はオレはレオス・カラックス監督作が苦手で苦手とか言っておきながら作品は殆ど観ているだけでなく処女作『ボーイ・ミーツ・ガール』は劇場で2回も観た(意味が分かんなくて)口ではあるが、この『アネット』も劇場公開当時結構話題ではあったが「カラックスかー」と思いスルー、最近配信になったのでどんなものやらと怖いもの見たさで観てみたらやっぱり無理だった、どこに面白さを見出せばいいのかさっぱり分からなかった、まず主演のアダム・ドライバーアダム・ドライバーにか見えずマリオン・コティヤールマリオン・コティヤールにしか見えなかった、演技は健闘していたのだけれどどこかで「物語の人物」に成り損なっていた、作品はミュージカルらしいのだがミュージカルの必然性を感じなかった、スパークスによる楽曲は悪くなかったけれどもアダム・ドライバーの歌声が申し訳ないんだが聴くに堪えなかった、とはいえマリオン・コティヤールの歌声は良かった、それと途中から主人公夫婦に娘が生まれるのだが、この娘を人形で演じさせていてそれがとても気持ち悪かった、正直ホラーかよと思った、そしてそもそも物語それ自体に全く興味が持てなかった、だいたいあの終わり方は何なんだ、何が言いたかったんだこのオハナシは、と思ってしまった、という訳で今回もやっぱり無理でしたレオス・カラックス、ファンの方どうもスイマセン。

スワンソング (監督:トッド・スティーブンス 2021年アメリカ映画)

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かつてトップ・ヘアメイク・デザイナーとして君臨しながら今は老人ホームで空虚な日々を送る主人公パトリック(ウド・キア)に突然の連絡が入る。それは元顧客だった女性の死、そして彼女の「一流の死に化粧をしてほしい」という遺言だった。物語は、こうして老人ホームから脱出したパトリックの、いわば「徒歩によるロードムービー」であり、そこで見る懐かしい光景への「死に間際にある者の別れの挨拶」であり、さらにゲイであるパトリックの「ゲイという人生を生きた者の死にざま」を描いたのがこの作品だ。それはゲイという人生を選んだパトリックの、「(キャンプに)美しい人生と美しい死に方」を描いたものであり、総じて「人生ってなんだろう?」という映画でもある。ある種の「老人映画」のひとつだが、もはや老境に達しつつあるオレにとっては身につまされるシーンが幾つもあり、オレはゲイではないけれども、ゲイ独特の精神的たおやかさというのは時として心に沁みるものがあり、この映画もとても気に入って観てしまった。ウド・キア自身ゲイらしいが、実は彼の主演したドラァグクイーン映画『プリシラ』もオレは大のお気に入りなのだ。

ドライビング・バニー (監督:ゲイソン・サバット 2021年ニュージーランド映画)

ドライビング・バニー [DVD]

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  • エシー・デイヴィス
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前科持ちで現在貧困生活を送っている女性が娘の親権を取り上げられとんでもない行動に出てしまうというお話。主人公となる女性は正義感が強く間違った事は許せないタイプだが、直情型かつ倫理観も希薄で、後先考えずに極端な行動に出る、そのせいで事件を起こし刑に服したという経緯もあるのだが、こんな感じで性格に強烈なバイアスが掛かっているがゆえに生き難い人生を送っていて、なにしろ人の忠告を聞く事ができず客観的に自分を見る事もできない、哀れだとは思うけれども手を差し伸べる事が非常に困難な人なんだよな。で、そういう人が至ってしまうどうしようもない悶着と不幸な結末を描いたのがこの物語なんだが、ええと、これ観ていったいどうすりゃいいの?という感想であった。

光の旅人 K-PAX (監督:イアン・ソフトリー 2001年アメリカ映画)

「私はK-PAX星から来た宇宙人だ」と主張する謎の男と「はいはい落ち着きましょうね」と言いながら彼の正体を探る精神科医の物語。ケヴィン・スペイシージェフ・ブリッジス主演。物語は謎の男が本当に宇宙人なのか心を病んだ男なのかを解明してゆこうとするが、それがクライマックスまでなかなか分からない作りがよい。これはニコラス・ローグ監督作『地球に落ちてきた男』やジョン・カーペンター監督作『スターマン』、あるいはカルト映画『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』の系譜を継ぐ「孤独な宇宙人」の物語の変奏曲であり、あるいはこの世界の暮らしに馴染むことのできない「孤独な自己」の物語としても捉えることができるのだ。そういうオレもたまに「オレはこの地球にたまたまやってきた記憶喪失の宇宙人じゃないか?」と思う事がある。

ラスト・ブラッド (監督:クリス・ナオン 2009年香港・フランス映画)

60年代の日本を舞台にオニと呼ばれる吸血鬼軍団と謎の少女サヤが血で血を洗う抗争を繰り広げるというアクションホラー作品。アニメ『BLOOD THE LAST VAMPAIRE』を『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョンと日本のモデル小雪の主演で『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の監督により実写化したもの。いわばケイト・ベッキンセイル主演の『アンダーグラウンド』シリーズの日本版だと思ってもらえばヨロシ。日本が舞台だけど香港・フランス映画なので「変な日本」が奔出しまくり、「変な日本」大好きのオレはニマニマしながら観ていた。在日米軍子女の学校にセーラー服で転校してくる主人公ってどうなのよ!?全体的に端折り過ぎたようなお話ではあるが、奇想天外で血塗れの物語もワイヤーを使った香港アクションも実に楽しく、古びた日本の通りで刀を振り回して吸血鬼の群れと戦うセーラー服主人公の姿は狂ったタランティーノ映画を見せられているようで最高。これはなかなかの快作ではないか。

デンデラ (監督:天願大介 2011年日本映画)

姥捨て山伝説を下敷きに、70歳になると山に捨てられる慣習の村から捨てられた老婆たちが実は生き伸びて共同体を作り、村への復讐を企てていた所を人喰い熊の襲撃に遭い血塗れの攻防を展開するという物語。粗筋だけなら如何様にも面白くなりそうなところを映画自体は演出の拙さ構成の拙さ設定の拙さが噴出しまくり、一緒に観た相方は激怒していたぐらいだった。まず70過ぎたババアの集団が復讐に燃え戦闘訓練するのか?という基本的な問題もあるが、それ以前にババアどもを魅力的に描かなきゃ駄目だろ。汚いババアが屁っ放り腰で熊に突撃したって少しも盛り上がらないよ。監督は目先のスペクタクルを優先するばかりに登場人物への共感を御座なりにし過ぎたんだよ。とまあ映画としては駄目なんだが、この物語の持つアレゴリーというのは、高齢者問題や生の尊厳といった部分で、製作された2011年よりもこの2023年の現代にこそまさに同時性を持っており、今映画化されたらもっと議論を呼び起こしたんじゃないかと思うんだよ。映画に登場したババアたちは「もっと生きたい」と言う、その時社会は何ができるだろうって話なんだよ。だからネトフリで誰か企画書出せよ。おらおら。

 

ジェフ・マコーマックによるボウイ写真集『David Bowie: Rock 'N' Roll With Me』

David Bowie: Rock 'N' Roll With Me / Geoff MacCormack

David Bowie: Rock 'N' Roll With Me

David Bowie: Rock 'N' Roll With Me』はデヴィッド・ボウイと終生に渡って親交を続けたジェフ・マコーマックによる写真回顧録だ。それはボウイとマコーマックとの友情の記録と言っていい。二人の男が出会った瞬間から別れの時まで、音楽への愛を分かち合った者同士の、親密で、気の置けない時間がこの本の中に流れている。1950年代半ばのバーントアッシュ小学校で出会った二人の日々から始まり、彼とボウイが住んでいた場所、彼らが出会った人々、彼らが共有した様々な冒険が、マコーマックによって撮影され、それはこの回顧録に150枚余りの写真として収録されている。

その中にはボウイ8歳の時の写真、『ジギースターダスト』、『ピンナップス』、『ダイヤモンドの犬』、『ヤング・アメリカンズ』におけるツアー模様、日本ツアーへ向かう船旅の様子、シベリア鉄道に乗って移動したソヴィエトでのワールドツアー、映画『地球に落ちてきた男』の撮影風景、『ステイション・トゥ・ステイション』の録音風景などが、プロモーションではなくあくまで私的なオフショット写真として撮影されている。そこでのボウイは盟友マコーマックを前にどこまでもリラックスした表情を浮かべ、和やかで、率直で、一人の個人的存在として佇んでいるのだ。

書籍はあくまで写真回顧録で、写真集というほど写真の掲載は多くなく、また「ボウイとマコーマックの友人写真」なんてのも結構収録されているから、純粋なボウイ写真集を期待してはいけない。それと実の所文字が多くて、英語のダメなオレには全てを読むことはできない。それでも、今まで手にしたどのボウイ写真集でも見たことのない、貴重過ぎる写真の数々で占められていて、ファンならどの写真にも驚愕させられるはずだ。そもそも、「ソヴィエトツアーにおけるボウイ」なんて写真、こんなものが存在していたのかとすら思わせられた。そんな部分で、コアなファンにこそお勧めしたいボウイ本だと言えるだろう。

《目次》

初期(1957-1965)

10代と20代(1967-1969)

ハドン・ホール:成功の始まり(1969-1972)

アメリカツアー(1973年)

オールドランシッド号で日本への船旅(1973)

ソビエト連邦のエイリアン(1973) 

イギリスツアーとピンナップス(1973)

ダイヤモンドドッグス(1973-1974)

ドッグ・トゥ・ソウル・ツアー(1974) 

地球に落ちてきた男(1974-1975) 

ニューヨーク - ロサンゼルス (1975) 

バックホーム (1976-1991) 

後年 (1997-2016)

※ジェフ・マコーマックによる写真展「Rock ‘n’ Roll with Me – Bowie/MacCormack 1973-76」のプロモーション動画。『David Bowie: Rock 'N' Roll With Me』に収録されている写真の幾つかを見ることができる。

最近読んだ怪奇幻想不条理小説/『もっと厭な物語』

もっと厭な物語 /文藝春秋 (編集)

もっと厭な物語 (文春文庫)

最悪の結末、不安な幕切れ、絶望の最終行。文豪・夏目漱石の不吉きわまりない掌編で幕を開ける「後味の悪い小説」アンソロジー。人間の恐布を追究する実験がもたらした凄惨な事件を描くC・バーカー「恐怖の探究」、寝室に幽閉される女性が陥る狂気を抉り出すC・P・ギルマンの名作「黄色い壁紙」他全十編。

この『もっと厭な物語』は2013年に文芸春秋文庫として刊行された『厭な物語』の第2集として2014年に刊行された”厭な物語”アンソロジーである。タイトル通り読後感の最低に厭らしい胸糞な短編ばかりを集めた趣味の悪い(笑)アンソロジーなのだ。1集目『厭な物語』も随分以前に読んでいたのだが、第2集が出ていたとは知らずつい最近読むことになった。

胸糞な短編中心のアンソロジーとはいえ、日本文学まで加えられた古今東西の作品が集められており、実はなかなかに格調高くもある。なんと1話目は夏目漱石の「『夢十夜』から第3夜」だったりとか、小川未明の名作「赤い蝋燭と人魚」が収録されていたりとか、そんな中にホラー小説の閻魔大王クライブ・バーカーの「恐怖の研究」が挟まっていたりとか、結構技ありなアンソロジーなのだ。

最も「胸糞」だったのは草野唯雄の「皮を剥ぐ」だ。いやもうタイトルから厭さ全開だがおまけに動物モノで、本当に途中で読むのが厭になってしまった。夏目漱石小川未明作品も厭だったが氷川瓏の「乳母車」も厭だったなー。総じて日本作家の厭さが頭抜けていた。やはり性格の暗さ、湿気にじめついた不快感なら日本人に軍配が上がるという事なのか?

一方海外作家作品ではクライブ・バーカーの「恐怖の研究」がダントツで胸糞悪い内容だった。そもそもバーカー小説ってもともとが胸糞悪い。他の海外作家作品は決して悪くはないんだけれども、「胸糞小説」というよりは普通に「奇妙な味」系の作品として読んだな。

そんな中ヘンリー・カットナーと『シャンブロウ』で有名なC・L・ムーアのSF作家夫婦による合作ペンネーム、ルイス・バジェットの描く「著者謹呈」は、「厭な物語」では全然ないのだがなかなか面白かった。魔術師を殺した男が手に入れたのは「危機を乗り越える方法を10回だけ教えてくれる魔導書」、その男と復讐に燃える魔術師の使い魔との熾烈な戦いが今始まる!男はどう魔導書を駆使して危機を乗り越えるのか?という物語で、これは「胸糞作品」では全くないのだが、ダークファンタジーの秀作として楽しめた。

 

『快楽の園』のスマホケース

このあいだiPhone14 Proを購入したので、今度はそのケースを新調することにしました。スマホケースはいつも「Society6」というLAのアーティストプロダクトブランドから海外通販しているんですが、今回もそこで購入しようと思いあれこれ探していたんですよね。

「Society6」は世界中のアーチストが参加して自分のデザインしたグッズを委託販売するいわゆるドロップシッピングサイトと呼ばれるショップなんですが、これがスマホケースといったテックアクセサリーだけではなくウォールアートや室内装飾品、寝具・バス用品からアパレルまで幅広く手掛けているんですよ。

なにしろスマホケースだけで4400種類だかあるんですが、いやあオレ、全部見ましたよ。4400種類。でも時間は掛かりましたがああだこうだ言いながら選ぶのは楽しかったですけどね。で、結局選んだのはこれ。

ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』。

いやーヒエロニムス・ボス、いいですねー。好きなんですよ。

「趣味の悪いスマホケースだな」とか言わないように。

で、スマホケースをボスの『楽園の園』にしたので、画面の壁紙も同じくボスの『楽園の園』にしてみました。

「趣味の悪い壁紙だな」とか言わないように。

ボスの『快楽の園』は「三連祭壇画」と呼ばれるもので、これは3つの違う絵のパネルからできているのですが、そのうちスマホケースの絵は「快楽の園」を、壁紙のほうは「地獄」を描いたものになっています。ちなみに他のもう1枚は「地上の楽園」を描いたものになります。実際の『快楽の園』はこんな絵です。なんだか訳の分からないものがコチャコチャと描かれていて、実はこれはきちんと意味があったりはするんですが、率直な感想としては「いいね。狂ってるね」って感じでしょうか!

もし同じものが欲しい方がいらっしゃったらこちらの商品ページをご覧になってください。

道端でこのスマホケースを持っている目つきの危ないおっさんを見かけても、通報したり棒で突っついたりしないでそっと無視してあげてね!