それは動物ガシャポンだったッ!?

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動物が結構好きである。そんな動物たちと会える動物園が好きである。中でも、オレの最も愛する動物、カピバラマヌルネコがいる「那須どうぶつ王国」が特にお気に入りである。

このコロナ禍の中、あまり動物園にも行けないのだが、最後に行った「那須どうぶつ王国」の記事はこれとなる。

ちなみにカピバラマヌルネコをオレがいかに愛してやまないかについては以前こんな記事を書いた。

そんな「那須どうぶつ王国」のホームページで、「動物カプセルトイ」がネット販売されていると知り、オレは色めき立ったのである。

『はしもとみおの彫刻』那須どうぶつ王国カプセルトイ【Original】5種の内の1つが届く | 那須どうぶつ王国ネット

5種類の動物たちが入っており、それはハシビロコウ、ホッキョクオオカミ、スナネコ、そしてカピバラマヌルネコだというではないか!!これは欲しい、欲しいぞ!ただしそこはカプセルトイ、中は秘密になっていて購入してもどれが入ってるのかは分からない。では5種類コンプするには何個購入すればいいのか?一応最大9個まで購入可となっていたので、そこはもう9個購入するしかないではないか!

逆上気味にネットでポチったオレは到着を今か今かと待ちかねていた。そして到着したのが巻頭の写真である。さあ!開封だ!オレは全部の種類がコンプできるのか!?

というわけで、ジャーン。全種類コンプできました!

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とはいえ、9個のうち4個がダブっていて、それはカピバラ4匹、スナネコ2匹であった。オレはダブるんならマヌがよかったなあ。

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まあしかしカピが4匹になってもあまり違和感がない。いつもこんな具合に群れてるし。

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なにしろ可愛いマヌルと、それとスナネコが入ってたから満足です!

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それにしても前から思っていたのだが、「那須どうぶつ王国」ってこういった商品のプロデュースがとても上手いね。今回は「木彫りを元にしたフィギュア」という部分がとてもポイント高い。以前もここのネットショップで「マヌルネコマスク」を購入したけど、とてもクオリティが高かったんだよ。

プロデュース力といえば、やはり「那須どうぶつ王国」が作った「マヌルネコの歌」も動物好きの間で大流行したんだよな。この「マヌルネコの歌」、ちょっとクセになる曲だから、みんなも見て聴いて!


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♪それはマヌルネコマヌルネコ~マヌルヌルヌルマヌルネコ

最近読んだコミックその他

ヤングアニマル 2021年 9/24 号 

去る5月に急逝した三浦健太郎のメモリアル特集号。三浦の描いた『ベルセルク』最後の原稿が掲載されている。実は『ベルセルク』は単行本でしか読んだことがなく、雑誌の判型で読むのは初めてなのだが、この判型ですら息苦しくるほどの書き込みがなされており、改めて驚愕した。「なんでこの大きさコマに登場人物が10人も描かれているの?」と思う場面ばかり。いやこれは魂削るわ……。凄い、と思うのと同時に「ここまで描かなければならなかったのか」とすら思えてしまった。しかも今回の話、とんでもないところで終わっている……。三浦はここからいったいどうするつもりだったのだろう。このメモリアル号には付録として親交の深かった漫画家による特別寄稿小冊子「Messages to KENTAROU MIURA」、さらに『ベルセルク』名場面ポスターが附けられていて、ファン必携だろう。オレは三浦の個人的側面はあまり知らなかったのだが、小冊子からは生前の彼の人となりが伺え、いかに彼が愛され尊敬されていた人物だったのかを知ることになった。それにしても『ベルセルク』はこれからどうするのだろう。12月に発売される第41巻で本当に終わってしまうのだろうか。しかし今回の第364話で未完の終了だとしても、十分余韻のある終わり方だったのかもしれない。三浦の魂に安らぎあれ。

ゴールデンカムイ(27)/野田 サトル

ゴールデンカムイ』もいよいよ佳境に入り、終幕に向けて思いっきりドライブがかかっている感じ。おまけにこれまで隠されていた真実がこの巻で次々と明かされ、怒涛の展開過ぎて泡を吹いてしまった。そもそも濃い話だが今回は輪をかけて濃厚であり、残虐かつ猟奇的なシーンと残酷な運命がこれまで以上に描かれ、闇はさらに黒々と深まっていく。こんな物語にいったいどんな幸福な結末を期待すればいいのだろう。これは次巻が待ち切れないでしょ……。

ダンジョン飯(11)/九井 諒子

この『ダンジョン飯』もまたいよいよ佳境じゃないですか。大量の狂暴なドラゴンと対峙するライオス、という絶望的なシーンから始まりつつ、それを切り抜けた後に待つさらなる恐るべき展開、これは目が離せませんわ。ファンタジーを知り尽くした作者があらゆるファンタジー知識を総動員して練り上げられた物語は圧巻の一言。

アンダーニンジャ(6)/花沢健吾 

全体的に妙にダルイ雰囲気で描かれながら突発的に凶悪な暴力描写が飛び出すところが面白い『アンダーニンジャ』、話が進んでいるんだか進んでいないんだかさっぱり分からないのだが、なんだかこの作品も佳境に向かっているような気がする。向かってないかもしれんが。いきなり次巻で終わりでもいいような微妙なテンションの作品なのでこれからも適当に読んでおきます。

クマとたぬき(1)(2)/ 帆

大自然の中で生きるクマとたぬきの交流を描くほのぼの動物漫画。オレも最近動物漫画が多いな。癒されたいんだろうな。しかし数ある動物漫画の中でなぜ本作が気に入ったのかというと、それは主人公となるのが「クマとたぬき」だからなんだな。実はオレ、相方からクマ呼ばわりていて、一方相方は常々たぬきに自己投影しており、つまりは「クマとたぬき」とは「オレと相方」であり、そういった感情移入をして読んでいるんだよ。そういった部分を離れても里山の四季をそれぞれのテーマにし、季節ごとの違う動物たちの生態を描いている部分で読み所のある作品なんだよな。2巻は若干ネタ切れ気味になっているんだが、まあのんびり楽しんでるよ。しかし「樹木」が主人公となり会話している回とかある意味凄かったな。

総特集:諸星大二郎―怪を語り、快を生み出す―<大増補新版> (文藝別冊) /諸星大二郎

この間『諸星大二郎展』を観に行って興奮冷めやらぬまま河出から出ていた『諸星大二郎総特集』を購入し読んでしまった。インタビュー、作品論、作品リストなどで構成されているが、未発表作品が掲載されているのがなにより目玉で、『失楽園』の元となった1972年執筆作『恐るべき丘』などは超貴重作だろう。また、諸星のロングインタビューでは彼の作品が論理性よりも非常に感覚的な側面から描かれているのが伝わってくる。確かに知識量はハンパないのだろうが、それを論理性でもって構築してゆくのではなく、脳内ミキサーにかけて磨り潰し「不気味さ・気持ち悪さ」に特化した別個の形を与えているのが諸星作品なのではないのか。諸星作品を人類学や民俗学的切り口から論じる作品論も掲載されてはいるが、そういったアカデミズムからスルリとすり抜け、あくまでも物語の持つダイナミズムで牽引してゆく、そういった部分が諸星の面白さなのではないか、そんなことを思った。

諸星大二郎 デビュー50周年記念 トリビュート/諸星大二郎

さらに諸星関連本、こちらは「デビュー50周年トリビュート」ということで諸星を敬愛してやまない様々な漫画家が一同に会し、諸星作品のパロディ・二次創作を通して海よりも深い諸星愛を吐露するという作品群となっている。そういった意味で全体的に私的で極ゆるい作品が並ぶけれども、それよりも彼らがいかに諸星を敬愛しているのかが十二分に伝わってきて、その諸星愛は読んでいるこちら側の諸星愛ともシンクロし、まるで諸星さんファンクラブの飲み会に参加しているかのようなぽかぽかとして暖かい気持ちになってくる。それにしても唐沢なをきの高密度情報量による諸星漫画は大爆笑だった。

失踪した運命の女を捜索する男を描いたSFノワール作品『レミニセンス』

レミニセンス (監督:リサ・ジョイ 2021年アメリカ映画)

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この連休は特に観たい映画も無かったのですが、暇だったのでとりあえずなにか1本、ということでこの『レミニセンス』を観に行くことにしました。一応SFだし。ただ「記憶に潜り込む」という内容は『インセプション』のバッタもん臭かったし、最初はあまり興味湧かなかったんですよ。『インセプション』といえばこの映画、「「インターステラー」「ダークナイト」などクリストファー・ノーラン作品で脚本を担当してきた、クリストファー・ノーランの弟ジョナサン・ノーランが製作を手がけ」ているのらしい*1

【物語】海面が上昇した近未来のマイアミに住む、無骨で孤独な退役軍人のニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は、顧客が望むあらゆる記憶を追体験させる機会を提供するという、危険な職業の専門家である。ある日、彼の人生は、メイ(レベッカ・ファーガソン)という謎めいた若い女性との出会いによって一変する。最初は単なる探し物を端緒とした関係であったが、やがてメイとの関係は情熱的な恋愛へと発展する。しかし、別の依頼人の記憶がメイを凶悪犯罪に巻き込んでしまったため、バニスターは過去の暗い世界を掘り下げて、自分が愛した女性の真実を明らかにしなければならなくなる。

レミニセンス (2021年の映画) - Wikipedia

で、最初は「記憶を巡る陰謀!抗争!恐るべき真実!」みたいなアクション作品だと思ってたんですが、アクションほどほどでサスペンス要素もあるにせよ、派手派手しくSFチックに盛り上がる!という作品では全然なかった。むしろこれは「失われた愛」を非常にウェットな情感で描く作品で、思っていたのとは全然違っていたのですが、まあこれはこれで悪くなかったかな、というのが感想です。

この映画では海面上昇によりどこもかしこもベニスみたいに水浸しになっちゃったマイアミの街が舞台で、つまりそれはいつか全てが水に飲み込まれてしまう未来しかない、希望のない世界が舞台という事なんですよ。いつも道路は水浸しだし、街は湿気は多そうだし、なにもかも鬱陶しいんです。これは世界のウェットさと登場人物のウェットさがシンクロした映像なんですね。

こんな世界で主人公が営むのは「記憶再生屋」という稼業で、これは顧客の輝かしく満ち足りていた過去を掘り起こし追体験させるというもので、要するに希望は過去にしかない、という実に後ろ向きな人たちのための仕事なんですね。世界にもそこに暮らす人々にも未来なんかない、というとても暗いお話なんですよ。

こんな未来の無い暗い街で、主人公ニックは顧客となった美しい女メイと恋に落ちてしまうんですが、メイがある日失踪してしまう。悲しみに暮れるニックですが、ある日犯罪捜査に協力した時偶然にもメイが関わっていたことを知ってしまう。ここからニックのメイ捜索の日々が始まるんですが、もうこれが愛の妄執に取り憑かれた狂った男にしか見えないんです。で、メイが犯罪組織と関わっていたことを知ったニックは犯罪組織に乗り込んじゃったりするんですが、もう毎回ボコボコにされるんですね。しかし満身創痍になりながらも、ニックは消えた女を求めて希望の無い街を彷徨うというわけなんですよ。

実はこの辺りの物語構造って、50年代とか60年代の古めかしいハードボイルド作品、ノワール作品の骨子そのままなんですね。ハードボイルドというと「情緒を排した乾いた文体」を指しますが、同時に「犯罪捜査の為に大都市を彷徨う男/探偵があちらこちらでギャングにボコボコにされる」というのもハードボイルドのお決まりだったりするんですね。ファム・ファタールと出会ってしまい運命を狂わされた男ってのもハードボイルドぽくないですか。

そもそもこの作品、「記憶再生」というSFガジェットを排して「関係者の証言」という形にしてしまっても物語として成り立ってしまうんですよ。つまりSFである必然性は薄いんです。ただ、この「記憶再生」というSFガジェットが、物語を別の面からエモーショナルに盛り上げているんですね。

それは主人公を含め過去の美しく輝かしい情景にのみ囚われた人々ばかりが登場し、「希望は過去にしかない」ことを繰り返し繰り返し語り続けるという、非常に徹底したペシミズムとニヒリズムが作品の根底となっているからなんですよ。愛に満ちた過去だけが真実であり、今この現在と未来とには何一つ希望はない、これを言い切っちゃうということの絶望の深さと、絶望それ自体の甘やかさとがこの物語なんですよ。そしてそれは未来の無い水没世界の、死の静寂を予見させる美しさと呼応しているんですね。

通常オレはこういった後ろ向きでただただ暗澹とした話というのは嫌いな部類なんですが、それを美しく描き切ってしまったところにちょっと感銘を受けてしまいました。実はギレルモ・デル・トロピーター・ジャクソンドゥニ・ヴィルヌーヴの初期作ってこんな暗さに満ちた作品だったことを考えると、意外とこの作品の監督リサ・ジョイも次作から化けてしまうかもしれませんね。

 

西欧文明の終焉を描くフランス文学の極北:ミシェル・ウエルベック『素粒子』

素粒子ミシェル・ウエルベック

素粒子 (ちくま文庫)

人類の孤独の極北に揺曳する絶望的な“愛”を描いて重層的なスケールで圧倒的な感銘をよぶ、衝撃の作家ウエルベックの最高傑作。文学青年くずれの国語教師ブリュノ、ノーベル賞クラスの分子生物学者ミシェル―捨てられた異父兄弟の二つの人生をたどり、希薄で怠惰な現代世界の一面を透明なタッチで描き上げる。充溢する官能、悲哀と絶望の果てのペーソスが胸を刺す近年最大の話題作。

以前読んだ『短篇コレクション 2 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)』の収録作であるミシェル・ウエルベックの短編『ランサローテ』は、この短編コレクションの中でも群を抜いて面白かった。その乾いたシニシズムはヨーロッパ人として生きることの倦怠と限界を巧みに描き出していた。そんなウエルベックの長編を読んでみようと思い、最高傑作とか問題作とか謳われているこの『素粒子』を手にしてみたのだ。

物語の主人公は二人の異父兄弟だ。一人は非モテをこじらせ己の荒ぶる性欲を常に爆発寸前にしている教師ブリュノ。もう一人は天才的な分子生物学者でありながら生の実感に乏しく傍観者然として生きる男ミシェル。二人に共通するのは惨めで孤独な少年時代と決して成就する事の無かった初恋の痛み。この兄弟の数奇な運命を通して描かれるのは、文化も経済も爛熟し停滞を運命付けられた20世紀ヨーロッパ社会とその文明が迎える終焉の姿なのだ。

物語中盤までで徹底的に語られるのはブリュノのひたすら肥大し尽くした性への妄想と渇望、フリーセックスが目的で設えられたキャンプ施設でのあさましく奔放な行きずりの性だ。執拗に描かれるこれら性描写にはしかし、単なる「器官と器官の接合」を無機的に描くのみであり、そこに扇情もエロティシズムも当然愛もなく、ただ暗黒の淵の如きブリュノの孤独と空虚と遣り切れなさばかりを浮き彫りにしてゆくのだ。

だが作品はこれをブリュノ個人のみの性向として捉えない。20世紀後半、大量消費社会となったヨーロッパは性的開放を含むあらゆる欲望の充足を肯定したが、同時にそれは旧弊な宗教倫理と共同体を破壊し、それにより個々の人間はただ蕩尽することを生きる目的として課せられた存在と化してしまった。異性の肉体をどれほど貪ろうとも決して満足することのできないブリュノの飢餓感と虚無は即ち、この大量消費社会の陥穽を暗喩したものなのだ。

一方ミシェルはあまりに知的過ぎるがゆえにこのような社会から一歩身を引き、純粋なる理論と合理性にのみ心を許す男だ。そのような男だからこそ逆に人として生きることの微妙な機微が分からない。ロマンスが生まれることもあるがそれも決して上手くいきはしない。ブリュノがこの世に愛など存在しないかの如く生きているのとは別の形で、ミシェルには理論でも合理でもない愛というものが理解できず、それゆえに苦悩する。

ブリュノやミシェルだけではなく、この物語に登場する多くの者たちが、欲望と孤独の狭間で翻弄され、何一つ充足を得られぬまま、己の失敗した人生をヒリヒリと意識しつつ生き続けている。そうしてただ歳を重ね、衰えてゆく肉体と精神に絶望と恐怖を感じながら、どうしようもなく途方に暮れている。輝かしくもまた芳しかった青春は遥か彼方へと潰え去り、今ここに残っているのはただただ死への恐怖とその理不尽な運命への呪詛のみだ。そこには望みもなく救いもない。陰鬱である。これはとてつもなく陰鬱な物語である。そしてこの陰鬱さは遍く行き渡った自由と豊かさの結果でもある。

しかし物語はただ陰鬱のみに沈んで終わろうとはしない。なんと物語はクライマックスにおいて突如SF的な乱調を迎えるのだ。だがこれはSFというよりもスリップストリーム文学的な飛躍と言えるだろう。ここでなぜ主人公ミシェルが分子生物学者であり、タイトルが『素粒子』なのかに関わることとなる。物語にある種の救いをもたらすこの展開は、なんとエヴァンゲリオン的な人類補完計画の別称だ。しかし「取って付けたよう」にも思えるこの結末は、フランス作家らしい諧謔かあるいは醒めきったペーソスなのかもしれない。

ミシェル・ウエルベックの『素粒子』は、現代に生きる人間存在の惨めさを徹底的に活写し、その背景にある資本主義社会に唾を吐き掛け、西欧文明の終焉を宣言し、最期に実存主義人類補完計画を発動させる。実にアクロバティックで十分に知的であると同時に、生々しい悲哀に満ちた文学作品であった。

最近読んだコミックなどなど

小犬のこいぬ (2)/うかうか

「あわて者でちょっとドン臭くて思い込みが激しくて食い意地はさらに激しい」小犬が主人公となったコミック第2巻である。主人公の小犬君、ボーッとしているようで変な所でわあわあ騒ぎまくるという非常にムラのある性格で、なんだかいろんな目に遭うが最終的にはなし崩しに「ま、いっか」で終わってしまう、というこの脱力感が良い。しかしこの小犬のキャラがどことなく自分と被っているような気もしないでもなく、そんな部分に共感というか癒しを覚えるのである。コミックは全ページカラー、ネット公開済みの1ページ完結の作品が3分の2と書下ろしが3分の1で、そしてこの書下ろしがちょっと長めのストーリー仕立てになっており、ほんわかした雰囲気がまた読ませるのだ。

雨と君と(2)/二階堂幸

タヌキと主人公女性との静かで気の置けない交流を描くコミック第2巻。1巻目では主人公の奇妙に孤独を愛する性向や、飼われているのが犬でも猫でもなくタヌキ(しかも人語を理解する)、という不思議さから、楽しいながらもどこか謎めいた雰囲気のある物語だった。しかしこの巻では主人公の職業が明らかになり、さらに初めて「友人」が登場し、主人公のキャラクターに少しづつ輪郭が与えられてきている。それでも、こういった「動物モノ」のコミックには珍しい「孤独を愛する者の密やかな生活」が中心となった物語は、特異であると同時に非常に新鮮に感じる。ただ、孤独というのはどこまでも自分自身と向き合わざるを得ない閉塞感を生み出してしまいがちだ。だからこそ、そこにどうにもお茶目なタヌキが「弁」として差し挟まれる。そしてそれは「安らぎ」と名付けられるものなのだろう。「孤独」と「安らぎ」、これらがテーマとなったこの作品は、単なる「動物モノコミック」の域に止まらない、非常に繊細でたおやかな情感に満ちた作品として完成しているのだ。

GIGANT(9)/奥浩哉

この『GIGANT』というコミックはな、「AV女優が巨大化し素っ裸のまま地球を襲うモンスターと熾烈な戦いを繰り広げる」というストーリーになっていてな、しかもギャグじゃなくてシリアスなんだ、なんだかもう訳が分からないだろ、もう画面いっぱいに巨大おっぱいがユッサユッサと揺れ血飛沫は飛び腕はもげ首は飛び巨大オケツがプリプリと弾むんだ、なんかもうカオスだよな、どこに軸があるんだ、というか全部軸なんだよな、そしてこの巻をクライマックスとして次巻で完結だという、もう読者を呆然とさせたまま始まって呆然とさせたまま終わる、ある意味スゲエお話だよ、作者ちょっと天才かもしれない。

アオイホノオ (25)/島本和彦

ホノオ君遂に漫画家デビュー!大阪から上京し東京の街を駆け抜けるホノオ君の初々しい姿に読んでいるこちらも甘酸っぱい気持ちでいっぱいだ。新人漫画家ということであれこれ苦労はあっても臆することなく飛び込んでゆくホノオ君が眩しい。これって青春だよなー同じく北海道から上京しながらなんだかいつもヒネクレていた自分のことを思い出すとなんだか気恥ずかしくなっちゃうよなー、こんな青春を歩みたかった、こんな真っ直ぐな気持ちが欲しかった。

ヴィンランド・サガ (25)/幸村誠

なんとこの25巻目にしてやっと!やっと!希望の土地「ヴィンランド」に出航・到着である。いやー今まで長かった、長すぎた、そしてこれからも長いんだろうなあ。ある意味この巻から始まってもいいぐらいじゃないのか?

川尻こだまのただれた生活第三集:『仮眠ライフハックの話 他』/川尻こだま

例によって健康に悪そうなジャンクフードと終わりなき惰眠で塗り固められた「ただれた生活」を送る主人公の日々を描く実録風漫画第3巻である。一見露悪的なまでにだらしない生活を送る主人公ではあるが、これは生活のある一ページを面白おかしく脚色したものであろうことはすぐわかるし、そういった脚色のセンスと適当に描いたように見えてしっかりした絵、全体に漂う勢いの良さがこの漫画の面白さに繋がっている。これまでWEB上で発表された作品をまとめたものだが、1,2巻同様アマゾンでは無料で購入できる。

神の獣/巴啓祐

「巨大怪獣が日本を襲う!」というコミック『神の獣』は、1992年にコミックモーニング連載・単行本された作品だ。発刊された当時は、大友克洋フォロワーと思われる細かな描線や、東宝怪獣ゴジラを換骨奪胎し非常にモダンなSFストーリーとして生き返らせたセンスに非常に魅せられ、思い出深い作品だった。その後、作者が特に他の作品で活躍したという話も聞かず、半ば忘れかけていたし、コミック自体も見かけなくなっていたのだが、電子書籍で復刊していた知り早速購入してみた。するとこれが現在でも十分通用する面白さを兼ね備えているばかりか、かの『シン・ゴジラ』の異母兄弟の如き変奏曲としても読めてしまい、今だからこその価値すら覚えるのだ。今読むと物語的な飛躍が過剰に思える部分もあるが、衝撃的なラストの味わいは少しも衰えていない。