韓国映画落穂拾い:パク・チャヌク監督篇

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というわけで「韓国映画落穂拾い」、前回の「ポン・ジュノ監督篇」に引き続き今回は「パク・チャヌク監督篇」。

■サイボーグでも大丈夫 (監督:パク・チャヌク 2006年韓国映画 

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  • 発売日: 2008/03/21
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『サイボーグでも大丈夫』は精神病棟を舞台に、自分をサイボーグだと思い込んでいる少女と、盗癖のある青年との恋を描くドラマだ。実はパク・チャヌク作品の中では評価の低い作品なのだが、オレはこれは間違いなくパク・チャヌクの重要なフィルモグラフィーの1作だと断言したい。

主人公少女はなぜ自分をサイボーグだと思い込んでいるのか。それは自分が人間であることに耐えられないからだ。それはつまり、生きていくことの苦しみに耐えられないということだ。彼女は「悪の7ヶ条」として「同情、悲しみ、ときめき、ためらい、余計な空想、罪悪感、感謝」を挙げる。それが「悪」として挙げられるのは【人間的感情】だからである。すなわち、「人間的感情を持ちたくない」、なぜなら「人間的感情を持ってしまうと、辛く、苦しい事しか起きない」からなのだ。

だから彼女は自分を非人間=サイボーグと思い込む。自分が何の感情も無い機械なのだと思い込む。自分は機械なのだから少しも悲しいことなどない。彼女はそう思い込むことでしか生きていけない。これはなんと辛く痛々しい物語なのだろう。しかしパク・チャヌクはこの辛苦に塗れた物語を、淡く明るい色彩に満ちたラブ・コメディとして仕立て上げる。その描写は不条理感に満ち素っ頓狂で非現実的であるけれども、それはつまり、【この陰惨な現実】を突き抜けるための方便なのだ。

そうすることでパク・チャヌクは「救い」を導き出そうとする。いかな辛苦に塗れた生であろうとも、救いはきっとある。それこそがこの物語のテーマでありメッセージだ。血と死に塗れた凄惨な作品群を製作してきた監督が提示する救いについての物語だからこそ、この作品は重要であり観るべき作品なのだ。 

■お嬢さん (監督:パク・チャヌク 2016年韓国映画

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パク・チャヌク監督の『お嬢さん』は日本統治下時代の韓国を舞台に、深窓の令嬢と詐欺師の侍女との愛と葛藤を描く作品だ。一般には「エロティック・サイコ・スリラー」なんて呼び方もされている。168分もあって長いなあと思いつつ観ていたらなんと3部構成、その第1部は割と有り体の展開で若干退屈したのだが、なんとそれは巧妙な前振りだったのだ。第2部では第1部を裏側から見せ、そこに隠された真相が明らかにされる。そして第3部ではさらに驚くべき展開が待っていたのだ。この構成には感嘆させられた。確かに成人指定ともなった映像はエロティシズムとアブノーマルさに満ち溢れとことん面妖ではあるのだが、しかしその本質において真摯に愛というものを描こうとした優れた作品だった。これはパク・チャヌク監督の傑作の一つと言っていいのではないか。また、舞台となる古い邸宅の美術とその美しさにはパク・チャヌクの本領が大いに発揮されていた。ちなみにサラ・ウォーターズの小説『荊の城』が原作、韓国俳優が延々日本語で話しているというのもユニーク極まりない作品だった。日本でのロケもあったとか。

復讐者に憐れみを (監督:パク・チャヌク 2002年韓国映画

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  • 発売日: 2005/07/22
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パク・チャヌク監督の『復讐者に憐れみを』は『親切なクムジャさん』『オールド・ボーイ』を含め「復讐三部作」などと呼ばれているのらしい。姉の手術のために幼女誘拐を企てた聴覚障害の男は、過ってその娘を死なせてしまう。そして娘の父は凄惨極まりない復讐に打って出るのだ。誰もが被害者であり誰もが幸福にならない陰鬱な物語だが、プロットが少々とっ散かっており、不必要に思えるシークエンスがあり、唐突な展開に戸惑わされ、悲惨さというよりは軽率な短絡による愚かさにうんざりさせられる。そういった部分で未整理さの目立つ作品だが、しかしこの作品を雛形としてその後のパク・チャヌク作品が形作られたのであろう、原点的な作品と言えるのかもしれない。 

イノセント・ガーデン (監督:パク・チャヌク 2013年アメリカ・イギリス映画)

パク・チャヌク監督、ハリウッド進出作品。家長を亡くし母娘だけになった家に死んだ家長の弟と名乗る男がやってくる。いわゆるサイコ・スリラーといったところか。主演のミア・ワシコウスカニコール・キッドマンが一つの部屋にいるだけでもう緊張が張り詰める。まずこの二人が怖い。そこにマシュー・グッド演じる伯父が絡むわけだが、このマシュー・グッドがクローネンバーグやデヴィッド・リンチ作品に出てきそうな不気味さを漂わせる。ただ、「このおっさんは怪しい」と最初から思わせておいて確かに実際怪しいおっさんだった、という展開はちょっとひねりが無さすぎないか。物語には「思春期の少女の成長」 の要素もあるが、これも主題をぼやけさせたと思う。 

韓国映画落穂拾い:ポン・ジュノ監督篇

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去年から韓国映画探訪の旅をしばらく続けていたが、だいたいの有名作、話題作を観る事が出来たので、ここで一旦休止することにした。ただしその中で興味を覚えた、ポン・ジュノパク・チャヌク監督作品にまだ幾つか観ていない作品があったので、「落穂拾い」ということで何作か観ておくことにした。今回はポン・ジュノ監督作を3作。

ほえる犬は噛まない (監督:ポン・ジュノ 2000年韓国映画

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ポン・ジュノ監督による長編初監督作。舞台は巨大マンション、大学教授のポストを巡り四苦八苦する男が鳴き声に苛ついて他人の飼い犬を隠してしまい、それを管理事務所に勤める冴えない女子が探し始める、といった事から始まる奇妙な人間ドラマ。中盤を過ぎても何の物語なのかがさっぱり分からないまま進行してゆき、にもかかわらずなぜか目が離せない、不思議な緊張感が溢れているのだ。ある意味ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』前半を思わすものがあるが、しかしここで描かれるものはごくありふれた日常の光景であり、そこで暮らす人々のやりとりでしかない。

だが、その人間臭い、そして微妙に可笑しな、あるいは不気味なエピソードの在り方に、ついつい注視してしまう。ここには人間感情の様々な側面がレイヤーとなって存在し、どれか一つにのみスポットを当てるわけでもなく、それらは現れては消えてゆく。この掴み所の無さが逆に物語への興味を掻き立てさせる。物語それ自体はアイロニカルなトーンで覆われるが、善人悪人といった明確な線引きの無い部分は監督の『母なる証明』と通じるものがある。このような構成を可能にするために注がれた恐るべきバランス感覚になにしろ驚かされる。また、主演であるペ・ドゥナの、ひたすら自然体な演技がもたらす空気感に負う部分も多いだろう。

なにげなくありふれたものから黄金のように充実した物語を紡いだこの作品、長編初監督作にしてこれはポン・ジュノ監督の最高傑作であり、韓国映画最高の収穫の一つなのではないか。最後の最後で素晴らしい作品を引き当てた気分だ。

■スノー・ピアサー (監督:ポン・ジュノ 2013年韓国・フランス・チェコアメリカ映画)

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 ポン・ジュノ監督が海外進出を果たしたSF作品。SF映画の好きなオレではあるが、この作品は粗筋だけ読んで「これは観なくていいだろ」と思えたほど魅力を感じなかったのだが、実際観てみるとやはり不安は的中だった。氷河期に突入し絶滅した人類の最後の生き残りは世界を経巡る高速鉄道に乗っていたが、そこは恐るべき格差社会だった、というこの物語、もう設定から疑問符連発で「やらかしてしまった」感満載だ。疑問点をいちいち書く気にもなれないが、そもそも何の役にも立たない邪魔な底辺層なんかさっさと列車から放り出してしまえばいいだけの話ではないか(最後に格差の「理由」が明かされるが、これがまた非効率極まりない話)。そして希望がありそうでよく考えると希望の無いラストも脱力させられる。格差社会が暗喩ではなくあからさまな明示であり、では寓話なのかというとそういうわけでもなく、その辺りの中途半端な社会批評が物語が持つべき柔軟さを殺した作品だと思う。 

■オクジャ(監督:ポン・ジュノ 2017年韓国・アメリカ映画)

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ポン・ジュノ監督によるNetflix映画。遺伝子操作された食用豚オクジャの育成を任された韓国山奥の少女がオクジャが成長し食肉用に連れていかれるのでこれを阻止しようとするはた迷惑な話。結局不細工なCG巨大豚と純朴過ぎるガキと、分かり易いぐらい悪徳な企業と理念空回りの環境保護集団が、笑えないドタバタを繰り広げるコメディ作品にしか思えなかった。あと畜産業ナメ切ってるよな。解決したようで根本的には何も解決してないラストもどうなのよって感じだったな。この物語で解決すべき問題は「遺伝子操作された食物は是か非か」であって「どうぶつかわいそう」ではないはずだ。ただしこの作品を「山奥から都会に連れてこられたモンスターの悲劇」、すなわちキングコングの亜種だと捉えるならどうだろう。キングコング=黒人奴隷のメタファーだとするなら、ここでオクジャには何が当てはまるのか。それは海外での活躍を強いられつつ故郷への望郷に胸張り裂ける海外在住韓国人となるのか。 実は深読み可能な物語なのかもしれない。 

 

最近聴いたエレクトロニック・ミュージック

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Planetary Assault Systems

Planetary Assault Systems / Plantae 

Plantae

Plantae

  • 発売日: 2019/11/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

UKテクノの重鎮Luke SlaterがOstgut TonからリリースしたPlanetary Assault Systems名義の新作EP。EPとはいえ6曲入り48分の実に充実した作品で、性急なビートに満ちたミニマルハードかつダンサンブルなテクノサウンドを鳴り響かせてくれている。こういうテクノが聴きたかった!とオレ大喜びの1作。 

Planetary Assault Systems / Arc Angel  

ARC ANGEL

ARC ANGEL

 

Planetary Assault Systemsの新作EPがあまりに素晴らしかったので、2016年リリースの3枚目となるアルバムも聴いてみた。するとこれがまた最高、何で今まで聴いていなかったんだ?と自分を責めるほど。ミニマルハードな曲20曲と93分に渡るMix1曲入り!

■Mirror Man / Robert Hood 

Mirror Man

Mirror Man

  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

元UR、デトロイト・テクノのレジェンドRobert Hoodのニューアルバムは例によってぶっといリズムが唸りまくるファンキーなテクノサウンドを中心に、ダウンテンポやハウスを散りばめた構成となった作品だ。

Berghain 09 / Vatican Shadow

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2019年にリリースされたOstgut Tonのミックス/コンピレーションシリーズ『Berghain』9作目。Vatican ShadowがDJを務め、ダークかつアグレッシブなノイズ・インダストリアル系のテクノサウンドを聴かせてくれる。なおこのアルバムはこちらからフリーダウンロード可能。というか後述のノンミックスアルバムをミックスアルバムと勘違いして購入し、このミックスアルバムが無料で出ている事を後で知った…...。

Berghain 09 / V.A

Berghain 09

Berghain 09

  • 発売日: 2019/03/15
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

その『Berghain 09』の中からエクスクルーシブ・トラック13曲をノンミックスで収録したノイズ/アバンギャルド・アルバム。なにしろアルバム最初と最後が元Throbbing GristleGenesis Breyer P-Orridgeによる語り、という部分から既に禍々しい!!

■Love + Light / Daniel Avery

Love + Light -Ltd-

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  • アーティスト:Avery, Daniel
  • 発売日: 2020/11/27
  • メディア: CD
 

UK新世代テクノシーンの代表格Daniel Averyの3rd。ドローン/ノイズを基調とするささくれ立ったインダストリアル・テクノが躍りつつ、後半では穏やかなアンビエントサウンドが身も心も和ませてゆく。

■Shadow of Fear / Cabaret Voltaire

ななな懐かしい!Cabaret Voltaire、なんと26年振りのニューアルバムが発売だ!かつてインダストリアル・ノイズ・ミュージックの覇者としてThrobbing Gristleと双璧で活躍していたキャヴスだが、この新作でも26年前とほとんど変わらないインダストリアル・サウンドを聴かせてくれる。そしてこれが一周回って新鮮なのだ。当時オレは彼らの大ファンで、新宿ツバキハウスのライブにも行ったほどだが、あれがライブアルバムとして今でも残っているのが実に感慨深い。

『‟もしも″絶滅した生物が進化し続けたなら ifの地球生命史』を読んだ

‟もしも″絶滅した生物が進化し続けたなら ifの地球生命史/土屋 健 (著), 藤原 慎一 (監修), 椎野 勇太 (監修), 服部 雅人 (イラスト)

‟もしも″絶滅した生物が進化し続けたなら ifの地球生命史 (Graphic voyage)

古生物は、すでに絶滅しています。 しかし、もしも古生物が“何らかの理由で"絶滅を回避し、子孫を残したとしたら、いったいどのような姿へと進化を遂げるのでしょう? 古生代の、あの甲冑魚が滅びなかったとしたら。 中生代の、あの肉食恐竜が滅びなかったとしたら。 新生代の、あの哺乳類が海洋進出をしなかったとしたら。 この本では、そんな「ifの物語」を、超リアルなCG を駆使して展開してみました。

‟もしも″絶滅した生物が進化し続けたなら?

図鑑『‟もしも″絶滅した生物が進化し続けたなら ifの地球生命史』はそのタイトル通り 「もし絶滅古生物が絶滅をまぬがれそのまま進化を続けていたら、いったいどんな姿になっていただろう?」という〈if〉の世界をコンセプトに上梓されたものです。著者は『リアルサイズ古生物図鑑』シリーズで注目を浴びた土屋健。これは期待が高まりますね。

「生物の想像上の進化の姿」を描くこの図鑑、最初に思い出したのはドゥーガル・ディクソンの『アフターマン』シリーズでした。『アフターマン』シリーズは人類が滅亡5000万年後、さらに2億年後、地球の生命はどのように進化を遂げるか?を考察した科学ドキュメンタリーでした。それに対しこの『ifの地球生命史』は太古の昔絶滅した生物の想像上の進化形態がテーマとなります。

しかしそれはただ単に自由な想像で作られたものではなく、「これまでの研究によって明らかになっている進化の系統、生態、他の古生物たちとの関係、周囲の環境などの情報をもとに、専門家とともに 「この系譜で進化してきた古生物が、もしも、このまま進化を遂げたら、こんな種が登場したのではないか」 と“科学的思考実験"を行っ」ています。

こうして誕生した「ifの地球生命」は、例えば古生代からはアノマロカリス三葉虫、エダフォザウルス、中生代からはティラノサウルス、ステゴザウルス、トリケラトプス、そして新生代ともなると絶滅哺乳類を始め、ペンギンやセイウチの祖先、さらにイヌやネコの新しい進化の形態までが描かれることになるんですね。その数は全部で25体。

本当にいたのではないかと思わせる説得力

驚いたのはいかに想像上の産物とはいえ、その学術的な考察から「本当にいた」かのように思える生物ばかりなんです。もしかしたら化石が発見されていないだけで、実際はこのような生物が生きていたのではないか?と思えてしまうんですね。『アフターマン』のようなおそろしく突飛な生物は登場しないんですが、逆に「こういう姿に進化していてもおかしくない」という説得力があるんです。

とはいえ馴染み深い哺乳類の登場する新生代ともなると、途端に『アフターマン』的な奇異さが目を引く動物が登場します。ペンギンやイヌがこんな姿に進化するなんて!?最後の項目はネコの進化した姿なんですが、これはオマケ的に可愛らしさを狙ったんじゃないかな!?なにしろ〈if〉の世界を扱っていますから、どの生物も「異世界生物」ぽい楽しみ方ができるのもいいですね。

もうひとつ、興味を引かれたのは、「そもそもこれらの生物はなぜ絶滅したのか?」ということなんですね。その理由は定かではないにせよ、地質時代には数度の生物大量絶滅の時期があったということなんです。

生物学者らはこれまでに起きた5回の大量絶滅を特定している。4億4300万年前のオルドビス紀の終わり頃、推定86%の海洋生物が地球上から姿を消した。3億6000万年前のデボン紀の終わりには全生物の75%が絶滅した。2億5000万年前のペルム紀の終わりには史上最大の絶滅が起き、生物の96%が消えた。 2億100万年前の三畳紀の終わりには全生物の80%が姿を消した。最も有名な大量絶滅は6500万年前の白亜紀の終わりに発生した。このときは恐竜やアンモナイトを含む76%の生物が死に絶えた。他にも1万年前の、更新世の氷河期の終わりに起きたメガファウナ(巨大動物)の絶滅などもある。

地球を襲った5回の「大量絶滅」と人類の未来への警告 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)  

4億4300万年前から5度、それぞれ地球上の86%、75%、96%、80%、76%もの生物が姿を消すという〈イベント〉が起こっている、その数字も凄まじいですが、こうした大絶滅を繰り返してきた後に現在の生物相と、そして人間の世界があるわけなんです。なんだか気の遠くなりそうな話ですよね。しかし実は現代ですら環境破壊や乱獲により地球上の生物が絶滅し続けており、これから100年の間に半分以上の生物種が消え去るのではないかという研究結果もあるそうです。『ifの地球生命史』の絶滅生物の姿を眺めながら、現在絶滅しつつある生物とその原因となる人類の行く末にも思いを馳せてしまった、そんな本でもありました。

参考:『アフターマン』と『リアルサイズ古生物図鑑』

アマゾンプライム映画『続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』は年間ベスト級の大傑作だった!

続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画 (監督:ジェイソン・ウォリナー 2020年アメリカ映画)

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まずは映画『ボラット』のコンセプトのおさらいなのだ

お騒がせ俳優サシャ・バロン・コーエン主演による2006年の映画『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』は壮絶な大爆笑大馬鹿映画だった。そしてその14年後となる2020年、続編となる『続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』がアマゾンプライムで公開されることとなった。そしてこれがまたまた度を越した大馬鹿映画でオレは大いに笑い大いに気に入った。去年もっと早く観ていたら年間ベストテンの上位に絶対入れていたであろうぐらい面白かった。

この『続・ボラット』の話をする前にもともとの『ボラット』1作目のコンセプトをおさらいしてみたい。主人公ボラットは(映画の中の仮想の)カザフスタンからアメリカにやってきたジャーナリストだ。このボラット、とんでもない差別と偏見に塗れ、おまけにやることなすこと下ネタに結びつける、トンチキ極まりない勘違い野郎だ。その下品で下劣な行動と言動により人々を呆れさせ激怒させ困惑させながらアメリカ大陸を縦断するという、もはや疫病レベルに迷惑なキャラクターを描くのが映画『ボラット』なのである。しかもこれ、モキュメンタリーという形で実際に素人を弄ってるのだから始末に負えない。

「差別と偏見に塗れた知性の低い田舎者」は誰なのか

しかしそんなサイコパスじみた男の行動がなぜここまで笑えるのかというと、サシャ・バロン・コーエンがあえて「差別と偏見に塗れた知性の低い田舎者」を演じることによって、実は彼の眼にいる人間の「差別と偏見に塗れた知性の低い田舎者ぶり」を炙り出してしまうからなのだ。同時に、「差別と偏見に塗れた知性の低い田舎者」を面白おかしく演じることにより、「差別と偏見に塗れた知性の低い田舎者」を笑いものにしているのである。

そしてボラットが笑いものにするのは「アメリカ」という国に遍在する愚か者でありその差別と偏見の在り方だ。それをカザフスタンという辺鄙な(つまりは田舎者の)異国の出身者という立場から嗤う。「俺の国もクソ馬鹿田舎っぺ国家だかあんたの国アメリカも相当なクソ馬鹿田舎っぺ国家だな!」という訳だ。バカがバカに嗤われたらぐうの根も出ない。それを実際はイギリス出身の、しかもケンブリッジ卒インテリであるサシャ・バロン・コーエンが演じるのである。これはもう実は周到に戦略化された知的な笑いという事なのだ。大いに下品だけど。

そして『続・ボラット』なのだ

そしてこの『続・ボラット』である。今作でボラットは、アメリカ大統領トランプに貢ぎ物をし、媚びを売る命令を受ける。その貢ぎ物は最初文化大臣お猿のジョージだったのだが、アメリカに着いてみるとボラットの娘トゥーターに変っていた。ジョージはトゥーターに食べられていたのだ。ボラットは困惑した。なぜならカザフスタンでは女には人権も知性もないとされており、若い娘は檻に入れて獣同然に扱う風習になっていたからである。だがボラットは娘トゥーターを副大統領のマイク・ペンスに貢ぎ物にすることを思いつき、獣のようなトゥーターをレディへとグレードアップさせることにしたのだ。

(ところでなぜ貢ぎ物の相手がトランプから副大統領に変ったかというと、ボラットが前作でトランプ・タワーの前で野グソをしていたことを思い出し「こりゃマズイ」となったからである)

前作より若干おとなしめになったとはいえ、今作でもボラットの迷惑野郎振りは変わっていない。オレも映画を観ながら「うわ、それやっちゃうのか!?」「あちゃー!ホントにやっちゃったよ!?」と阿鼻叫喚の連続であった。そして今作のターゲットはトランプ陣営であり、トランプ支持者であり、Qアノン信奉者である。副大統領マイク・ペンスのみならず、トランプ側近であるルディ・ジュリアーニまでもが餌食にされる(この作品はトランプ政権下で撮影され、2020年アメリカ大統領選直前に公開された)。

女性差別を徹底的に笑いのめすプロット

しかしこういった多大に政治的な側面については、オレは野次馬根性的に楽しみはしたが、してやったりとは特に感じはしなかった。トランプがろくでもない大統領であり、ついこの間起こった米議会乱入事件を見ても分かる通りトランプ支持者がアレなのは十分に分かるのだが、日本に住む者としては多大にドメスティックな問題ではあると思えてしまうからだ。

それよりもこの作品で注目したのはまず、ボラットの娘トゥーターを通して描かれる、女性差別/女性蔑視を徹底的に笑いのめすプロットだ。そもそもトゥーターが「アメリカの有力者への貢ぎ物」にされるお話自体が相当にヒドイが、普段でさえ鉄球付きの鎖を足に付けられ動物用のエサ皿で食事をさせられている。しかし彼女はそれが当たり前だと思っているのだ。

さらにボラットの国であるカザフスタンでは女性に対し、女という存在はいかに劣っているかを洗脳教育しており、おまけに「おそそに触るとおそそに食べられてしまう」とか訳の分からない性教育までしている始末だ。トゥーターも最初それを信じていたが、アメリカに渡ることでそれが嘘であることを知ってしまう。これらはグロテスク極まりない笑いで描かれるが、しかしこのグロテスクさこそが、女性差別そのものの姿である事を物語はあからさまにしてゆくのだ。

じわじわと迫り来るコロナ禍の恐怖

そしてこの作品で最も心胆寒からしめたのは、この作品がまさにアメリカで新型コロナによる災禍が巻き起こっているその最中に撮られたものであるという事だ。調べるとボラットが保守政治活動協議会に乱入する部分の撮影は2月。ワシントンでの保守派集会でボラットが人種差別まみれの歌を歌ったのは6月。ジュリアーニとの偽インタビューシーンは7月。最終的な撮影終了は9月であったらしい。実はこの間、画面に映っていたアメリカ人の殆どがマスクをしていない。マスクをしないのが保守派陣営なのだとしても、一般の街並みですら見られない。

アメリカでは2月の段階で確認された感染は少なかったが、6月では平均感染者が2万人から3万人、7月では6万人超、9月に一旦4万人前後まで落ちるが、11月からは10万人越えの大災厄へと発展している。つまりこの『続・ボラット』はアメリカで新型コロナが猛威を振るい出す直前に撮影開始され、感染拡大中のその最中に撮られ、それが大爆発を起こす直前に編集されたのだ。そしてその最中のアメリカの街並みと人々を写し、その時のアメリカの空気感を真空パックさせたドキュメンタリーフィルムという見方もできるのだ。

映画ではクライマックスに新型コロナに関わるとんでもない事実が発覚する事となるが、これは当初の企画段階では無かったものとみていいだろう。当初はトランプ陣営を徹底的にこき下ろすのみの作品だったのかもしれない。しかし、新型コロナの流行はそのシナリオを変更せざるえないものとした。物語が終盤から急にバタバタし始めるのはそのせいだと思っていい。そして結果的に、偶然にも「アメリカに新型コロナが上陸して猛威を振るい災禍へと発展した2020年の光景」を描く作品となった。そこにこの作品の凄みがあると思うのだ。