中国SF作家・郝景芳によるAIを主題としたSF短編集『人之彼岸』を読んだ

人之彼岸 / 郝 景芳 (著)、立原 透耶 (訳)、浅田 雅美 (訳)

人之彼岸【ひとのひがん】 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

重篤な病で瀕死状態だった母親を入院させた男は、自分の無力さに苛まれていた。だが母親はある日突然、何事もなかったかのように退院してきた。母はまだ病院にいるはず。では今ここにいるのは一体何なのか? どんな病人も嘘のように回復させてしまうという評判の病院の謎を追う男を描いた「不死医院」、万能の神たる世界化されたAIと少年との心温まる交流を描いた「乾坤(チェンクン)と亜力(ヤーリー)」など、AIをめぐる6つの短篇とエッセイ2篇を収録。短篇「折りたたみ北京」で中国に『三体』に続くヒューゴー賞をもたらした俊英、郝景芳による短篇集。

SF短編『折りたたみ北京』で劉慈欣『三体』に続き中国人作家二人目のヒューゴー賞受賞者となった郝景芳(ハオジンファン)によるSF短編集である。郝景芳はこれまでにも日本独自編集による『郝景芳短編集』や自伝的色彩の強い『1984年に生まれて』(未読)が出版されており、日本でも注目度の高い中国人SF作家の一人という事ができるだろう。

その郝景芳による「AI」を中心テーマとしたエッセイ・SF短編集がこの『人之彼岸』となる。タイトル「人之彼岸」とは人間とAIとの境界とは何か?といった意味でつけられたものなのだろうか。郝景芳については『郝景芳短編集』においてSF的アイディアとはまた別に非常にエモーショナルな物語展開の在り方を感じたがさてこの短編集はどうだろう。

まず冒頭ではスーパー人工知能まであとどのくらい」「人工知能の時代にいかに学ぶか」というAIにかかわる二つのエッセイが収められている。内容は「人間と同じ知性と判断力を持ち合わせた人工知能は可能なのか?」を追求した科学エッセイである。実はエッセイ自体はそれほど期待していなかったのだがこれは面白く読めた。

読んでいて思ったのは「完璧なAI」を作ろうとするのならその前にまず「人間の思考とは何か」を完璧に知り尽くしていなければならない、ということだろうか。人間の思考とは「限られた生と繊細で容易く壊れる構造の肉体を持つこと」の頸木によって生まれるのではないか。すなわち肉体あっての思考形態ではないかと思うのだ。ビッグデータと強力なアルゴリズムを有し演算力の桁外れにあるAIだが、思考も肉体も限界のある人間という存在が持ちうる思考形態とそれは相容れないものなのではないか。そんなことを思った。とはいえ、これらのエッセイはAIについて熟知した方には常識的過ぎて退屈かもしれない。

続く短編は6作。「あなたはどこに」藤子不二雄漫画『パーマン』のコピーロボットみたいなロボットを作った男が体験するドタバタ劇。「私の代理ロボ」は「私」ではない、では「代理」を立てる意味はないのでは?というお話。「不死医院」は末期病患者が死後密かにシュミラクラに置き換えられる、というディック的な物語だが、こんな先端テクノロジーを「密か」に提供することの説得力に欠けている。

「愛の問題」はある殺人事件を巡り人間・AIの犯人捜しを描くアシモフ的な作品。とはいえメインとなるのは事件にかかわる一家のドロドロの愛憎劇でおまけに長く、これはちょっと辟易した。 「戦車の中」ではAI戦車vs人間の乗った戦車の戦いを描くが、「逆チューリングテスト」というSFアイディアが面白い。今回の短編集で最もエキサイティングな作品だが7ページと最も短く、これをもっと掘り下げてくれれば!と思わずにいられない。でも作者、戦闘とか嫌いそうな人なんだよなあ。

「人間の島」は人類居住惑星探査から帰ってきた宇宙船クルーが地球で見たものはAIによる平和な支配が為された未来社会だった、というレム『星からの帰還』にハクスリー『素晴らしき新世界』とオーウェル1984年』を足したような物語。なにしろ既視感がありすぎて今一つではあったが、これを「海外移住した香港人が久しぶりに香港に帰ってきたら中国併合と国家安全法によるディストピアと化していた」というお話に読み替えるとまた別の面白さが湧いてくる。「乾坤と亜力」はAIと子供の交流がいつしか壮大なお話に?というちょっと童話っぽいお話。この作品は以前出た『2010年代海外SF傑作選』に収められていた。

全般的に、んー、なんだか淡泊だしSFアイディアも特に突出しているわけでもないし、物足りない作品集だったのは否めない。『郝景芳短編集』も割と「弱い」印象だったし、とりあえず郝景芳はもういいかなあ、と思ってしまった。すまんすまん。 

1984年に生まれて (単行本)

1984年に生まれて (単行本)

  • 作者:郝 景芳
  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: 単行本
 
郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

  • 作者:郝景芳
  • 発売日: 2019/03/21
  • メディア: 単行本
 

最近読んだコミックなどなど/『雨と君と』を中心に

雨と君と(1) (ヤングマガジンコミックス)

雨と君と(1) / 二階堂幸

『雨と君と』はある雨の日に主人公女子が「犬のような生き物」を拾って飼い始めるところから始まる。 この「犬のような生き物」、実はタヌキである。しかし主人公をはじめ周りは「まあ犬だって言ってるんだろうから犬なんだろう」としか思っていない。ところでこのタヌキ、自分からフリップを出して会話することが可能だ。よくわからんが特殊なタヌキなのらしい。

このタヌキと主人公とのさりげない毎日が描かれるのが本作なのだが、単なる動物愛玩漫画なのかと思うとなにか微妙に違う。確かにこの物語のタヌキは愛らしいが、これが犬でも猫でも成立する話ではあるのだ。ではなぜタヌキなのか。まずタヌキは基本的に非日常的な動物であり、さらに飼うことを禁じられている野生動物である。しかし物語のタヌキは会話の可能な特殊なタヌキだ。ここから考えられるのは、この物語は実はファンタジーなのではないかということだ。

そして主人公女子だ。彼女の日常生活は描かれはするが、どんな仕事をしているのか(服装から社会人だろう)はまるで描かれることはなく、だから同僚など仕事上の人間関係は描かれず、さらにはこの年代ならいそうな友人や恋人の姿も描かれない。わずかに両親やご近所さんが登場するが、基本的に閉じた人間関係のみなのだ。さらに主人公は雨や一人でいることが好きな、どこか孤独な陰のある女子だ。物語の中でも、微笑むことはあっても笑うことはない。そもそもあまり感情を表に出さない。こんな主人公が、特殊な、奇妙なタヌキと同居し、淡々とした日常を過ごす。

こういった部分から、一見ありがちな動物愛玩漫画のように見えて、実は主人公の個人的な世界を抽象的に描いたものなのではないかという気にさせられる。その個人的世界とは主人公の孤独であり、孤独を愛する気持ちである。その孤独を愛する主人公の、世界に対する弁になっているのがタヌキの姿をした「何か」なのだ。そしてこのタヌキを介して世界と接する主人公にとって、このタヌキは「孤独の殻」の外で邪気無く遊ぶもう一人の(無意識に理想化された)主人公なのではないだろうか。こう考えると、なかなかに深い物語なのだ。

雨と君と(1) (ヤングマガジンコミックス)
 

 カムヤライド (5) / 久正人

カムヤライド (5) (SPコミックス)

カムヤライド (5) (SPコミックス)

 

 主人公の過去が語られさらに新キャラの婆さんが登場、これが主人公のかつての恩師というか命の恩人らしいが一癖二癖ある人物で、なかなかに物語に厚みを持たせてくれているな。アクションもグラフィックも安定のクオリティでこのまま次巻に期待。 

ゴールデンカムイ (25) / 野田 サトル

おお!倒木の山の下敷きになり身体的に急接近する杉元とアシパさん!ここまで接近するのはひょっとして物語始まって初めて!?そしてここでアシパさんの杉元への気持ちがかすかに語られる!いいシーンじゃないか!こういうのを待ってたんだ!ってかアシパさんって背丈ちっちゃいけど実際のお年は幾つなんだろう……? 

ゴールデンカムイ公式ファンブック 探究者たちの記録 / 野田サトル

ゴールデンカムイが好きすぎて遂に公式ファンブック買っちゃったい!ゴールデンカムイ世界をみっちり紹介した濃厚なガイドであり、満足感もたっぷりだけど、一つだけ言わせてもらいたい!字が小さいので老眼のオレには内容全部把握できない! 

聖☆おにいさん (19) / 中村 光

もはや神ネタとは違う普通のギャグ漫画になりつつあり、ああ……ネタ切れだ……ネタ切れだ……と思いつつ聖なるお兄さんがたのお話も第19巻、 しかしラスト近くで1話完結ではなく長編新シリーズとしてテコ入れするのらしい。まあそれはそれで。 

アンダーニンジャ(5) / 花沢健吾

なんかこうやる気あるんだか無いんだか分からないニンジャの主人公が戦ったりやる気無さそうにしてたりする物語第5巻だが、そもそも作者もやる気があるんだか無いんだかよく分からない内容で、熱血アクションとは真逆の味わいを目指しているのだろうな、とは思いつつ、これ今盛り上がってる所?なんなん?と思いながら読み進めているオレであった。あと前から気になってたけど加工写真使用の背景画ってなんかダイナミックさに欠けるなあ。

いつもきみのそばに 動物たちが残した25個の不思議なメッセージ / みつつぐ

Twitterで見かけた「動物絡みの不思議な話」漫画を単行本にしたもの。Twitterで読んだときは興味を引かれたのだがこうしてまとめて読んでみると単に妄想・誤認・思い込みでしかないお話ばかりなんだよな。ただ人間の思考というのは時折こういったショートカットをとってしまうことがあり、それが有用に働くと「直観」というものになる。この本の物語はだから「不思議な話」というよりは「直観に支えられた話」なんじゃないだろうか。

 

映画『モンスターハンター』はメチャクチャ楽しい怪獣映画だったぞ!

モンスターハンター (監督:ポール・W・S・アンダーソン 2020年アメリカ映画)

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全世界で10億本だか100億本だかを売り上げた(誇張)という超大ヒットゲーム『モンシターハンター』の映画化作品が公開されるというからオレはとても楽しみにしていたのだよ!

「ほうほうフモさんは『モンスターハンター』のゲームがそんなにお好きなんですか」と思われるかもしれないが実はオレ、ゲームはやっていない!なにしろプレイし始めるとハマリにハマリまくって延々1000時間だか1万時間だかを猿のようにプレイしまくるという(誇張)噂を聞き、恐れをなして手にしていないんだ!じゃあなんでそんなに楽しみにしていたのかというと、監督のポール・W・S・アンダーソンが好きだからなんだよ!

ポール・W・S・アンダーソン、世間じゃ今一つの監督みたいな話も聞くがオレはヤツの映画が大好きだね!『バイオハザード』シリーズはモノにもよるが、『イベント・ホライズン』『エイリアンVSプレデター』『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』『ボンベイ』などどれも楽しく観たぞ!製作にまわった『パンドラム』や『デスレース』シリーズなんかもイカス映画だったね!なんかこうオレのツボを突きまくる映画を撮るヤツじゃないか!ヤツの映画は心理描写とか人間関係とかカッタルイことをせずひたすら見世物に徹している部分がいいね!

そんなアンダーソン監督の『モンスターハンター』、劇場で今さっき観てきたけど期待に違わぬ、というより期待以上のスンバラシイ作品だったじゃないか!お話は特殊部隊の兵隊さんたちが砂漠で不気味な嵐に見舞われ気が付いてみるとモンスターだらけの異世界に転送されていた、という超シンプルなものだ!主人公であるアルテミス(ミラ・ジョヴォビッチ)はその世界で謎の男ハンター(トニー・ジャー)に助けられ、モンスターを討伐しながら生き延びる術を学んでゆくんだね!

何がいいってまず、登場するモンスターの皆さんがどれもこれも超怖くて超強いのがイイ!最初に登場する蜘蛛生物ネルスキュラやデカい角を生やしたディアブロスからして既に中ボスやボスキャラレベルの凶悪さじゃないか!アルテミスは仲間を次々と失い、なすすべもなく逃げ惑う!この「なすすべなし」の絶望感が実にイイ!異世界のモンスターがどれだけ恐ろしくて手強いものなのか、ここで徹底的に見せられるんだ!

そこに謎の男ハンター登場!このハンターがメチャクチャ強い!でもこのハンター、最初はアルテミスを警戒し捕虜として邪険に扱うんだ!この二人がすったもんだしながら次第にバディとして協力し合うようになる話の流れがまたイイんだね!ジョヴォビッチがアクション映画界最強のトニー・ジャーと互角に格闘するなんていうシーンにびっくりさせられるぞ!そして「なすすべなし」だったアルテミスが徐々にモンスターと戦うスキルを学び異世界でサバイバルしてゆく、という流れがまたイイじゃないか!これ、ゲームの成長要素を映画でなぞっているということなんだね!

物語のシンプルさは既にお馴染みのゲーム世界が先にあり、「この世界がどういう世界なのか」ということをいちいち説明する必要がないから可能だったんだろうね。魔法的な武器が登場するけどそれはどう成立しているのかとか、この世界の住人はどんな暮らしをしているかとか、物語の背景にリアリティを付加することをしなくても、「見たまんまです、以上!」で済んでしまっているんだ。それをアンダーソン映画ならではの薄っぺらさと言ってしまえばそれまでだが、逆にオレなんかは余計なドラマや小理屈を混ぜ込まない、清々しいほどにエンタメに徹した作品として堪能できたよ!

こんな具合に「ゲーム映画」であると同時に「怪獣映画」として堂々たる完成を見せたこの作品、『ゴジラvsキングコング』や『シン・ウルトラマン』といった怪獣映画の公開が待ちきれない!という人にも楽しめる作品なんじゃないかな。興行的には芳しくないという話も聞いたけど、日本で大ヒットさせて是非続編製作してほしいな! 

ケン・リュウ最新短編集『宇宙の春』を読んだ

宇宙の春 / ケン リュウ (著)、古沢 嘉通 (訳)

宇宙の春 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

わたしは秋に生まれた。いま、宇宙は真冬だ――死に絶え、そしてまた生まれ変わる宇宙の変遷を四季の変化に見立てて描いた表題作、3人の女性が力を合わせて悪に立ち向かう、『三国志』を大胆に換骨奪胎したシスターフッド×メタモルフォーゼ冒険譚「灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹」、過去を覗き見ることを可能にした発見がもたらしたものとは……ヒューゴー賞&ネビュラ賞候補作「歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー」など、10作品を収録。『三体』翻訳者/中国SF紹介者としても知られる、現代アメリカSFのトップランナーリュウの魅力が味わえる日本オリジナル短篇集第4弾。

中華SFの第一人者、ケン・リュウの日本独自編集による最新短編集。結構短編集出してるよなあ、と思ったらこれが4冊目となるのらしい。なにしろ最初に紹介された『紙の動物園』が実に素晴らしかった。ケン・リュウ作品は中国系アメリカ人としての独自の視点と独特の立ち位置を持ち、欧米SFとはまた違ったアプローチが垣間見えるといった部分で新鮮に感じていた。また、積極的に中華・中文SFを紹介し、米国においてあの『三体』を翻訳したり、多くの優れた中華SFアンソロジーを編纂している部分でも目の離せない作家だ。

さてこの『宇宙の春』は2020年に刊行された本国版短編集の中からまだ未訳だった6篇、さらに短編集『生まれ変わり』以降の作品から3篇、そして2011年に書かれ未訳だった1篇の計10篇が収録されている。 若干落ち穂拾い的な作品も目立つが、これまで割と直球に「SF」あるいは「ファンタジー」な作品が多く紹介されていたケン・リュウの、別の、あるいは新しい方向性を感じさせる物語が多く見られるように感じた。

まず冒頭、『宇宙の春』は肉体を捨てデータ人格化した人類が宇宙の永劫の時を経巡るという稀有壮大なお話。宇宙の生生流転を四季で表現するなんざ実に華やかじゃないか。『灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹』は『三国志』を換骨奪胎したというケン・リュウお得意の冒険ファンタジー作品。動物化女子が大活躍というのは「けもフレ」の影響、ということはよもやあるまい。古生代で考後を過ごしましょう』はタイトル通りの内容の軽めの掌編。『切り取り』は「踊るタイポグラフィってのを一回やってみたかった!」といった風情の実験作。

『メッセージ』は「そんなSF映画なかったっけ?」と思うかもしれないが勿論別物。初めて対面する娘と共に異星の遺跡調査を行う男が遭遇するある事件を描くが、最初ギクシャクしていた親子関係が徐々にほぐれてゆく描写はベタではあるがなかなか悪くない。『充実した時間』はロボット製作企業に勤めだした主人公がソリューショニズムに憑りつかれて次第に「魔法使いの弟子」みたいな騒動を巻き起こしてしまう、という物語。業績を上げるためにどんどん目が三角になってゆく主人公の姿は、滑稽でありつつもなんだか気の毒。

特筆すべきはまず『ブックセイヴァ』。これ、ウェブ小説の「不適切な表現」を「正しい表現」に「修正」するプラグインを巡り喧々諤々の議論が巻き起こるというもの。自分の見たいものしか見ないタコツボ化したSNSと通じるものがあるよな。『思いと祈り』では亡くなった肉親の追悼Webページに対する執拗な荒らし行為と、その対策として導入されるテクノロジーとの不毛ないたちごっこを描くが、これなどは実に今日的過ぎて殺伐とした気分にさせられる。以前読んだ『中国・SF・革命』という短編集に収録されていたケン・リュウ作品『トラストレス』でもこんな「10分後の未来」とでもいうべき卑近でリアルなテクノロジーを扱っていたが、最近はこういった作風にシフトしてきているのだろうか。

問題作と思えるのはマクスウェルの悪魔『歴史を終わらせた男-ドキュメンタリー』だ。どちらも太平洋戦争時の大日本帝国の在り方が中心的なテーマとなっているのだ。マクスウェルの悪魔では沖縄戦が描かれるが、タイトルにある「マクスウェルの悪魔」のSFアイディアと沖縄戦とに必然的な関連を感じない。また『歴史を終わらせた男-ドキュメンタリー』で扱われるのは悪名高い731部隊だが、これと「粒子もつれを利用したタイムトラベルによる歴史検証」にもやはり必然的な関連を感じないのだ。むしろこれらの作品はケン・リュウの太平洋戦争に対する問題意識をSFの形を借りて言及しているもののように感じる。太平洋戦争を扱ったケン・リュウ作品は『太平洋横断海底トンネル小史』などもあったが、太平洋戦争時における中国/日本の陰惨な歴史的事実に、中国系アメリカ人としての立場から思う部分が多大にあることをうかがわせる作品となっている。

 ケン・リュウ短編集レヴュー 

 ケン・リュウ短編集書籍
宇宙の春 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
 
紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

 
もののあはれ (ケン・リュウ短篇傑作集2)

もののあはれ (ケン・リュウ短篇傑作集2)

 
母の記憶に (ケン・リュウ短篇傑作集3)

母の記憶に (ケン・リュウ短篇傑作集3)

 
草を結びて環を銜えん (ケン・リュウ短篇傑作集4)
 

滅亡した世界でバットマンとジョーカーの最後の旅が始まる/『バットマン:ラストナイト・オン・アース』

バットマン:ラストナイト・オン・アース / スコット・スナイダー (著), グレッグ・カプロ (イラスト), 高木 亮 (翻訳)

バットマン:ラストナイト・オン・アース (ShoPro Books DC BLACK LABEL)

「これがバットマンの最後の旅になるかもしれない……」 突如ゴッサムシティに出現した、自身の遺体をなぞるかの如く描かれたチョークラインの謎を追い、クライム・アリーへたどり着いたバットマン。そこで見つけた少年に銃を突き付けられた瞬間――彼はアーカムアサイラムで拘束されていた。一瞬のうちに月日が流れ、荒廃した世界に困惑するバットマン。彼は失った自身の過去、そして変わり果てた世界の謎を探るために世界を旅することになる。この奇妙な旅路の果てには、いったいどんな結末が待ち受けているのか――。

バットマン:ラストナイト・オン・アース』は滅亡に瀕した未来の地球で、バットマンとジョーカーが共闘し最後の戦いへ赴くという物語である。 バットマンとジョーカーが共闘!?という事自体びっくりさせられるが、なんとこのジョーカー、表紙を見ていただくと分かる通り、首だけの存在として生き永らえているのだ。いったいジョーカーに何が、というより地球はなぜ、誰が滅亡の危機へと追いやったのか?

アーカムアサイラムで目覚めるブルース・ウェインバットマン、というミステリアスなオープニングに始まり、破滅した世界を彷徨うバットマン&ジョーカー(首だけ)という展開がまたいい。首だけのくせにジョーカーは笑えないジョークを延々くっちゃベリ、あろうことか「俺のことロビンって呼んでくれよ!」としつこくバットマンにせがむのがまた可笑しい。というかこの二人、ファンの誰もが気付いているがもともとがコインの裏表、切っても切れないコンビであり腐れ縁同士であり、遂に世界の終わりの日にこうして二人行脚に出るとは「ああやっと二人はお互いの気持ちに気が付いたのか」と思わないでもない(ジョークだよ)。

ところでバットマンは破滅した世界で目覚める直前の記憶を失っており、なぜ世界がこのような状態になってしまったのか思い出すことができない。彼は世界を旅する中、まだ生き残っていたヒーローたちと出会い、彼らがバットマンの旅を助けることになる。だが生き残った彼らですら破滅の原因となった恐るべき存在と対決する意思を既に失っていた。奇妙なのはバットマンは若いままなのに彼らヒーローは一様に年を取っているということだ。それはなぜなのか?という展開だがこの辺り、なぜかエヴァンゲリオンぽくもあり個人的にニヤリとしたりとか。

とまあ結局、地球の滅亡が関係あるにしろ関係ないにしろバットマンとDCヒーローたちが結託して謎に満ちた究極の敵を倒しに行く、という定番の展開になるのだが、究極の敵の正体が早い段階で予想ついてしまうのはちょっと惜しかったかな。それはそれとしてジョーカーが要所要所で美味しいところを持っていくのが可笑しくて、やっぱジョーカーサイコー、と思わせてくれる作品でもあった。

バットマン:ラストナイト・オン・アース (ShoPro Books DC BLACK LABEL)

バットマン:ラストナイト・オン・アース (ShoPro Books DC BLACK LABEL)